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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

出発点

2023年07月27日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章1−11節

 隣に新しい家が建築中です。基礎工事から観ているのですが、地面をかなり深く掘っていました。地下室を設けるからなのでしょう。その上に大きめなブロックのような物を積み上げていきます。遮音や断熱の効果がありそうな部材。日本の住宅とはずいぶんと建て方が違うのようなのですが、基礎をしっかり据えるというのは共通なのだと思いました。

 パウロはこれまで、コリント教会の深刻な問題を診断し、助言を与え、戒め、励ましてきました。手紙を終えようとする時、彼は福音とは何かを明らかにしています。教会の基礎を認識しないままに、自分たちにゆだねられた神からの賜物を自慢し、蔑んだり羨んだりして教会の本来のあり方から遠くはずれてしまっていたのがコリントの教会。彼らにはもう一度教会がなぜそこに立っているのかを教えられる必要がありました。

 ここには「福音」ということばが繰り返されます。コリントに福音を宣べ伝えたのはパウロ。パウロは自分を「最後に、月足らずで生まれた者のような私」「使徒の中では最も小さい者」「神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに価しない者」と書きます。

 これは、「パウロさん、そんなことはありませんよ!」という答えを期待したものではありません。彼は心底自分がそのような者だと考えています。そんな彼を、福音は、すなわち十字架にかかり復活したイエスは愛し、顧みてくださったのです。これがパウロの出発点。彼はいくつになっても、どこに行ってもこのことを忘れることはなかったのです。


平和の神なのだから

2023年07月26日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 14章20−40節

 昨日は四人で、来週開催されるクリスチャンの集まりのための準備をしました。ハンドブックに誤りを発見、修正ラベルを一冊ずつ貼って行く作業も加わりましたが、3時間半かけてほとんどの準備を終えることができました。

 コリント教会を混乱に陥れていた「異言問題」について書いてきたパウロは、異言を否定しているのではありません。賜物が誤って用いられることの弊害の大きさに気づくようにと促しています。

 26節に「すべてのことを、成長に役立てるためにしなさい」とあります。パウロは異言だけでなく預言する場合にも、秩序を重んじることを勧めています。意味が分からないことばの場合でも、意味が分かることばの場合でも、教会の公の集まりの時にはわきまえなければならないことがあるのです。

 「女の人は教会では黙っていなさい」とのことばが気になる人は少なくありません。このことばだけ切り取って用い、キリスト教は差別をしていると声を荒げる人が出てくるかもしれません。あるいは、このことばのゆえに教会で女性が発言すること、教えることが許されないということもありました。今でもあるかもしれません。

 しかし、このようなことばが出てくるときには、歴史的な背景や前後関係などを考える必要があります。33節にある「神は混乱の神ではなく、平和の神なのです」、また40節にある「すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい」などのことばが、「女は教会では黙っていなさい」の意味を解く鍵となるようです。

 コリント教会のある女性が、所構わず意味の分からないことばを発して混乱をきたしていたのかもしれないと想像されます。語るべき時に語り、黙しているときには黙しているのは大切なこと。語るべきときに語らないままでいるのも問題だということにも、気づきたい、です。


一万でなく、五つのことばを

2023年07月25日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 14章1−19節

 来週後半に開催されるクリスチャンの集まりのために作成された、ハンドブックが配送されてきました。私たちの住まいは日本の数え方では3階です。ブザーが鳴ると来客か配送業者の方なのですが、運び上げてくださいました。持ち上げてみると重い! ありがたかったです。

 12章からの「御霊の賜物」についてのパウロの教えは、この章まで。1節がこの段落の結論です。コリントの教会では、異言の賜物を持つ人が特別だと考えられており、他の人にはわからないことばを用いて語り祈る人の姿を、優れた人だと評価されたのでしょう。しかし、このことが教会に混乱をもたらしていたのです。

 確かに、「普通の人」にはできないことをする人は注目されます。そこにはあこがれやねたみが交錯したのかもしれません。パウロが13章でさまざまな賜物を生かす道として愛を説いたのは、神がそれぞれに与えられた賜物は、「愛という道」を通ってこそ意味があるのです。

 人に理解できることばを語りたいとパウロはここでまとめます。19節のことばが心に留まります。

 「わたしの知性で五つのことばを語りたいと思います。」

 自分のことばはそうなのだろうか、自分のことばは自分の「手柄話」ではなく、きちんとキリストを指し示しているのだろうか……。


はるかにまさる道

2023年07月24日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 13章

 先週イタリアに行かれた方から、とても暑かったと伺いました。当地は先週からは避暑地のような気温で、これが今週も続くと予報されているので、ホッとしています。

 「愛の章」として知られている13章。 これまでコリント人への手紙を読み進めてきて、コリントの教会に何よりも必要なのは、より深いの知恵でも、より豊かな富みでも、より大きな力でもない、愛だということをパウロは伝えたかった、そしてついにその時が……というような位置づけではないかと考えました。

 ここにはたくさんの思い出が詰まっています。

 始まったばかりの幼稚園の父母の会で話をするように言われ、取り上げたのがここ。「みことばの光」にも書かれていますが、「愛ということばをキリストに替えて読んでみましょう」などと話をしたことを今でも覚えています。意味もよく分からずに、そのように歩んでいるわけではない私が、いわゆる「美しいことば」として話したのですから、恥ずかしい思い出として忘れられません。

 結婚式でもよく読まれます。「愛し合う二人」に贈りたいことばとしてふさわしいと考えるのでしょう。しかし、実行には困難が…。キリストに置き換えて読むのがふさわしいというのは、自分には、自分たちにはふさわしくないと告白しているようなものです。

 しかし、パウロがここに書いているのは「できないぞ」とぶら下げていることばではありません。前章の31節に鍵があると思います。自分のうちにないものを、神に求めるということが…。そしてそれが、賜物を生かす「道」だということが…。


いろいろ…、同じ…

2023年07月22日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙 12章1−11節

 電子書籍で、ある歴史小説を読んでいます。タブレット1枚にたくさんの作品を収められるとか文字サイズを自由にできるのはなるとありがたいのですが、紙の本を読むのとはどこか違う……という思いが時々湧いてきます。聖書は、参照する場合にはデジタルのものを用いますが、普段読む時はやはり印刷された本を用いています。

 パウロは12章から14章までで「御霊の賜物」をテーマにしています。「御霊の賜物」とは、キリストを信じる者のうちに生きておられる聖霊(御霊)によって、一人ひとりに与えられているさまざまなものを指しています。それは、何かができる特別な能力と考えてしまうのですが、3節に目を留める必要があります。

 神ならぬものを拝んでいる人が、それを捨てて生けるまことの神を礼拝し、主として従うようになるのは御霊の力によるのだと、パウロは言います。聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」ということはできないのです。このように、信仰者はスタートの時点から御霊の働きかけを受けるのです。

 そればかりではなく、信仰者としての歩みも御霊によるというのがパウロが伝えたいことです。この箇所には、教会で必要とされるさまざまな働きや力が並びます。コリント教会では、それらの中である特別な賜物をいただいていた人々がそれを自慢していたことによる弊害が生じていました。

 パウロがここで強調しているのは、賜物ではなくてそれを一人ひとりに与えられる御霊、聖霊です。「同じ」「同一の」「一つの」ということばの繰り返しに注意しながら、もう一度この箇所を読むことにしましょう。どのような気づきが与えられるでしょう。


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