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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



どうしても『ノバ・ボサ・ノバ』が観たくて、博多まで行って来た。
私はこのショーが、宝塚の演目の中でも特に好きなのだ
本当はこの公演を、4月のKISS神戸公演に合わせて大劇場で観るつもりだったのに、
KISSが突然に来日を中止したものだから(涙)、私の計画も台無しになった。
それで、コレは「観んでええ」という天の声かと、一旦は諦めかけたのだが、
なんと有り難いことに、今回の演目には博多座公演というチャンスがあった。
おお、これぞ天の助け(涙)。

たかこ(和央ようか)さんが退団して以来、私は宝塚の誰にもハマってはいないが、
宝塚歌劇というジャンルは、自分なりの見方もあるし、今でも大好きだ。
そして現在5人いるトップの中では、私は今回主演の、
れおん(柚希礼音)くんが一番気に入っている。
若くて、ダンスが熱くて、歌を聴かせることが出来て、なおかつ男役の型もある、
という意味で、れおんくんは私が久しく待っていた「男役らしい男役」だからだ。

私はこの人を初舞台から知っている。
彼女の初舞台こそ、99年雪組の『ノバ・ボサ・ノバ』だった。
そして続演の月組『ノバ・ボサ・ノバ』のときには、れおんくんは、
新人公演ではあったが出世役と言われるドアボーイ役を務めた
(大昔には麻実れいや寿ひずるなどが貰った役だ) 。
そもそも彼女は、入団前の音楽学校文化祭のときから名前を知られていて、
「あれは凄い、きっと何かになる」と私の周囲でも何人かの人が早くから言っていた。
だから私は彼女がスターになることを疑ったことなど一度もなかった。
けれど、よもや彼女が、『ノバ・ボサ・ノバ』で主演する日が来ようとは!

……と、これだけ熱く語っていながら、実は私は今回、主演者以外のことは、
配役も何も確認せず、予備知識一切ナシで博多に行ってしまった。
特定生徒さんのファンでなくなって久しいので、私は彼女達のポジションにも興味が無く、
むしろ自分の知っている作品・好きな作品を観ることのほうが、近年は楽しいのだ。
それでも、相手役のエストレーラが夢咲ねねちゃんだというのはわかっていたのだが、
二番手格のオーロは誰?マールやブリーザ、メール夫人は役替わり?というあたりは
全く確かめずに出かけた。
それで、見始めた印象として最初に思ったのが、
ソールは予想通りだから良いとして、オーロの存在感があまり濃くない、
ということだった。

私は、スータン(真帆志ぶき)初演で伝説になった昭和の公演はどれも観ていなくて、
知っているのは99年の雪組と月組だけなのだが、
雪組のタータン(香寿たつき)も月組のリカ(紫吹淳)ちゃんも、
それはそれは濃いオーロを見せてくれて、私は大好きだった。
特にリカちゃんのオーロは、登場時の立ち姿も素晴らしかったが、
それとともに一瞬、まぶしげに顔をゆがめて視線を上げるところにシビれたものだ(笑)。
熱い太陽の降り注ぐ様が、魔法のように再現されて感じられたからだ。
……つまるところ私は、リカちゃんが相当好きだったのだねぇ(苦笑)。

そうした印象からすると、今回のオーロは実に綺麗だったけれど、
私の求めるオーロの基準からすると、とてもおとなしいものに思われた。
あとで配役を見たら、この公演でのオーロはダブルキャストになっていて、
きょうは夢乃聖夏、もうひとりのオーロは紅ゆずるだった。
れおんくんとの学年差から来る遠慮があったのか、
それともああいう一見地味なところにこそ、夢ちゃんの持ち味があったのか、
そのあたりのことは、きょう一度見ただけでは私にはわからなかった。

一方、期待通り、いや、それ以上だったのがルーア神父のすずみん(涼紫央)で、
私は彼女については、配役など見ていなくても出てきた瞬間にわかった。
そして、ルーア神父は「ユーモラス、でも正統派の二枚目のつくりでいて欲しい」、
という私の密かな願望にぴたりと答えてくれていたすずみんに感動した(笑)。

**********

書きたいことが多すぎて、今夜は時間切れだ。
また明日、続きを(笑)。

きょうたったひとつ残念だったのは、隣の席の人が、
キョーレツにサロンパスのニオイを発散していたことだった。
香水よりは100倍耐えられたが、しかしまるで、
さながらサロンパスを三枚ばかり、鼻の前につきつけられたかのような状態で、
「リオのカーニバルに中国の旧正月が混ざった」みたいな舞台を、
延々と見せられるのは、かなり厳しいものが、あった(笑)。
今もまだ、なんだかニオイが目の前に漂ってきている気がする。

