詩篇 67篇
今年最後の早天祈祷会。冬至が過ぎてちょっと朝が早くなった気がしました。その日の「みことばの光」の聖書箇所を読み、「みことばの光」を読んでいっしょに祈る会が週に二度ずつずっと持たれてきました。うれしかったのは、早天祈祷会に参加する方が増えたこと。
「神さま。私を祝福してください」とは私たちの願いであり祈りです。詩篇67篇にもこの祈りが繰り返されます(1、6、7節)。クリスマスカード、年賀状、そして個人的な便りにも、いちばん多く書いてきたことばが「神があなたを祝福してくださいますように」ということばだったと思います。
「祝福してください」とは、他の人よりも良い生活を送ったり、他の人にまさる人間となって成功するための願いではないということを、2節から考えます。「私を、私たちを祝福してください」と祈るのは、「あなたの御救いがすべての国々の間に知られるため」なのです。
それは、自分がどれほど神に祝福されて物事をうまくやり遂げ、難事を切り抜けることができたかを自分の誇りとするのではないのです。神があがめられるということこそが、祝福を賜った人によって伝えられる最もたいせつなメッセージです。
自分のような者によって神のすばらしさが人々に届けられるものかしら…と不安になるかもしれませんが、それは必ずしも成功することによってしか届かないのではありません。うまくいってもいかなくても、神の前に真実に歩もうとするならば、そのような人によっても神があがめられるのだとも言える、と思っています。