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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



BBCが刊行している月刊誌「BBC MUSIC MAGAZINE」に
『ピアニスト100人が選ぶ「ピアニストBest3」』という記事が出ている
ということと、その内容とを、昨日ツイッターを読んでいて知った。
選ぶ側の100人が誰か、そして彼らが選んだのは誰なのか、
両面から、なかなかに興味深い企画だった。

しかし何より、ポゴレリチ・ファンとして、最初に考えることは決まっている。
ポゴ氏本人はそこに参加しているのか、また、彼を選ぶピアニストは居るのか。

まず、イーヴォ・ポゴレリチは「選ぶ側」には居なかった。
選者の掲載はアルファベット順なので、アンスネス、アシュケナージ、ブレンデル、
等々と進んでいきPの項に来たが、ピリス、プレトニョフ、プレスラー、
……「ポ」の人は、載っていなかった(苦笑)。

一方、ポゴレリチを「三傑」の一人として選んでくれた(笑)ピアニストは
なんと、三人もいた。
ここだけの話、私は彼を選ぶ人なんか居ないんじゃないかと思っていたのだが(逃)。

ジェイムズ・ローズ(James Rhodes): グールド ポゴレリチ ソコロフ
サー·チェン(Sa Chen): ポゴレリチ ソコロフ アルゲリッチ
ユジャ・ワン(Yuja Wang): ホロヴィッツ ラフマニノフ ポゴレリチ

なかなか個性あふれる三人から指名を受け、ポゴ・ファンとして嬉しい(涙)。
しかも、そうそうたる顔ぶれの中に入れて貰っている!
ありがとう、ありがとう皆さん!
……あ、いや、私のコレは、なんだかもう、ほとんど身内か何かのような喜び方だ。
こういうことで礼を言う立場じゃないだろうが私は。イタ過ぎるぞ。

チェン・サー(という呼び方のほうが私は馴染みだ)は、いつだったかYouTubeで、
フー・ツォンのレッスンを受けている動画を観たが、
今回はまた意外なところで彼女の名を見ることになったものだ。
また、ジェイムズ・ローズとチェン・サーの二人共が揃って、
ポゴレリチと同時にソコロフを挙げているのが、私は大変興味深く思われた
(ソコロフは多分、世界最高のピアニストのひとりだろうと私も思っているのだが、
彼はもうずっと長い間来日していなくて、私は彼の実演を聴いたことがない)。
その一方で、ユジャ・ワンの並べ方はあまりにも強烈だった。
ポゴレリチ以外の二人は超のつく大御所で、しかも、もう、死んでいる(爆)。

そういえば、以前デヴィッド・デュバルの『ホロヴィッツの夕べ』という本に、
当時ポゴレリチ夫人だった故アリス・ケジュラッゼの発言に関する逸話が載っていて、
何かのコンクールの審査員としてデュバルと同席したとき彼女は、
「20世紀には偉大なピアニストは三人しかいません。
ラフマニノフ、ホロヴィッツ、そしてポゴレリチ」
と言ってのけていたということだった。
いや~、こりゃ女史に褒められるな、ユジャ・ワン(爆)。
お姉さん、あなたはこのように書いて、まったく百点です!

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今朝はNHKラジオの語学講座の音声がとても悪かった。
こんなことは今まであまり無かったのだが、何があったのだろう。
と思っていたら、今度はネットの接続状況もひどく不安定であることがわかった。
さきほどからどのページも重いし、検索中に落ちてしまうことが三度繰り返された。

ネットワークモニタを起動してみたら、信号強度は十分あるようだったのだが、
再起動して復活させても、すぐまた切れてしまう。
このところ、家の近くでビルの建設工事をやっているのだが、
だんだん、その鉄筋が空高く伸びてきたのが原因ではあるまいか(汗)。
それか工事内容の関係で、電波障害を起こす箇所に触っているとかなんか。

フ○ッツ光プレミアムの無神経かつ執拗な宣伝電話に私がキレたせいで、
我が家は未だにADSLのままなのだが、考えてみると
これは電話回線だから工事の影響を受けやすいのではないだろうか。
今回の原因が何であれ、地元ケーブルテレビのふれ○いチャンネルに言って、
テレビだけでなくネットも込みで光ハイブリッドにして貰おうかと今朝は思った。
そろそろ潮時ではないか。どちみちADSLは将来的には使えなくなるのだろうし。

