転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年は北海道の航空券が取れず、お盆の家族旅行は近場へということで、
今度の日曜日から一泊二日で京都に行くことに決まった。
それで、今朝は旅行中に必要な家族の着替えを段ボールに詰めて、
宅配便で一足先にホテルに送った。
宿泊施設宛ての荷物は、泊まる日の前々日までに出さないと、
荷物の到着日を請け負うことはできないと、以前業者さんに言われていたので、
なんとしても今日中に発送せねばならなかったのだ。
間に合って良かった(汗)。

それとは別に、このところ、あの世から指令が来ているのを私は感じていた。
「この週末にゃあ盆じゃけ、客が来るで。はよ掃除しとけ。」
じーちゃんは今週に入って以来ずっとそう囁き続け、
私は暑いので出かけるのがいやさに、生返事を繰り返していたのだが、
いよいよきょうは金曜日になってしまったので、限界だった。
それで、宅配便を出した後、意を決して墓掃除・墓参りに出かけた。

既にいい加減、日が高くなっていたので、墓場はシヌほど暑かった。
帽子と水筒を持っていなかったら、作業中、簡単に逝けそうな気温だった。
涅槃に一番近い場所(爆)。
十日ほど前に供えたお花は、とっくに茶色くなっていたし、
墓石にはところどころ砂がついていたので、
いつものように花筒を洗い、墓石を拭いて、新しい花に取り替えた。
それからお灯明を上げて、お線香を立てて、改めてお参りした。

午後、ヨタヨタになって市街地に戻ってきて、
昼食をとるか、買い物するか、と考えながら繁華街を歩いていたら、
いつも行く美容室の前を通りかかり、見たら、妙に空いていた。
そうだ、前に髪を切ってからそろそろ一ヶ月だ、
と私は不意に思い立ち、吸い寄せられるように美容室に入った。
案の定、こんな平日昼のお客さんは、私のほかにひとりしかいなくて、歓迎された。
シャンプーとヘアカット。
朝からの疲れが出て、シャンプー台で寝入りそうになった。

終わって、ほとんど千鳥足で美容室から出て、とりあえず喫茶店に入った。
昼ご飯を逃したまま午後2時過ぎになっていたので、
何か食べないとモたないと思い、サンドイッチとコーヒーを頼んだ。
そのあと、やや元気回復できたので、今度こそ晩ご飯の買い物をした。
今夜は娘がお友達の家に「お泊まり」に行っていて留守なので、
主人好みの献立にしようと考えて、「鮭の香味づけ」の材料を買った。
片栗粉をまぶして揚げた鮭を、赤唐辛子とニンニク・醤油・酢などで作ったタレに
漬け込んで食べるという、ビールのアテにもなるおかずだ。
辛いので娘は食べないが、主人は実は若い頃からこれが好きなのだ。

最後に、YAMAHAに寄って演奏会のチラシを物色した。
10月21日アレクサンダー・コブリン@安芸区民文化センターホール、を見つけた。
コブリンが広島に来てくれるとは、なんと有り難いのだろう。
これで10月以降の楽しみが出来た♪

それからバスに乗って、家に帰ってきた。
もう、午後4時にならんとしていた。
「洗濯物を入れぇよ。日が落ちると冷えてしもうて、よぅない」
と、またじーちゃんがあの世から指導したので、とりあえず、取り込んだ。
でも私はじーちゃんじゃないので、取り込んだものをキチンとたたむことはせず、
そのへんに放り投げた。

