みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

キリストに倣(なら)う

2023年10月24日 | ヨハネの手紙第一

ヨハネの手紙第一 3章1−10節

 月曜日の夕方、スーパーで買い物をして近くのバス停でバスを待っていましたら、男の子を連れた女性が「あなた、銀行のカードを落とさなかった? 日本人のだとレジの人が言っていたので、きっとあなたたちではないの?」と声をかけてくれました。財布を確認すると、確かにありません。急いで戻って行こうとすると、男の子が「ぼくが見つけたんだ!」と大きな声で言います。「ありがとう!」とお礼を言って、スーパーに戻り、無事にカードを受け取ることができました。ありがとうございます!

 ヨハネはこの手紙ですでに、「神のうちにとどまっていると言う人は、……イエスが歩まれたように歩まなければな」らないと書いています。ここでは、神の子であるクリスチャンへの約束と、神の子の生き方を明らかにしています。

 神の子への素晴らしい約束、それは2節にあります。キリストが現れたときに、キリストに似た者となるということです。今の自分を見るならば、それにはるかに遠いことに気づかされるのですが、希望がここにあります。そして、「キリストをありのままに見る」ということばに目が留まります。その日がやってくるのです。そして、この間違いのない希望は私たちの毎日を支えます。

 4節以降には神の子どもと、悪魔の子どもとが対比されます。ここでのヨハネのことばの背景には、この時教会を脅かしていた間違った教えがあります。偽教師たちは自分たちには特別な神についての知識があると自慢し、教会を揺さぶっていました。ヨハネは、そのように教えている人々がどのような歩みをしているのかを注意深く見るようにと、書いています。行い、実によって判断せよと……。


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