みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

みこころにかなった

2020年05月02日 | 列王記第一

列王記第一 3章

これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」列王記第一 3章10節

 お休みの日の午後、空模様が怪しかったので近くを歩きました。線路沿いに野ばらの生け垣があるのですが、気がつくと花があちこちで咲いています。数日前には見られなかったことでした。バラの季節ですね。

 聖書が描く多くの人間模様の中で、ソロモンは印象深い人物の一人です。ソロモンといえば知恵。また、主イエスは「山上の説教」の中でソロモンの栄華について触れています。

 この章は、ソロモンがその知恵によって名を轟かせたことのきっかけ、始まりが記されています。1−4節の記述は、やがてソロモンが偶像礼拝に陥ってしまうことの予表のような記述です。どんなに立派な人間も、どんなに優れた才能を持つ者も、完全ということはありえないということをやがて読者である私たちは見せられることになるのです。

 しかし、ここではソロモンが主を愛し、父ダビデの掟(おきて)に歩んでいたと記します。神はそのソロモンに、「あなたに何を与えようか。願え」と声をかけられるのです。神とソロモンのやり取りを読みながら、私もですが、もしも神が自分にそのように尋ねてくださったら何と答えるだろうかと考えることでしょう。

 ソロモンの願いは「主のみこころにかなった」と10節にあります。なぜ彼が神のみこころと一致したかについて、その理由を「みことばの光」は二つ挙げています。一つは王位が主からの賜物であるということをソロモンが知っていたからということ、二つ目は自分が何者であるかを知っていたということです。

 神を知ることと自分を知ることとが、正しく求め、正しく歩むための鍵なのだというのです。そして、確かにソロモンが神からの知恵、民をさばくための聞き分ける心が与えられたことは、一つの事件を解決することで全イスラエルに伝えられ、民の間にソロモンを王として恐れ従う思いが与えられたとこの章の最後にあります。

 「あなたに何を与えようか。願え」との神からの問いかけは、日々あるのではないのでしょうか。


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