あまりにも、あまりにも暑くて体が燃えそうだったので、エアコンをつけた。
そして冷蔵庫を開けて、リポDライトを一本、腰に手を当てて一気飲みしてやった。

↑今ココ

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剥離骨折の後遺症
2005年12月にヤった左足首くるぶしの剥離骨折のアトが、
最近また、地味に、具合が悪い。
これまでも毎年、寒い日などに左足が痛んだり、もとの骨折部位がパキパキ鳴ったり、
軽い後遺症を感じていたのだが、今年は5月の連休に長崎で遊んだ頃から、
よく歩くと左足に神経痛のような違和感が出る、ということが断続的に起こっている。
昨日も球場から歩いて帰ってきて、途中で本屋に寄り、駅地下で買い物もしたりして、
暑い中、足をよく使ったという自覚はあったのだが、
案の定、就寝前あたりから左足首あたりがじりじりと、いやな感じがし始めた。
それで、とりあえず家にあった市販の湿布薬を貼って寝たら、
今朝は一応なおっていたのに、さきほどから掃除などしたので、また神経痛気味になった。
こりゃもう、なんもせんと、湿布して寝とけということかい(殴)。
……じゃなくて、弱い部分に負荷をかけないよう、痩せろということだな。
そして、顎関節症も軽く残っているし、そろそろ鍼治療を受けに行くべきなのだろう。
しかし外はあまりにも暑く、鍼の治療院まではいささか遠くて、出向く決心がつかない。

ツクツクボウシ
昨日の夜、マツダスタジアムからの帰り道、夜でもセミが鳴いていたのだが、
球場近くのコンビニの前まで来たら、ツクツクボウシの声が聞こえた。
私にとっては、この夏、初めて聴いたツクツクボウシで、
ああ、夏もいよいよ後半戦か、という気分になった。
お盆前に鳴き始めるのは、このあたりとしては、やや早いかもしれないとも思った。
セミにも、転夫ころもん同様「待つの嫌いなんよ」というタイプがいるのだな。

ポゴレリチ上海公演
ポゴレリチ関連ブログのほうにも書いたが、今夜7時半(現地時間)に上海で、
イーヴォ・ポゴレリチがリサイタルを行うとのことだ。
私は全然気がついていなかったのだが、彼はどういう計画でか、
夏の真っ盛りの今、アジア大陸の東端までは来る気になったようだ。
その先にある海を渡って日本に足を伸ばそうとは、さすがに考えなかったか。
今夜の演奏予定曲目は、今年前半から既に彼が好んで弾いている組み合わせで、
ショパンのソナタ2番と夜想曲作品48、リストのメフィストワルツとロ短調ソナタ、
の四曲だそうだ。
これについて、何か情報がないかと検索してみたが、
「波哥雷利奇出土」とかいうハニワ風味な題名のページが一番にヒットし、
次に出てきた「上海おじさんのブログ」という意味の中国語サイトは
非常に興味深かったのだが、自動翻訳しようとしたらパソコンがフリーズした(--#)。
『まいにち中国語』をやっている甲斐のない、相変わらず中国語の読めない私が悪いのだった。

今年度後半のNHKラジオ語学講座
9月いっぱいで年度前半のラジオ語学講座がほとんどどれも終了するので、
昨日、10月から3月までの後半のテキスト購読申込書がNHK出版から送付されてきた。
ラジオ『まいにちフランス語』の後期は、初級編については2010年前期の再放送で、
清岡智比古先生とレナ・ジュンタさんによる『ナミの恋する東京日記』、
応用編は新作で、現在初級編担当の國枝孝弘先生とパトリス・ルロワさんによる、
「人生の大事なイベント」をテーマとする中級講座になるそうだ。
初級編の先生方がそのまま応用編へ移動されるのは、私には初めてでとても興味深い。
『まいにち中国語』入門編は、10月からは『実践エクササイズで学ぶ中国語』、
高木美鳥先生ご担当の新作だそうだ。
……つくづく思うのだが、例えばだな、きょうのように、
「すわ一大事、ポゴレリチ上海公演が、今夜!」となったときに、
「福岡空港から飛べばすぐよね、中国語なら最低限なんとかなるわ」と言えれば理想的だ。
しかし現実の私は、中国語は相変わらずわからず、パスポートは既に失効15年経過(爆)。
いろいろな意味で、全然備えが足りないのだった。

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18時よりマツダスタジアムにてヤクルト戦。
久々のナイター観戦、……は良かったのだが
今夜はマエケン(前田健太)がすっかり「うしろケン」になっており
試合内容は散々だった(汗)。

まあ、いろんな日があるさ……、ということで(苦笑)。

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正直に言うと私は昨日までは、まだ「去年ほど暑くはない」と思っていた。
もちろん暑いには違いないのだが、暑さのあまりシヌと思った去年と較べたら、
今年はまだ余裕があり、体調も一年前の今頃ほどヨタヨタではないつもりだった。