というわけで、また接続が落ちないうちに、この文章をUPしてみるテスト(汗)。

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我が家のコタツは92年製の正方形のヤツだ。
主人が、私と結婚する前から愛用していた品で
これまで、福岡→松江→神戸→今治→広島(官舎→マンション)と
ずっと我々と生活をともにして来た。
実によく働いてくれた。感謝、感謝だ。
それで、今年も和室にコタツを出して、主として私が使用しているのだが、
92年製ということは、そろそろ生誕20年になるワケで、人間なら成人式か?
コタツ的にはかなり高齢、これって正直な話、大丈夫なんでしょうか(大汗)。

そもそも先日、この冬初めて電気を入れることになった日、
私は掃除機で、こいつのヒーター部分のホコリを念入りに吸い取った。
普通の掃除機付属のアタッチメントでは、これほど細かい部分の掃除は出来ないが、
私はかねてより、サッシの溝用に『超すきまノズル』という秘密兵器を愛用しており
(エアコン清掃業者さんが「どこで買ったか」とお尋ねになったほどのモノである)、
今回は、これの一番細いノズルの先に、更に私が加工したストローを取り付け、
網目のひとつひとつ、穴の一箇所一箇所にいたるまで丹念にホコリを取った。
発作性頭位目眩が再発しそうなほど、細かくてシンドい作業であったorz。

それで、通電したら、とりあえずコタツは正常に機能している様子で、
現在までのところ、異臭もしないし煙も出ていないのだが(爆)、
しかし脳梗塞と一緒で、火を噴くとしたら予兆もなく一瞬なのではないか、
という恐怖が、私の中で、日々、募ってきた。

それで検索してみたら、『コタツ用 取替ヒーター』なるものが、
4000円ちょっとで販売されていることがわかった。
確かに、コタツが古くなるというのは木枠や脚が弱るのではなくて、
主として家電としての劣化の問題だけだから、ヒーターさえ取り替えればいいのだ。
商品には温度ヒューズ、電流ヒューズ内蔵で、脱臭プレートもついており、
取り付けさえうまくいけば、買い換えるよりずっと簡単にコタツが蘇る。らしい。

しかし、しかし。
こうやって素人が勝手に取り替えたり取り付けたりして、本当に大丈夫なんだろうか。
メーカー純正品ではないわけだから、火事にならないという保証はないし、
万が一そのようなことになった場合、PL法を問うことさえできないだろう。

悩ましい話だ。
やはりこの際、そろそろ新品を買うべきなのだろうか。
そう思って、価格comでコタツ新品を検索してみたら、
今使っているものと同サイズなら最安値では4000円台からあった(汗)。
なんだ。そうだったのか。
危険を冒して手数をかけて、汎用部品によるヒーター取り替えに挑戦するよりも、
値段的に違わないのだから新品を買いなさい、
と暖房の神様が仰せになっているらしい。
なんだか目からウロコが落ちた気分。

そもそも問題は、我が家でコタツを愛しているのが私ひとりだということだ(爆)。


追記:……という話をしていたら、夕方、主人は家電量販店にひとりで行った。
放置すると私が変な部品を買ってきて勝手にコタツを改良し、
挙げ句に火事を出すのではないか、と怖くなったようだった(笑)。
帰宅して言うには、確かに何でも良いなら75センチ角のコタツは5000円で買える、と。
今やコタツは家電の主力商品でなくなり、売り場の隅っこに押しやられていたそうだ。
ファンヒーターなどが昔より普及したからだろうか。
それとも、今時のマンションには和室のない間取りのところが多いのが理由か。
官舎なんか玄関以外3部屋とも和室なんて普通だったから、コタツが必需品だったが(汗)。


追記2:最近の安価なコタツには温度調節がついていなくて、
「on/off」機能しかない、ということを各種カタログを眺めていて知った。
二十年前のごく普通の製品である我が家のコタツには、「弱~1~7~強」まで、
無段階に温度調節できるコントローラーがついているというのに!
これに気がついてから、また買う気がかなり減退した。
せっかく新調するのに、機能が減るなんてどうも納得できない。

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4日にミック・カーンが亡くなり(元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去
彼の所属したバンドJapanのことを改めて思い出していたのだが、
1970年代後半は私にとって本当に洋楽が楽しかった時代だった。

