詩篇 72篇
今朝は、「朝歩きじまい」。妻がいっしょでした。終り頃にご近所の大先輩とばったり。いつも朝歩きをしておられます。「きょうは済んだのですか」と妻が尋ねると、「12月は寒いのでお休み」といってニッコリしておられました。
詩篇72篇に描かれている理想の王の姿は、メシヤとしておいでになったお方を指し示しています。この王は人を偏り見ることなく神の義をもって公正にさばきます。特に、悩む者を弁護し、貧しい者たちを救うのです。
考えてみますと、自分はだれもが罪に悩み苦しむ者であり、真の豊かさを持たない貧しい者なのです。神の義をもってそのような者たちを弁護し、救ってくださったのが私たちの主イエス・キリスト。人は力を持つと、それを自分の利益にななるようにと使おうとします。この一年報道されたあの日とこの人の顔も浮かびます。そうしているうちに自分の顔も浮かんできます。
けれどもこのお方は、人を足蹴にするために全能の力を用いることはなさいませんでした。
この詩篇に描かれている王の姿はやがて必ず実現するのです。年をまたぎ次の年を迎えるというのは、王がこの世界においでになる時がさらに近づいたということなのだと思います。
「「主よ、来てください」という1コリント15章22節のことばを、きょうの祈りとします。
一年間、「みことばの光的毎日」をお訪ねくださりありがとうございます。