周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

12月6―12日

2009年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo加川良さん。岩国のライブハウスで会えるなんて夢にも思わんかった。彼の歌に出会ったのはもう35年以上も昔のこと。多くの友は拓郎に走っていったが、僕はすでに加川の道やった。「この写真ブログに載せていいですか」と尋ねたら「あかん」と言った後、少し間をおいて笑いながら「僕に内緒ならええよ」と。今のは『教訓』にしときます。

12/6(日) 午後、友人の事務所の起工式をしに行く。建築予定地に人生2度目の『聖水』を撒いた。出所は教会の台所の水道水。教会の水やから立派な聖水やろ(反論の受け付けは終了しました)。実際洗礼式の時もこの水を使っとるしな。とにかく大事なのは聖水であろうが小水であろうが、そこに心がこもっていることや。

7(月) 再び浮上してきた北村牧師に対する戒規の問題について、臨時役員会を開いて協議をする。釜ケ崎の本田神父は「人を裁くような式なら、いっそのこと無くした方がいい」と言われていた。全く同感。聖餐が乱れているのではなくて、理解し合うという姿勢が乱れてるんちゃうの?争うエネルギーがありゃ和解に費やせ。

8(火) 火事の現場に通りがかり見に行ったら消防車や救急車が来て、自分の車が出られなくなってしまった(そのせいで郵便局に行けんかった)。そのことを家族に話したら「火事の見物なんて非常識だ。自分が人にそんなことされたらどんな気分なの!」と、まるで子供を叱るような勢いで妻に怒られた。ぐうの音も出ません。

9(水) 下関唐戸市場の隣にあった鯨料理専門店が無くなっていた。帰ってから環境保護団体グリンピース・ジャパンのホームページを見たら、鯨肉の消費が低迷していて在庫は過去最大とのこと。倉庫に眠るベーコンを想像したら唾がわいてきたけれど、日本人のほとんどは単なるノスタルジーで鯨を食う。僕もその中の一人。

10(木) そういえばこの前の礼拝後、僕の留守中に異変は起きていた。説教壇の後ろの壁紙の下半分が教会員の手によって引っぺがされていたのである。確かにここの壁紙はシワシワで気にはなっていた。でもこの後どうすんのよ?昔、車椅子利用者のため狭い玄関の壁を壊したけど…あの時も後のこと考えんかったよな。

11(金) ついにイチョウの枝が刈られた。たった2時間ほどで15mもあった木は半分の高さとなる。もしこの作業を巡査部長と僕がやっていたら、ケガをする以前に作業が進まず、事切れていたに違いないな。痛かったかなあ…イチョウの木。なんか可哀相な気もするけれど、駐車場から見上げる空が50%も広くなっていた。

12(土) 死んで神様と言われるよりも生きてバカだと言われましょうよね♪『教訓1』という歌…知らんやろなあ。高校生の僕に大きな影響を与えた加川良のライブを聴きに行く。聴衆を見て「老人ホームの慰労に来たみたいやな」と言う加川。土曜の夜、多くの団塊の世代に混ざって僕は、初めて聴く生の声に酔い浸っていた。