みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

満ちあふれる豊かさにまで

2020年01月09日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 3章14−21節

 水曜日には、午前と夜と二つの祈祷会に出席しました。変わらずに祈り続ける姿勢に、そしてそこでも私たちを覚えて神にとりなしてくださっていることに力づけられました。現場での働きだけでなくて、遠くにいながら祈りによってその働きに参加しているのですから、一人ひとりは互いに同労者なのだとの思いを新たにしました。

 ここは、エペソの教会のためのパウロの祈りです。パウロに限らず、クリスチャンは誰かのために神に祈ります。いっしょにいる場所でお互いのために祈り合うこともありますし、一人の時には、誰かのことを思い浮かべながらその人のために神に祈ることもあります。しかしパウロは、ここでエペソの教会のために「私はこう祈ります」と公開しているのです。この祈りのことばを手紙の中で見つけたエペソの人々はどのような気持ちになったのでしょうか。

 「みことばの光」がまとめているように、ここでパウロは二つのことを祈っています。一つは彼らが強い人にされること、二つ目はキリストの愛を知ることです。エペソの人々は、この二つのことこそ、自分たちに何よりも必要なことだと大きくうなずきながらパウロの祈りを聞いたのだろうと想像するのです。彼らはここで、自分たちの真の必要が何かということを気づかされたことでしょうし、励まされたことでしょう。

 愛の反対は憎しみではなくて無関心なのだという話を聞いたことがあります。パウロのとりなしは、エペソの人々への愛から出たものです。愛は相手の人への関心を持つことであり、相手の必要を知るということになり、神へのとりなしへとなって行くのです。


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