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占いという もう一つの眼

米中戦争

2020年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナの名称で米中が争っているが、こんな子供の喧嘩の水面下で、実際には、大戦争が起こっている。
戦争は体制と体制の衝突だ。アメリカが中国に要求した国家と企業の分離は、共産中国にはねつけられたが、その中国の体制(独裁隠蔽)が引き起こしたパンデミックによって、米国を始めとする自由主義圏が、重大な危機に陥っている。しかも、中国はそれを絶対に認めようとしない。それどころか、欧米に拡散責任を押しつけている。
世界中が戦時予算に匹敵する金を絞り出し、国民は苦難を強いられている。その中で、中国は体制を賭けて、世界に体制維持の宣伝工作を仕掛けている。これが戦争でなくてなんだろう。

この戦争の目的は、自由主義の崩壊か、中国共産党の崩壊かだ。表向きはウイルスとの戦争だが、疾病に謙虚に対峙せず、何事も政治化する中国がいる限り、戦争になる。
戦争は勝った方が「正義」だ。事ここに及んでは、「手打ち」はできなくなった。
中国共産党が勝利すれば、世界の歴史から、ウイルスに負けた「選挙制度」民主主義が消える。そんなことを許して良いものだろうか。
差別を呼ぶから「中国ウイルス」と呼ぶべきではないと言う人は、習近平に欺され、独裁を許している人で、偽善の平等主義に陥っている人だ。日本人が「日本脳炎」を否定せず、スペイン人が「スペイン風邪」に抗議しないのは、国の体制とは関係ない問題だからだ。

この戦争は、「中国共産党」の崩壊まで、少なくとも習近平失権まで止められない。
独裁中国に勝利するには、中国の産業を崩壊させ、中国共産党と軍の資金源を絶つことだ。これには中国国民の苦難を伴うことになるが、そこまでついて行くか行かないかは、中国国民の選択であり、戦争を仕掛けられている側には、考えるゆとりは無い。こちらも追い詰められている。

戦争とは、まさにこうした些細な事から起こるものであり、戦時下の国民は、自分に実害がおよぶまで、実感を持てない。
不幸中の幸いと言えば、このウイルスの実態が、恐れるほどのものではないという事だろうか。
習近平の都合次第で、どのようにも言説を変える中国共産党。今回たまたま、中共の意図せぬところで、中国人観光客が止まって、日本中が苦しんでいる。これは、極めて有り難い教訓だ。安易な儲け口に頼っていると、恐ろしいしっぺ返しに遭うと言うことだ。良薬口に苦し!
オリンピックも当面無くなることだし、観光戦略も根本から見直す良い機会ではないか。転んでもただで起きては苦労の甲斐がない。

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