みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

忘れた者を忘れない神

2021年12月30日 | 詩篇

詩篇 106篇1−23節

 日本から何通かのクリスマスカードが届きました。日本と外国との往来がいろいろな制限のゆえに以前ほど自由でない中、郵便物はそれらの障壁を乗り越えて届きます。「 遠い国からの良い消息は、疲れたたましいへの冷たい水」という箴言25章25節のことばを思いました。覚えていただき、ありがとうございます。

 105篇後半では、イスラエルの民の出エジプトを神が力強く行われたことがうたわれていたのですが、本篇では同じ出来事を別の角度から取り上げているようです。民の不信仰、不従順にもかかわらず、神は彼らを見捨てられなかったと綴(つづ)るのです。

 葦の海を目の前にして迫り来るファラオの軍隊におびえてモーセに文句を言う民、主が葦の海を分けて彼らをエジプトから出してくださったにもかかわらず、食べ物がない、水がないと指導者モーセに不平を言う民、モーセがホレブ(シナイ)で十戒を神からいただいている間に金の子牛を作りそれを神にすり替えた民がここには描かれています。

 そのような忘恩、不信仰にもかからず、神は彼らをあわれんで滅ぼされなかったのです。改めて昨日読んだ105篇42節の「これらのことは 主がそのしもべアブラハムへの聖なることばを 覚えておられたからである」ということばを思います。

 23節のモーセの姿に、神に祈ることのできる者すべての歩みが映し出されています。「まずその人のために、そのことを祈ることから始めよう」と昨日の祈祷会で確かめ合ったことばが浮かんできます。


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