海外のロックを聴くようになったきっかけは、
小学校6年生のとき友人から教えられたBay City Rollersで、
そのあとすぐに私はFMラジオ番組で偶然聴いたQUEENに強烈に魅せられ、
MusicLifeやRockShowなどの雑誌を小遣いで買うようになった。
月に一冊買うのが精一杯だったから、店頭で中身を見比べて、
読みたい記事や特集によってどちらかを買っていたものだった。
KISSにハマったのもだいたい同じ頃だった。

そんなときに衝撃的なデビューをしたのが、このJapanというバンドだった。
彼らのことは日本デビュー前から上記雑誌の記事で読んでおり、
デビューアルバム『果てしなき反抗』Adolescent Sex(1978年)も出てすぐ買った。
強烈に華やかなビジュアルから想像した割には、
正統派の音楽だと、中学2年生だった私には思われた

Japan - Transmission(youTube)
(アルバム1曲目Transmissionのイントロで、
いきなりの♪ダバダバダー♪のコーラスは相当ショーゲキ的だった・爆)。

ヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンの耽美的な容貌が話題になったが、
彼に負けず劣らず印象的だったのが、ベースのミック・カーンだった。
髪が真っ赤で、眉毛を剃り落としていて、女の子みたいな靴を履いていて、
プロフィールを見ればキプロス出身、本名はアンソニー・ミカエリデス、
音楽家であるだけでなく彫刻家でもあり、猫をこよなく愛し、
大変な読書家で、オフには一日で何冊も読み終えるほど没頭しているとか、
……とにかくミステリアスな存在だった。
独特のベースプレイが話題になったが、それも実は完全な独学で、
ミックは楽譜を読むことを全く知らない、……これにも私はシビれた(笑)。

Japan - Don't Rain On My Parade(YouTube)
(デビューアルバムでこの選曲ってどうよ!?と(汗)。Japanは実に面白いバンドだった。
ちなみにこのときの映像ではミック・カーンは金髪に近い感じだ)

今こうして改めて聴いてみると、初期のJapanにはパンクに通じるものがあると思うし、
彼らが黒人音楽を敬愛していただろうということも感じ取れるのだが、
このあと彼らは更に独自の音楽を開拓し、ある意味では洗練されたバンドへと変貌する。
特に電子系に活路を見出して、積極的にシンセサイザーを使用するようになって行き、
そのことで、私は逆に彼らに対する熱い関心を失うのだが、
Japanの欧米での成功はむしろ後半の時期になってからだったし、
更に彼らは坂本龍一や高橋幸宏、土屋昌巳らとも交流を持つようになり、
日本での話題も、80年代初頭まで盛り上がっていたと記憶している。

**********************

ところでミック・カーンもデヴィッド・シルヴィアンも1958年生まれなのだが、
日本の1958年というと、しりあがり寿が元日に生まれた……、のはどうでもよくて(爆)、
東京タワー竣工、皇太子明仁親王と正田美智子さんご婚約、等のあった年だ。
この年にはほかにも後の偉大なスターが大勢、誕生している。
マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、ケイト・ブッシュ、等々。
そしてクラシック音楽、特にピアノに関しても、
私にとっての重要な人たちが、奇しくも揃って1958年に生まれている。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ、ダン・タイ・ソン、ジャン・マルク=ルイサダ、
そして勿論、イーヴォ・ポゴレリチ。
いずれも、1980年前後から国際舞台に登場することになる人たちだ。

1964年生まれの私より少し年上で、若かった私が憧れるのに相応しい年代の人たちだった。
46歳になった私が52歳のミックの訃報を聞く、ということは当時考えもしなかったが、
これからも、こうしてときどき、自分の憧れだった誰か彼かを見送って、
そうしてやがては、遅かれ早かれ、こちらの寿命も尽きるわけだ、
と、いつも思うことをまた思った。
終わらない人生はないので、客観的には何も不思議なことではないし、
抵抗のしようもないことだが、やはりまだミック・カーンは、
お別れを言うような年齢ではなかったのにと、思わずにいられない。

Rest in Peace, Mick……

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娘はきょうから三学期が始まった。
高校部は本日は始業の礼拝と、休み明けテスト三科目。

娘の学校は昔ながらの三学期制で、かつ、土曜日も授業があるのだが、
毎月の「第二土曜日と第五土曜日」は休日と決まっている。
つまり、三学期は確かに始まったのだが、きょう行っただけで、
またこのあとは三連休なのだった。
「あー、終わった終わった。またしばらく行かんでええ
と娘は午後3時半頃に帰ってくるなり、言った(--#)。

