みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

拝みにまいりました

2014年12月24日 | マタイの福音書

マタイの福音書 2章1−12節

 

 きのうの夕方、近くの蓮の公園に立ち寄りました。この時期、イルミネーションが公園の入り口の辺りを彩っています。蓮の時期の他はそれほどたくさんの来園者があるのではないので、いろいろなことを試みているのだと思います。寒いけれども、美しかったのです。

 きょうは、東方の博士たちが幼子を拝みに、はるばる訪ねる個所を読んでいます。東方とはどこかについて、ペルシヤ(今のイラン)だとか、バビロニヤ(今のイラク)だとか推測されていますが、どちらにしても、ユダヤ人の王としてお生まれになった幼子を拝みに、彼らがはるばる旅をしてやって来るとは不思議なことです。

 それは、この王が単にユダヤ人にとっての王ではなくて、すべての人々の王なのだということを読む者に伝えているのです。博士たちは、幼子の王のために時間をささげ、富をささげ、また自分たちの人生をささげました。

 改めて、礼拝とは自分自身を生きた供え物としてこのお方にささげることだということを覚えるのです。

 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ローマ人への手紙12章1節


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