しかし、きょうは、暑い。まぢ暑い。さきほど、
「お盆になる前に、クリーニング屋さんに娘の制服を出しに行って来ないとな」
と思って試しにベランダでに出てみたら、
熱線そのもののような日光が突き刺さって来て、あえなく断念した。
自家用車を持たない私は、どこへ行くにも徒歩しかないわけだが、
こんな外気温の中をとぼとぼ歩いたら、それだけで倒れそうだ。

気象庁のサイトを見ると、なるほどきょうは高温注意情報が出ていた。
10日11時13分更新分で、高温注意情報は39都府県に出ており、
出ていないのは、北海道・秋田・和歌山・島根・熊本・長崎・鹿児島だけだった。
それで、広島地方気象台のサイトに行ってみたら、
更にご丁寧に、夜22時までの雷注意報まで出ていた。

をいっ。どーすんだ。
きょうは夕方から、主人とマツダスタジアムに行く予定なんだが(^_^;。

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娘が夏休みになり、高2対象の補習前期分も終わってしまってからは、
私はもう全然、彼女のスケジュールが把握できなくなった。
本人はマメに報告してくれてはいるのだが、
「○日、友達と遊びに行くから」
「△日は○○ちゃんの家でミシン借りて聖書袋を縫うから(=家庭科の宿題)」
「やっぱ○日に遊ぶのヤメになって、×日に変わったから」
……等々、新しい予定が加わるのと前の予定が修正されることが繰り返され、
私は一応それらを手帳に書きはするが、全く覚えていられなくなった。

おまけに娘は、ひどく寝坊だ。
とんでもない時間に起きてきて、朝ご飯か昼ご飯かわからぬものを食べる。
はじめのうち、私は娘の予定を思い出しながら時計を見ては、
食事時間なども「あと少しで昼食」みたいなタイミングになると
わざわざ娘を起こして、我が家の(=私の)昼食に間に合うようにしてやっていたが、
考えてみたら、もはや、そんなに過保護にする必要は、全然なかった。
どうせ数年後には、家を出て下宿する可能性が高いのだ。アホらし。

もう、勝手に目覚ましかけて勝手に起きて、勝手に何か食べて、勝手に出ろ。
私は把握しないし、正規の調理時間(汗)以外には台所の世話もしない。
洗濯機も私は定時にまわすだけだから、間に合ったら出しとけ。
それで、自分で予定を忘れたり約束に遅刻したりしても、
いわゆる自己責任ということでお願いします。
幸い、今は携帯やメールがあるから、友人との連絡も自力でなんとかなるだろう。

娘はそれで全く構わないと言った。
しかしそれでも、相変わらず、
「○日に△子ちゃんとこに遊びに行くから」
と私への報告は怠らない娘なのだった。そして性懲りも無く、
「あ、前に言った×日の予定、やっぱり延期になった。またあとで決める」
などと、途中経過まで教えてくれるのだ。律儀なヤツ(^_^;。
いや勿論それは基本的には完全に望ましい。
手取り足取りスケジュール管理をしてやる必要は無いにしても、
保護者が子供の動きを把握するのは当然だ。
子供がどこへ行ったか親がわかっていないなどということがあってはいけない。

ちなみにどうしてそんなに予定変更が多いのかというと、
理由のひとつは、一緒に遊ぶ予定の面々のうち何人かが演劇部で、
部活の休みが日曜日に限られているからだそうだ。
日曜日限定となると、今度はほかの子が家族と出かけたり習い事があったりして、
別の差し支えが出来ることも多く、どうも必ず誰かが欠けてしまうので、
皆が揃う日を探して際限なく予定変更を繰り返しているらしい。

友情篤いっていうか、気が長いっていうか(^_^;。

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最近はサイト更新に関して、演奏会スケジュールのUPなど、
いくつか宿題を溜めたまま、作業が滞っております。
また、メールのお返事が遅れてしまうことがこのところ続いてしまい、
大変ご迷惑をおかけしております。申し訳ございません。
可能な方には携帯からお返事をお送りしております。

こうなってしまった理由は、最近パソコンを使う時間が激減していることです。
なぜなら、私のパソ太(デスクトップ)が居る部屋は納戸で、エアコンがないから(爆)。

すみません~~~!!