しかし、休み明けテストの科目がまだ三科目残っていて、
それらは来週火曜日、つまり、この三連休明けにある。
だから今から三日間はテスト勉強をするべきなのであって、
断じて、お気楽な冬休みの続きではない。はずだ(汗)。

ちなみにきょうのテストは出来たのかどうかと訊ねると、
「んん。いや。まあ」
と、実に心許ない返答だった(--#)。
明日からの予定は?と訊ねたらば、
「明日は昼まで寝て、明後日も昼まで寝て、明明後日も昼まで寝て」
とのことだった(--#)(--#)。

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1月の講座が既に始まっている。
ラジオ講座に関する私本人の現在の熱意は、フランス語>中国語>英語、だ。
娘が二学期の期末考査後に『ラジオ英会話』を復活させたので、
テキスト共有の問題が再浮上、このあと私のほうは自然消滅の予感(笑)。
中国語はわかってもわからなくても気持ちよく聴いているが、
最近はテレビなどで中国語に触れると、四声や軽声を理解して聴けるようになり、
意味などわからずとも、何も知らなかった頃よりは進歩したと思っている。
あまりに小さな一歩だが(汗)。

フランス語の初級編は、ひきつづき小野潮先生とミカエルさんによる、
『サトシのナント留学記』で、半過去・関係代名詞・中性代名詞と、
だんだん、私の弱い箇所にさしかかりつつある。
特に中性代名詞、ここを脱しないと私のフランス語は永遠にループしてしまう、
とわかっているのだが、これまでのところどうしても定着率が悪く、
中性代名詞を使っての仏訳などには「げっ」という拒否反応が、未だにある。

応用編は、この1月から3カ月間の新シリーズが開講されて、
三浦信孝先生とドラ・トーザンさんによる『フランスの友達に語る日本』。
これは今の私には大変興味深い。
なぜなら、つい先日までやっていた通訳案内士の『日本事象』の分野を
平易なフランス語で行う、ということに近いからだ。
初回のきょうからいきなり「和」「根回し」「本音と建前」など出てきて
「日本人は『うつろいやすさ』を特に桜の季節に感じる」
「日本ではビジネスにおいても、理性や論理より信頼関係が重視される」
などなど、どっかで聞いた話(苦笑)が並んでいた。

「きょうの重要表現」では、本文に出てきた表現を使って、
和文仏訳を6題やるようになっているのだが、なかなか難しかった。
この箇所は予習しないと全然ダメだ、と思い知った。
その場でいきなりやろうとしたら、6題中2題しか正解できなかった。
あとは出だししか言えないでうろうろしているうちに、
正解が読み上げられて終わってしまった。解説も少なめだったし。
フランス語を急いで組み立てようとすると、私は瞬間的に、
まず英語(←勿論、不完全な)で考え、それを仏訳しようとしている、
という自分の脳内操作にも気がついた。
ダイレクトに瞬間仏訳ができないと、私は永遠に入門者のままだと思った。

*******************

ところで先日、娘の観ていたテレビ番組で言っていたが、
小さい頃から生育歴によってバイリンガルになった人とは違って、
大人になってから第二言語を習得した人は、その言語を話すとき、
脳内では母語のときと違う箇所を大いに使っているのだそうだ。
つまりそれは、ボケ防止には大変有効で、認知症になりにくい、と。
私はいつまで経っても外国語(これほど手間暇かけてきた英語でさえ)を使うと
甚だしい疲労感があり、日本語ほど無意識に喋ることは出来ないと思っていたが、
それはある意味で、脳のトレーニングには、なっていたようだ。
ならば、これからも恥を忍んで、拙い英語を使い続ける努力は、しよう。
大笑いな仏語も、少しでも上達できるよう、頑張る~。

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友人たちの中で、結婚後に自分の名前(ファーストネーム)を変えた人が二人いた。
夫の姓と合わせると非常に画数が悪くなるという、姓名判断的理由で、
ひとりはファーストネーム自体を全く新しいものに変え
(つまり結婚に際して姓名ともに変わったわけだ)、
もうひとりは響きは同じままで、これまでとは違う漢字を当てることになった。
奇しくも、どちらも「お嫁さんの名前は良くない」という夫側の親族の意見があって、
波風を立てないため、通称としての改名をした、という経緯だった。

