新聞を読む習慣は小学校3年のときに始まった。新聞を読んで、当時は見て、かもしれないが、印象に残ったことを発表する時間があった。その準備として読み始めたことを何故か記憶している。60年近くも前になる。
このごろは、新聞を読む時間は1時間半くらいだろうか。日によってはそれよりも多い日もある。スポーツ面は以外は丁寧に読んでいると自分では思っていが、何故かスポーツ面は大見出しだけでサット読み過ごしている。
昨年の9月から五木寛之作の小説「親鸞」が始まった。今は後の親鸞、日野忠範が範宴と名乗り青年青春時代が描かれ、修行の悩み、そんな中での底辺の民との係わりが繰り広げられている。
数年前に親鸞聖人伝「弥陀の橋は」(著者:津本 陽)上下巻を読んだ。書き出しは29歳の堂僧・範宴が法然房源空を訪ねるところから始まる。五木の親鸞は幼い兄弟と伯父の家に猶氏として引き取られ、そこからの成長が展開されている。
これまで描いていた親鸞聖人「お聖人さま」いうイメージとは違い、身近に実在を感じさせるような物語の展開、久しぶりに開いて見た「弥陀の橋は」との違いを感じながら、明日の紙面を待っている。
(写真:弥陀の橋は<上>の表紙)
昔、吉川英治のを読みましたがその時も夢中で読んだ記憶があります。
もう、忘れましたが五木さんのとはまた違った感じがします。
五木寛之は初めて出会った「青春の門」が鮮烈でした。こちらも若かったので・・・
法話の席会話でも読まれている方が多い、そんな感じがしています。どこまで続くのでしょうか。
TVをあまり見ないので新聞の情報を大切にしています。