唯一良いのは、結果的に節電になっていることだけ(爆)。

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以前、通販で利用した某洋菓子屋さんから、数日前にメールが来て、
時節柄、お中元やお盆のお土産に手頃な商品がいろいろと案内されていたのだが、
その中で、タイトルに「おもたせにピッタリ」というのがあって、ぎょっとした。

『おもたせ』とは、私のこれまでの理解では、お客様が持ってきて下さる品物のことを
こちらが敬って言う場合に使う語のはずだが、『ピッタリ』とは?
私は最初、洋菓子屋さんが言葉の使い方を完全に間違っているのだと思い、
こんなプロの仕事がそこまで抜けていることがあり得るだろうか、とうろたえたのだが、
いや、これは何か、私の理解していない用法があるに違いないと思い直し、検索してみた。
すると、私が思っていたように、「来客の手土産」を敬う側が「おもたせ」と言う、
のが確かに第一義的ではあったが、なんと最近ではそれ以外に、
「私が持参する手土産」を自分で「おもたせ」と呼ぶ場合があり、
しかもそれが、かなりの市民権を得ているということがわかった。

おもたせ(Hatenaキーワード)

『おもたせにピッタリ』、『おもたせベスト10』、『おもたせの定番』、
こういう言い方はとっくに各所で使用されているのだった。

私はこれまで、先方が持ってきて下さったお菓子などを接待で出すときに、
「おもたせで、失礼ですが……」
と言ってかしこまっていたものだが(笑)、最近の若い子だと、人様のお宅に伺うのに、
「きょうのおもたせには、これがいいわ♪」
などと考えて、ケーキなどを選んで持参するわけだな?そして、
「おもたせです♪つまらないものですけど~」
などと、自分の手土産を差し出すのか???

更に、『おもたせ』でもう少し調べてみると、
「客をもてなす主人側が、パーティーなどの最後に来客が帰るときに渡す、
大仰でない手土産」の意味で使っているページもあった。
それは三十代前半の、お料理研究家の方のサイトだったが、
そこには、お食事でもてなしたお客さんたちが、いよいよ帰宅するとなったとき、
お別れの挨拶に、手作りの小菓子を予め用意しておき、
『おもたせにするのも良いですね』、と書かれていたのだ。
相手に持たせて帰らせるから、「おもたせ」ということのようだ。

来客が持ってきて下さったおみやげが、「おもたせ」。
自分がよそを訪ねるときに持って行く手みやげも、「おもたせ」。
来客が帰って行くときに持って帰って貰うおみやげも、「おもたせ」。

ここまで込み入った用例になると、日本語ネイティブの私でも、
相手の発した「おもたせ」に対して、とっさに発想を転換し、
相応しい返答をすることは、かなり難しいのではないかと思った(汗)。
というか、今時の感覚においては、つまるところ、来客か主(あるじ)かは関係なく、
どちらがどちらに渡すものでも、直接手渡すミヤゲは全部「おもたせ」なのだった。
しかし一定年齢以上の人は、そういう前提はおよそ持ち合わせていないと思うので、
この言葉は、特に若い人が使うときには注意したほうが、良いかもしれない(^_^;

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今年は、いつになく広島の平和祈念式典が全国的に取りざたされ、
広島市長の平和宣言、菅総理のメッセージにも、広く注目が集まっているようだ。
しかし広島に長く住んでいる者、特にうちの父のような被爆者にとっては
今年だから何が変わったということはなく、もうずっと以前から、
8月6日は、容易に言葉では表せないほど特別な日だった。

以前も書いたことだが、父は語り部になることを断り、
式典にも行かず、原爆資料館にも一切、足を踏み入れていない。
そのニュアンスを人にわかって貰うのは難しいかもしれないが、
父は拒否的な態度を取っているというより、
未だに原爆の日の体験を再現したり反芻したりすることに耐えられないのだ。
二度と見たくない。二度と口にしたくもない……。

本当の意味で被爆者が癒やされることは、無いのだと思う。
原爆は、たとえ何がどう償われたとしても、無かったことにはならない。
昔から広島に住んでいる人達にとっては、
8月6日は多くの場合、自分の家族や大切な誰かの命日だ。