そのうちのひとりは、数年後に離婚をし、旧姓に戻ったので、
変えたファーストネームも、そのときもとのものに戻した。
姓名判断に従って吉相の名前にした筈だが、その効果がなかったのか、
効果があったからこそ離婚程度で済んだ(?)のか。
ちなみに彼女はこのあと再婚をして、今は大変幸せに暮らしており、
今度のご主人の姓は画数の問題はなかったのか、もう気にしていないのか、
聞いていないから不明だが、とにかく現在の彼女の名前は、
娘時代の本来のファーストネーム+ご主人の姓、という組み合わせだ。

そして今年の年賀状を見たら、改名したもうひとりの友人も、
二十年ぶりくらいに、もとのファーストネームに戻っていた。
こちらは離婚はしていないし、姓もずっとご主人の名字で、そのままなのだが、
ファーストネームを、結婚以前の自分のものに戻していた。
いちばん強く意見を言った、夫側の親族がトシを取って穏やかになり、
もう名前のことでウルサく言って来なくなったので、とのことだった(爆)。

この二人の場合、もし「夫婦別姓」が法的に可能だったら、
こんなに悩むことはなかったのかもしれないな、と私は思ったこともあったが、
しかしヨメの名の画数のことまでとやかく言う親戚がムコ側についていたら、
それこそ「夫の姓にしないなんて!」と非難ゴウゴウだっただろうから
結局のところ、揉めたり困ったりするという点では同じだったのかもしれない、
とも思った。

一方、これまた別の友人は、独身時代、
姓名判断の結果が、どの角度から見ても見事なほど最悪だったのだそうで、
いやなことがあるたびに、厄除けに行ったりハンコをつくったり、
それはそれはいろいろと苦労をしていた。
だから彼女は数年前の結婚に際し、大喜びで夫側の姓に変えた。
彼女に限っては「絶対に自分の姓はもうイヤ」と強く言っていたので、
大変に積極的に夫の姓を選択したのだった。
改姓が功を奏したのかどうか知らないが(笑)、彼女は今、
優しいご主人と可愛いお嬢さんとで、とても幸せな家庭を営んでいる。

別に私はここで、夫婦の姓に関してイデオロギー的な話をしたいわけではないし、
画数のもたらす運について、スピリチュアルな結論があるわけでもない。
ただ、みんな紆余曲折を経ても、最後には本人の望んだところに落ち着く、
ということかなと、今年戴いたお年賀状の名前の記載を眺めながら思った。
姓にしても名にしても、変えるのが良いのか良くないのかの基準については、
本人が自分の名に納得できるかどうかが、まず大事なのではないだろうか。

ちなみに私自身、姓名判断では結婚後の名前(夫の姓プラス自分の名)は
大変よろしいとは言い難いものだった。
と言って、旧姓のほうで見ても、あちこち穴のあるショボい画数ではあったので、
改姓さえしなければ良い、というものでもなかったのだけれど。
唯一、名のほうをひらがな書きにすれば、夫の姓との相性が大吉になる、
という解決方法はあったのだが、いろいろ考えた末、私はそうしなかった。
理由は、「姓名判断は画数だけで考えてはいけない」という説を
当時、ある本で読んだからだった。

「姓名」は、確かに本人固有のものだし、人生に何かをもたらすほど大切、
と考えること自体は妥当だが(とその本は言っていた)、
良い名前かどうかを判断するには、画数だけでなく、字の持つ意味や組み合わせ、
読んだときの響きなど、様々な角度から見なくてはならないのだそうだ。
つまり「太郎(たろう)」と「犬郎(いぬろう)」が全く同じものだとは到底言えない、
と理解することにより、私は大いに説得されたのだった(笑)。

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TM西川貴教が急性声帯炎、ツイッターで報告(Searchina)
『T.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)の西川貴教(40)が4日、急性声帯炎を患ったことを自身のツイッターで明らかにした。西川は「残念なお知らせです…年末から年始まで、いろいろと立て込んでたんで喉を酷使し過ぎてしまいました…プロとして情けない…」と綴り、診断書の写真を公開した。』

