みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

キリストにあって

2023年10月06日 | コロサイ人への手紙

コロサイ人への手紙 2章1−15節

 4日の内容について、「みことばの光」読者の方からの感想を発行元の聖書同盟を通じて頂戴しました。一部を紹介します。「今朝のみことばの光、号泣いたしました。天国を待ち望んで生きる!天に召されるその日まで、この地上で主の使命を果たす。励まされました。」

 ラオディキアとコロサイは、およそ20キロぐらい離れています。現在ラオディキアの発掘は進んでいるのですが、コロサイは手付かずです。

 1節のことばに目が留まります。パウロはラオディキアもコロサイも一度も訪ねてはいません。しかしパウロは、これらの教会のために「どんなに苦闘しているか、知ってほしい」と書いています。一度も訪ねたことのない地にある教会のために、彼は祈り続けるという苦闘を続けています。訪ねたことがある、会ったことがある人々でないのに、なぜパウロは、苦闘することができるのだろうかと考えています。

 5節に「私は肉体において離れていても、霊においてはあなたがたとともにい」ると書いています。パウロにとって遠くにいるから関心を持ちにくい、また具体的に祈ることができないということはありません。まだ一度も会ったことのない人のために祈り続ける…。

 私が学んだ神学校には「祈りの母」と呼ばれるとりなしの祈りがありました。アメリカの何人かのクリスチャンが日本の神学校で学ぶ、おそらく生涯一度も会うことがないであろう私のために、神にとりなしをし続けてくださったのです。

 そのようにできる鍵は、この部分で何度も用いられている「キリスト」にありました。キリストが一度もあったことのない者たちの共通の主(しゅ)だからなのです。6節で「キリストにあって歩みなさい」とパウロは勧めています。天に召されるその日まで……。


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