魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

マジメ車

2017年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

自動車生活を止めて何年経ったのだろう。荷物の運搬以外は何の不自由もない。
四輪は止めたが、バイクは使っている。しばらく公共交通機関だけに頼っていたが、やはり不便なので、22年前に買って6000kmしか走っていなかった125CCを多用するようになった。
バイクの場合、運転を誤っても自分が死ぬだけだから、他人を傷つける心配は少ない。その意味では、自動車道しか走らないから、むしろ自転車よりも安全だ。

初めのうち、大きな幹線道路では、おっかなびっくりで乗っていたが、バイクというものは、おっかなびっくりで乗ると、かえって危険だ。
この危険は、車で言えば、初心者の高速道路合流のようなもので、躊躇していると、いつまで経っても合流できないし、周りの車も迷惑する。覚悟と自信と決断が要る。

バイクで複数車線の大通りを右折するには、身の危険も加わり、特攻隊のような気分になる。大型バイクなら何でもないが、50CCと大差ない125CCでは、心のどこかで、「おじゃまします、おじゃまします」と言っている。この気持ちを振り払って、「ええいッ」と車列に突入する。ここで横に並ぶ125CCは、たいてい若者だ。若者は怖い物知らずだから躊躇がない。同じことをしていてもこちらには、体力不安と迷いがある。これがいけない。危険があるとすれば、迷いと妙な遠慮だ。

一方で、近頃、若い頃憧れた大型バイクでツーリングする年寄りが増え、事故死が急増しているらしい。実際、幹線道路を走っていると、こういうグループをよく見かける。
金は得たが肝心なものを失った悲しきムスターファ達だ。(ムスターファがわかる人が、どれぐらいいるかな・・・♪遠い昔のトルコの国の~)
昔取った杵柄も、楽器では死なないが、バイクは棺桶にまたがっているようなモノだ。一瞬のミスが死に直結する。

棺桶で暮らす
しかし、バイクを日常的に使うようになって気づいたことがある。それは、小型バイクこそが老人用の乗り物だということだ。
毎日、ニュースになる、老人運転による大事故は、もしバイクなら起こっていない。
バイクは、判断力を含め、体力がなくなった時が運転できなくなる時だ。運転を止めるか死ぬか、選択は二つに一つ。自主引退しなければ、高齢社会緩和に貢献することになる。他人に迷惑をかけてだが。

老人の運転事故で目立つのは、「高速道路逆走」、「アクセルの踏み間違い」が多い。何れも判断ミスだが、スクーター・バイクなら極めて起こりにくいミスだ。
基本、小型バイクは高速を走れないが、自動車専用道は走れる。仮に出入り口で道がわからなくなっても、四輪よりも、道の脇で、全体を見渡しやすい。逆走を始めたとしても路肩を走れるし、路肩で方向を変えられる。また万一、正面衝突しても、相手が死ぬ確率は低い。
「アクセルの踏み間違い」にしても、スクーターの場合、少なくとも反対の手でブレーキを握れる。暴走しても、ビルの厚ガラスを破って奥の壁まで突っ走るのは難しい。その前に、運転者が飛ばされている。

老人や飲酒する人は、四輪自動車に乗るべきではない。屋根付き四輪車の快適空間は、運転不適格者であっても、運転を可能にする。
バイクでは、居眠りも体調不良も、運転できない。また、若者ならともかく、スマホ「ながら運転」などあり得ない。
真に運転可能な人だけが、命がけで運転しなければ走れないのがバイクであり、テレビを付けてスマホをいじり、時々キスして、居眠りをしながらでも走っているのが四輪車だ。しかも、互いがどんな状態で運転しているか視認できないから、突然の走行異変も予想できない。
老人が、どうしても自分で運転したいというなら、免許返納云々より、二輪で走れるうちだけ走れば良いだろう。論より証拠、元気でマメなうちだけ乗れる「マメ車」だ。

ところで、6000㎞しか走っていなかったバイク。このところ、1日100㎞ぐらい走ることが増えてきた。22年物にもかかわらず、エンジンはかえって絶好調だ。しかし、電気系統やタイヤの劣化が気になる。最近は、電子制御やLEDライトなど、バイクも様変わりしているらしい・・・そろそろ、バイク買おうかな


余談:
以前、マフラーを土蜂にやられたので、排気口にネットを取り付けたが、何となく出力が上がらないような気がしたので、面積を広げるために大型にしたところ、歴然とパワーが上がった。(下が前回。何れも、百均の台所用品を利用)


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