みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

イエスが焼いた魚

2017年10月14日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 21章1−14節

 20章30—31節に、この福音書を著わした目的が書かれていますので、そのあとに続く21章はエピローグに当たります。ここには、イエスが弟子たちにご自分を現した三度目の出来事が記されています。そして、弟子たちの中で特にペテロとヨハネに焦点が当てられていることに気づきます。

 弟子たちは、特にペテロは、エルサレムでは整理しようともし尽くせないほどのことをわずかの期間で経験しました。日曜日に「ホサナ」との歓呼で人々はイエスを迎えました。イエスについて歩いた彼らの誇らしい表情が見て取れます。けれども、それに続く一週間に、イエスとの食事、「いなくなる」というイエスの衝撃的なことば、消化しきれないほどの教え、イエスの逮捕、自分たちの逃走、そして否認、十字架、復活…。

 イエスが彼らとガリラヤで会うと約束しておられたことで、彼らは故郷に戻るのです。高揚や混乱、恐れ、悲しみ、喜びをわずかの間に体験した彼らは、ガリラヤの山々や湖を見てどれほど心が落ち着いたことかと想像します。そのような中、「私は漁に行く」とのペテロのことばには、うなずけるような気がします。

 そして、彼らは自分たちのホームグラウンド(湖ですが)で、復活の主に会うのです。その晩から朝に掛けての出来事は、弟子たちに、特にペテロに「あの時」のことを思い出させるのに充分でした。きょうの「みことばの光」のタイトルは、「原点に戻れ」です。イエスはここで彼らに会ってくださったのです。そして、彼らのイエスの弟子、そして使徒としての歩みが再び始まったのです。

 イエスは、夜通り漁をして疲れ切り、空腹の彼らのためにパンと魚を用意しいてくださっていました。しかも、魚は炭火で焼いて…。どんなに良い匂いがしたことだろうかと嗅覚が刺激される場面です。ここにも、仕える者としての主のお姿を観ることができます。彼らはどんな思いで焼き魚の匂いを嗅ぎ、食べたのでしょうか。


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