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朝は、いつもの漢詩の会に出かけた。
8月はこのあとお盆が入るので、会も月末までお休みだ。
今年度前半は李白と杜甫をやって来て、きょう最後に先生が、
「敗戦でそれまでのすべてがすっかり違ってしまったと思ったとき、
私を励ましてくれたのが、『春望』だったもんです」
と、ふと仰った。

詩聖・杜甫といえども、自分の五言律詩が、遙か後の20世紀になってから、
日本の陸軍幼年学校出身の少年に力を与えることになろうとは、
夢にも想像したことなどなかっただろう。
そして21世紀の今、高齢になった、そのかつての少年に指導されて、
私のような一般人のオバさんがまた、杜甫の世界に思いを馳せている、
などということがあろうとは。
こういう作品が時代を超えて伝えられてきたなんて、全く偉大なことだ。
文字の文化に感謝しなくては。

そして今年度後半からは、もうひとり、日本人の心に大きな影響を与えた詩人として、
白楽天の作品をいくつか取り上げようと思う、とも先生は仰っていた。
秋から、また楽しみだ。

**************

会のあと、八丁堀で昼食のパンを買い、炎天下を歩いて一旦帰って、
午後からは今度は、近所の音楽大学の大学院修了演奏会を聴きに行った。
大学院の修了演奏会ともなれば、既に立派なリサイタル形式で、
演奏技術だけでなく、自分の持ち時間を演奏会としてどう構成し、
聴衆にどこまで聴かせることができるかをも、問われる内容だった。
きょうは友人知人絡みもあって、打楽器専攻の方の演奏を聴かせて貰ったのだが、
多彩な選曲のうえ、一曲ごとのムードの切り替えも見事で、聴き応えがあった。

私はパーカッションなど全く知識が無く、自分で演奏できるものも無いが、
マリンバはピアノとよく似た面があるのだなと聴きながら思った。
叩いた瞬間が最大音で、あとは減衰に向かうという特性も似ているし、
旋律線の際立たせ方、内声の彩りなどの、音の組み立てへの感覚も、
マリンバにはピアノに通じるものがあり、聴いていて面白かった。

……暑い中、午前も午後も出歩いたら、夕方には疲れが出て眠くなった(殴)。

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そろそろ、製作を開始しなければならない。
娘の学校の、恒例・文化祭PTAバザーに出す手作り品を。

娘の学校のPTAバザーに関しては、
中1と高2の保護者が手作り品を出すように割り当てられており、
手芸品やお菓子など、それぞれ得意なものを作れば良いことになっている。
あとの学年は、特に希望や自信があって手作り品を選択する場合以外は、
家にある余剰品(新品限定)を提供するように決められている。
このところの3年間は、私もそれでラクな思いをして来たわけだ(殴)。

思い返せば、娘が中1のときは、私はマフラーと帽子を編んで出した。
どこのどなたが買って下さったか不明だが、
最終的に手作り品も含めて「完売だった」と聞いているので、
とにかく売れたのだろうと思われる。
最後の時間帯になってからの、半額見切り品としてだったかもしれないが(涙)。

私はいわゆる女らしいところが少なくて、
料理するのは大嫌いだし、化粧もせず、服装の趣味も無い。
しかしどういうわけか、編み物だけは嫌いでないのだ。
勿論、厳密に言えば、料理だの編み物だのを「女らしい」と定義することは
フェミニズムの観点からは好ましくないと、一応、理解しているが、
しかしまあ、世の中、編み物に熱中する人々の多くは、やはり女性だろう(^_^;。

私は「彼氏にセーターを編んであげる」ことはしなかったが
(というより彼氏というもの自体が居なかったが・爆)、
学生の頃は自分の時間がたくさんあったので、よく、
好みのセーターを自分で編んで着ていたものだった。
毛糸代だけで済み経済的だし、少しずつ編む楽しみも大きかった。

それで、だ。
今年は、mixiの若いお友達の日記と写真で、
彼女が小さいお子さんのために夏の帽子を編んでいらしたのを見て、
とても心惹かれ、自分でも作ってみたくなった。
エコアンダリヤという特殊な糸を用いてかぎ針で編む帽子で、
風合いもあまり手作り感がなく、素朴だがなかなかお洒落だ。
彼女から注意点もいくつか教えて貰ったので、挑戦してみたいと思っている。
巧くできるかどうかわからないが、製作自体が楽しそうだし、
無事完成のあかつきには、これをPTAバザーに出せば一石二鳥だ。

