魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

占い人類学 2

2007年08月13日 | 占いばなし

類型の活用心得
重要 1
兄弟関係や血液型も、ピッタリそれに当てはまる人はいない。
長男だからA型だから、あの人はこうだという決めつけは無意味だ。

むしろ、長男的性格だとか、A型的発想だな・・・のように、
思考や行動パターンのひとつとして理解し、人づきあいや本音解釈などの参考にすると役に立つ。長男的末っ子や、A型的B型がいても少しもおかしくないのだ。
類型化は人格を決めつけ、型にはめるためではなく、行動タイプのモデル分けに過ぎない。そう考えれば、国や地域のタイプにも使える。

重要 2
国や民族などの集団を考える場合も、個人と集団はまったく別物だ。
赤と青のドットの集まりは紫に見えるが、赤も青も紫ではない。
赤は黄と集まればオレンジに見える。

>2.国民性を、血液型による性格で考える
血液型については、今更解説する必要はないほど知られている。
いろいろな意見や誤解があることは承知の上で、魯生の新解釈で話していく。

集団は憧れの姿になる
国のような集団に血液型があれば、その集団は理想とする次の血液型タイプになる。

血液型の原理では [A→O→B→AB→A]とされる。
AはOに惹かれ、OはBに惹かれ、BはABに惹かれ、ABはAに惹かれる。惹かれるとは、好きになるという意味ではなく、興味を持ち、理想とし、憧れる・・・といった傾向のこと。
これが、集団になると、例えば、O型に偏った集団なら、惹かれるB型のような文化になる。(B型を立て前とする文化)

アメリカはO型
この典型はアメリカで、実際の血液型分布にかかわらず、血液型性格分類ではO型だ。ところが、アメリカ人の好むのは「自由と意外性」のB型的生き方で、外見はB型のように見える。
したがって、表面B型、本質O型の二面性を持つ。
野茂のトルネードがうけたり、ビックリパーティー好きや、知的財産権、ハイテク兵器にこだわることなどは、B型指向で、
O型が現れるのは、個人の栄光を強調する人物紹介や、結果第一主義。自国の利害に関わることや、頭に来たら、突然、問答無用になること。細かい理屈より力関係で考えることなどが典型だ。
慰安婦決議が通ったのも、日本の反論に「ゴチャゴチャ抜かすな」という気持ちが先行した結果だ。
こういう見方で観察すると、かなり有効な外交策が見えてくる。

中国はB型
だから、AB型を理想にしている。AB型は球技が得意で、卓球は言うまでもないが、蹴鞠など古代サッカー発祥の地だそうだから、環境が整えばあらゆる球技に頭角を現すと思われる。
また、AB型の観念論が漢字を生み、科挙や冊封のような「システム」経営を編み出した。中国の面子というのはこのシステム維持のことだ。また、「白髪三千丈」の誇大表現も、調子の良い愛想も、AB型。
中国の本質B型は、四大発明を生んだものの細密さに欠け、すべて他の国で磨き上げられた。よく「大陸的」と言われるいい加減さも、駆け引き上手の兵法や商魂も、B型のものだ。
B型は多元論なので意外に徹底性に欠け、白黒をつけられず、できれば争いたくない。ただし、「あわ良くば(貰っちゃお)」主義。

日本はAB型
だから、A型を理想にする。安定平和、融和を望み、変わらぬ秩序を第一とする。物理的徹底より精神的完成を求める。対処より責任論が先行する。
日本のAB型が出るのは、黙々と真面目な責任感。優柔不断で長い物に巻かれる。知的ゲーム感覚。美的バランスの良さ。様式美。マンガ、アニメなどのメルヘン創造力。権利より義務意識が先行(選挙権を義務と思っているなど)。中国がわざとらしく行う方針転換を日本は自然にやってしまう←明治維新、戦後の民主化。
他にインドもAB型だ。

ヨーロッパやアラブはA型
だから、O型の腕力支配を理想とする。重厚なものを好み人間中心の社会を尊重する。一神教の神は人間に特権を与えた。
ヨーロッパのA型が現れるのは、音楽文化と階級社会だ。個人主義の自由と階級社会がいまだに厳然と同居している。また、狭い地域の中であれだけ言語分けをしていることなどもA型の区別意識が現れている。もちろん、信仰心もA型のものだ。

相性は
O型のアメリカとAB型の日本は、つきあい方のコツが分かれば極めてうまくいく。その理屈でいくと、A型ヨーロッパはB型中国を好きにはなれないが、何かと役に立つ。O型アメリカはB型中国を扱いやすいが、中国は意外とアメリカのことが理解できない。
・・・等々、政治状況も結構、面白い見方ができる。

もう一つ忘れていた。A型は謝れば全存在が否定されると考えるので、謝れない。B型のように「それはそれ、これはこれ」と思う国が簡単に「謝ったらいいジャン」と攻めれば、AB型の調子良さで、その場の表面だけ謝る。血液型で考えれば、日本に謝れと言うのは逆効果だということが分かるのだが・・・ワッカン、ネエ、ダロナァ

占い人類学1 、AB型の国(

「集団の血液型」とは、実際に血液型の偏りがあるばあいも、歴史や環境で血液型のようなタイプが現れる場合もさす。
なお、血液型の偏りとは、偏差の多数派のことで、AB型の集団と言っても、AB型がA型より絶対値が多いという意味ではない。


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