みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

初めから聞いていること

2023年10月23日 | ヨハネの手紙第一

ヨハネの手紙第一 2章18−29節

 三日間の「修養会」を終えて帰宅しました。帰宅して最初にしたのは、新しい靴を履いて公園を歩いたことです。履き初めは何となく馴染んでいない感じがしますね。でも、楽しみでもあります。

 ヨハネがこの手紙を書き送ったアジア(現在のトルコ西部)の諸教会は、偽りの教えに揺さぶられていました。ここでヨハネは「反キリスト」ということばを繰り返します。驚くべきは18節に「多くの反キリストが現れています」とヨハネが書いていることです。さらに19節に「彼らは私たちの中から出て行きました」とも書いています。つまり、反キリストは教会の中から出て行った者たちなのです。

 その教えが偽りかどうかの判別は、イエスをキリストだと告白しているか、それとも否定しているかによるとヨハネは続けます。20節の「聖なる方からの注ぎの油」、また27節の「御子から受けた注ぎの油」ということばに目が留まります。それは、聖霊のことを指しています。イエスをキリストと信じる者のうちに聖霊が注がれ、そのお方が聖書を正しく教えてくださると、ヨハネは読者たちに書いています。

 確かに人は、聖霊によらなければ、ナザレの人イエスがキリストであるということを告白することはできないのです。パウロは「ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません」とコリントの教会に書きました(1コリント12章3節)。

 そして、「とどまる」ということばにも目を留めたいと思います。初めに聞いたことにとどまること、それが御父と御子にとどまることになるとヨハネは書きます。新しいもの、新しいこと、新しい教えは人の心を引きつけさせます。しかし、この手紙の書き出しは次のようです。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの……。」

 ぶれてはならないのです。


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