転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今朝、中途半端に空いた時間があったので、
2011年用「道楽記録」のファイルを整理した。
私は二十代の頃から、A4サイズのポケット式クリアファイルに
自分の観た・聴いた公演や映画のチラシと、そのときのチケット半券や封筒等々を
日付順に入れて残しておく趣味があって、それは今も細々と続いているのだ。
厳密に言えば、結婚してからは、途中、転勤や育児や介護で忙し過ぎて、
チラシなど整頓して取っておく余裕が無かった時期もあったのだが、
ここ数年ようやく、またこういうことを再開できるようになった。

ファイルの中身は原則的に日付順で、ジャンル別にはしていないので、
頼山陽資料館のチラシの次に宝塚雪組『ロミオとジュリエット』があったり、
広島交響楽団の隣がT.M.Revolution(西川貴教)だったりするのだが、
それもまた、自分の雑多な楽しみの記録として貴重なものだと思っている。
また、宝塚の場合は、チケットを出演者の生徒さん個人のファンクラブ経由で買えば、
公演名とファンクラブ名の入った独自のデザインのチケット封筒に入れてくれるし、
場合によってはその生徒さん直筆のメッセージ(の印刷)も同封してくれたりするので、
コレクションとしてはまたひと味違い、まことに楽しいものだ。

近年、不満に思っているのは、電話やネットで「ぴあ」「eプラス」を利用することが増え、
そのためにチラシを手に入れることが実に難しくなった、という点だ。
プレイガイドに出向いて買ったり、招聘元や主催者に直接電話して買うことが可能なら、
チラシが店頭にあったり、或いは言わなくても同封して送付して貰えたりするが、
「ぴあ」「eプラス」はそういうことには全く無頓着で、
「公演名・日時・席番などを印刷した紙」としてのチケットを発行してくれるのみだ。
それで、ポゴレリチの公演のときは特に、私はカジモト・イープラスに迫って(笑)
チラシを送ってくれるようにと、平身低頭して(←電話だから見えないが)頼んだりしている。
だが普通の場合、公演地に住んでいるのでなければ、チラシを手に入れることは困難だ。

それで私はしばしば、演奏会当日に、会場でチラシを手に入れるように努力している。
公演の行われるホールによっては、その日の公演チラシが置いてあるからだ。
しかし皆、考えることは同じらしくて、去年ポゴレリチのリサイタルに行ったとき、
入場した途端、主催者側の机の上に出してあった当日のポゴレリチのチラシは、
私の目の前でものすごい勢いで無くなっていた。
今年の初めにStudio Life『11人いる!』に行ったときも、同様の現象が起きていた。
チケットとは違って、チラシは多くの場合カラーで、写真や出演者一覧も掲載されているし、
裏面の解説やエッセイ部分なども、ほかでは見ることのできない情報なのだから、
チラシというのは、全くもって貴重な資料なのだ、公演を楽しむ者にしてみれば(笑)。

もうひとつ風情がないと思うのは、先にも書いたが
最近のチケットが「公演名や日時・席番などを印刷した紙」に過ぎない、ということだ。
80年代にチケットぴあ・チケットセゾン等が台頭して来てから、この傾向が顕著になって、
今では、出演者の顔写真や公演タイトルのロゴをあしらったチケットなど
滅多にお目にかかれなくなった。
その点、私の知っている範囲では宝塚の広島公演を扱っている中国芸能だけは、
ぴあ等で買った、印字のみのチケットを当日窓口に提示して頼めば、
主催者側の販売する写真入りチケットに該当の席番を記入して、交換してくれる。
観客動員数の限られる地方公演だから可能なことなのかもしれないが、
こういうサービスはファンとしては本当に嬉しいものだ。

この道楽記録ファイルは、後になって取り出して眺めると、また格別だ。
私は将来のためにチラシやチケットを収集・保管していると言っても過言ではない。
何年か経ったのちにファイルをひもとき、かつて集めたチラシやチケットを見直してみれば、
公演そのものの思い出は勿論のこと、当時の自分の状況や、その頃の思い、
家族や友人に関する周辺の出来事の数々までもが思い出され、なかなかに味わい深いのだ。
旧・宝塚大劇場の三階って800円だったのか、旧・東宝のD席って1100円だったのか、
などと改めて思い出して、現状が腹立たしくなることも、ときにはある(汗)。

むろん、アーティスト本人についても、チラシやチケットの写真・記載事項が、
多くのことを物語り、思い出させてくれる。
ポゴレリチなんて、ヘア・スタイルと体型の変遷だけでも十分に楽しめる。
チラシのときの予定曲目なんか、結局ほとんど弾いてへんやん、とかも(殴)。
また、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーとか尾上菊五郎とかは、
二十年くらいは軽く同じ写真ちゃうか、と気づいたりなんかも、できる(逃)。

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