しかしこれだと、やや問題かなと思うのは、
バザーが晩秋なのに、出品作品が「夏用」だということだが……(汗)。

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今朝、中途半端に空いた時間があったので、
2011年用「道楽記録」のファイルを整理した。
私は二十代の頃から、A4サイズのポケット式クリアファイルに
自分の観た・聴いた公演や映画のチラシと、そのときのチケット半券や封筒等々を
日付順に入れて残しておく趣味があって、それは今も細々と続いているのだ。
厳密に言えば、結婚してからは、途中、転勤や育児や介護で忙し過ぎて、
チラシなど整頓して取っておく余裕が無かった時期もあったのだが、
ここ数年ようやく、またこういうことを再開できるようになった。

ファイルの中身は原則的に日付順で、ジャンル別にはしていないので、
頼山陽資料館のチラシの次に宝塚雪組『ロミオとジュリエット』があったり、
広島交響楽団の隣がT.M.Revolution(西川貴教)だったりするのだが、
それもまた、自分の雑多な楽しみの記録として貴重なものだと思っている。
また、宝塚の場合は、チケットを出演者の生徒さん個人のファンクラブ経由で買えば、
公演名とファンクラブ名の入った独自のデザインのチケット封筒に入れてくれるし、
場合によってはその生徒さん直筆のメッセージ(の印刷)も同封してくれたりするので、
コレクションとしてはまたひと味違い、まことに楽しいものだ。

近年、不満に思っているのは、電話やネットで「ぴあ」「eプラス」を利用することが増え、
そのためにチラシを手に入れることが実に難しくなった、という点だ。
プレイガイドに出向いて買ったり、招聘元や主催者に直接電話して買うことが可能なら、
チラシが店頭にあったり、或いは言わなくても同封して送付して貰えたりするが、
「ぴあ」「eプラス」はそういうことには全く無頓着で、
「公演名・日時・席番などを印刷した紙」としてのチケットを発行してくれるのみだ。
それで、ポゴレリチの公演のときは特に、私はカジモト・イープラスに迫って(笑)
チラシを送ってくれるようにと、平身低頭して(←電話だから見えないが)頼んだりしている。
だが普通の場合、公演地に住んでいるのでなければ、チラシを手に入れることは困難だ。

それで私はしばしば、演奏会当日に、会場でチラシを手に入れるように努力している。
公演の行われるホールによっては、その日の公演チラシが置いてあるからだ。
しかし皆、考えることは同じらしくて、去年ポゴレリチのリサイタルに行ったとき、
入場した途端、主催者側の机の上に出してあった当日のポゴレリチのチラシは、
私の目の前でものすごい勢いで無くなっていた。
今年の初めにStudio Life『11人いる!』に行ったときも、同様の現象が起きていた。
チケットとは違って、チラシは多くの場合カラーで、写真や出演者一覧も掲載されているし、
裏面の解説やエッセイ部分なども、ほかでは見ることのできない情報なのだから、
チラシというのは、全くもって貴重な資料なのだ、公演を楽しむ者にしてみれば(笑)。

もうひとつ風情がないと思うのは、先にも書いたが
最近のチケットが「公演名や日時・席番などを印刷した紙」に過ぎない、ということだ。
80年代にチケットぴあ・チケットセゾン等が台頭して来てから、この傾向が顕著になって、
今では、出演者の顔写真や公演タイトルのロゴをあしらったチケットなど
滅多にお目にかかれなくなった。
その点、私の知っている範囲では宝塚の広島公演を扱っている中国芸能だけは、
ぴあ等で買った、印字のみのチケットを当日窓口に提示して頼めば、
主催者側の販売する写真入りチケットに該当の席番を記入して、交換してくれる。
観客動員数の限られる地方公演だから可能なことなのかもしれないが、
こういうサービスはファンとしては本当に嬉しいものだ。

この道楽記録ファイルは、後になって取り出して眺めると、また格別だ。
私は将来のためにチラシやチケットを収集・保管していると言っても過言ではない。
何年か経ったのちにファイルをひもとき、かつて集めたチラシやチケットを見直してみれば、
公演そのものの思い出は勿論のこと、当時の自分の状況や、その頃の思い、
家族や友人に関する周辺の出来事の数々までもが思い出され、なかなかに味わい深いのだ。
旧・宝塚大劇場の三階って800円だったのか、旧・東宝のD席って1100円だったのか、
などと改めて思い出して、現状が腹立たしくなることも、ときにはある(汗)。

むろん、アーティスト本人についても、チラシやチケットの写真・記載事項が、
多くのことを物語り、思い出させてくれる。
ポゴレリチなんて、ヘア・スタイルと体型の変遷だけでも十分に楽しめる。
チラシのときの予定曲目なんか、結局ほとんど弾いてへんやん、とかも(殴)。
また、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーとか尾上菊五郎とかは、
二十年くらいは軽く同じ写真ちゃうか、と気づいたりなんかも、できる(逃)。

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