一方、今年は原発事故が起こったので、放射能被害について急激に
世の中の関心が高まったことは、よく理解できるのだが、
式典の最中にも平和公園周辺で、拡声器を使って「反原発」を叫ぶ人達がいた、
という記述をネットで見て、かなり、本当にかなり、残念に思った。
8月6日は、広島の祈りの日だ。
「安らかに眠って下さい」と原爆慰霊碑にも刻まれている。
きょうだけは、どんな闘争も休みにして、静かに過ごして欲しいと思う。
たとえ、どれほど崇高な理想を訴えているつもりだとしても。

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きょう8月5日は、入籍記念日だ。
私は記念日趣味がほとんどなく、よく失念しては、
主人に「信じられない!」とがっかりされるのだが、
今回は、かろうじて(殴)覚えていた。
というか、さっき思い出したのだ(蹴)。

と言っても、今夜は主人が職場の暑気払いで居ないので、
自宅で記念日ディナーなど執り行うはずもなく、
何であれ晩ご飯を作りたくない私は、きっとこのあと、
娘とふたりで近所のファミレスに行くだろう。

ところで結婚18年目の記念日は石榴(ガーネット)婚式というのだそうだ。
宝石にも関心のない私は、ガーネットってどんな石だ?と不明だが、
そんなことより、もはや主人と18年も一緒にいるのか、
ということのほうが驚異だった。

親の家から離れて一人暮らしを始めたのが18歳のときだから、
それと同じ年月を、私は主人と過ごして来たのだ。
まさに、Time flies.
つまり転夫ころもんは、18年間、耐えてきたのでありますね(爆)。

しかし真面目な話、私たちの18年の年月が、とにもかくにも無事に過ぎたということ、
途中で途切れることがなかったからこそ今日があるのだということに、
心から感謝せねばならないと思った。

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『ノバ・ボサ・ノバ』は、カーニバルの熱いひとときを描いたショーで、
ストーリーの流れはあるが、込み入った芝居内容ではない。
ダンス場面の大半が激しい振付で、それを出演者のほとんどは素足で踊らなくてはならず、
衣装は普段と違い、男役でも体の線や脚のラインが出てしまう簡素なものが多い。
しかも場所は八百屋舞台(舞台前面から奥に向かって高くなった傾斜のある舞台)だ。
あの条件で、見せ場を意識しつつ男役の立ち姿を要所要所で決めていくのは、
客席で観ていて感じる以上に、実際は大変な技術を要することだと私は思っている。

実際、過去の公演でも、(主演クラスとは限らないが)出てきた途端に
「そりゃ女の子まるだしだろう(^_^;」
と内心でツッコミたくなるような、無防備な立ち姿の男役が何人かいたものだった。
その点、れおん(柚希礼音)くんの安定感は素晴らしかった。
彼女は、衣装も靴も特別なものは何もなくとも「男役」だった。
更に、れおんくんは台詞や歌がなく立っているだけのときでも、主演者だった。
あの位取りこそ宝塚のトップであり、ノバ・ボサのソール(=太陽)だと思った。

昭和の初演では安奈淳の演じたルーア神父を、叶うことならかつての花組で、
朝香じゅんに演じて貰いたいと、私は密かに、見果てぬ夢を見続けていたものだったが、
今回のすずみん(涼紫央)のルーア神父は、その延長上にあるかのような、
私の想像以上の出来映えで、本当に嬉しく思った。
すずみんは星組系のキザな男役が板に付いていて、研ぎ澄まされたように綺麗で、
しかも技術的な安定もあり、実に心地よくうっとりと見せて貰うことができた。
ルーア神父は清潔感も大事だし、狂言まわし的な技術も問われるけれども、
同時に、物凄く二枚目でないと駄目だと私は思っている。
すずみんは、どの場面でも決してそこを外さないでくれたのが良かった。

ほかに印象に残ったのは、紅ゆずるの演じたメール夫人で、
彼女はヒロイン・エストレーラ(夢咲ねね)の母親なのだが、
大柄な美人で、母親の情もありながら、祭りの一夜にハメを外す面白さもあり、
とても好演だったと思った。
酔っ払って少年ボーロ(音波みのり)に絡むところはユーモラスだが、
浜辺の夜が明ける頃には、彼女はすっかりもとの大人の分別を取り戻していて、
このあたりの変化も少しも唐突でなく、メール夫人のキャラクターがよくわかった。

(多分、続く)

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