ツイッターで西川氏をフォローしているので、私もそのツイートと診断書を見た。
『急性声帯炎 左側声帯ポリープ(形成の初期所見)』という診断で、
『一週間の沈黙療法』が必要だと書かれてあった。
西川氏は年末から男性限定ライブがあって疲れていたうえ、
発熱のあと風邪症状が出ていたところを、連日のリハーサル、
元日と2日の武道館公演から引き続いてのBASARA5周年、という毎日だったので、
ツイッターで経過を読んでいただけの私のような者でも、
これは相当キテいるのだろうなと、想像はしていた。

ツイッターやmixiに見る限り、お正月の武道館に関するファンの感想は
いつにもまして盛り上がっていて、
『あの曲が聴けるとは』『涙が出た』
等々の書き込みもたくさんあり、公演が大成功であったことは感じられたが、
さしもの西川氏も、やはりタダでは済まなかったようだ。
西川氏の喉が驚異的に強いのは私もよくよく知っているが、
こういうときは何をおいても休養しなくてはいけない。
『公演に穴を空けない』ことと同じくらい、
『ひくべきときには、ひく決断をする』こともプロならばこそ重要なのだから。

5月の連休はT.M.R.の北九州公演に引っかけて長崎観光をしよう、
と、つい昨日、家族で決めたところだったので、
西川氏にはこの機会に休養・治療に努めて戴き
十分に回復されますようにと祈っている。
今では私より娘のほうが更に熱い熱いTMファンなので、
娘の生き甲斐のためにも、何卒よろしくお願いします(笑)。

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今年は春からクラシック音楽関連映画がいろいろと公開されるようだ。
そのうちいくつが広島に来てくれるのか(泣)。

ショパン 愛と哀しみの旋律
青年ショパンの成功、ジョルジュ・サンドとの愛、闘病、破局、
……のあたりが物語の中心であるようだ。
ショパンの生涯は、ピアノを聴く人なら大抵、概略を知っているだろうけれど、
映画となれば独自の角度から美しく(多分・笑)描かれていることだろうと思う。
使われている演奏はヤーヌシュ・オレイニチャクと横山幸雄のものが大半のようだ。
オレイニチャクはポーランド出身で第8回ショパンコンクールの本選第6位入賞
(このときは優勝がギャリック・オールソン、2位が内田光子、3位がピオトル・パレチニ)、
横山幸雄のほうは日本の音楽ファンなら知らない人は居ないだろう。
『雨だれ』だけはショパン役のピョートル・アダムチク本人の演奏らしい。

ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路
これも観たいと思っているのだが、公式サイトが見つけられなかった。
2011年春公開、としか決まっていないようなので、探すにはまだ早過ぎただろうか。
モーツァルトに姉がいたことは、肖像画などから有名だと思うのだが、
その実像はほとんど伝えられていない。
モーツァルトの時代は、女性の職業音楽家など存在しなかったし、
そもそも作曲家や演奏家自体が、王や貴族に雇われて働くものだったから、
現在我々が考えるような「芸術活動」は、まだ彼らのものではなかった
(「モーツァルトとベートーヴェン」(中川右介・著、青春新書)に詳しい)。
残っている乏しい記録から、ナンネルは才能に恵まれていたと思われるが、
残念なことに、時代が彼女の活躍を許さなかった。
こういう話をあまりフェミニズム寄りに語られると、鼻につくことが多いのだが、
女というだけで、希有な才能が理不尽に葬られた事例は多かっただろう、
という残念さは、やはり強く感じる。

マーラー 君に捧げるアダージョ
マーラーですら没後100年、ということに驚いてしまった。
私の中ではマーラーというのはかなり現在に近い存在で、
ポゴレリチの言う『創造』の時代が去り『再生』の時期が来てもなお、
『創造』をなしえていた数少ない作曲家、という印象があったのだが、
そのマーラーでさえ、一世紀前に亡くなった人だったのだ。
映画では、精神科医フロイトを相手に、マーラーが自分と妻の人生を語る、
という設定で物語が始まるようだ。
これも公式サイトがまだオープンしていなくて詳細がわからないのだが、
果たして、広島での上映はあるのだろうか。

*************

それにしても、こうして並べてみると『愛』と『哀しみ』は多いのだな(爆)。
KISSならなんでも「地獄なんとか」になってしまうように、
外国映画が日本に来ると、『愛と哀しみ』に当たる確率が高いようだ。
『愛と哀しみの果て』『愛と哀しみのボレロ』『愛と哀しみの旅路』、
ちなみに使われる漢字は「悲しみ」ではなく「哀しみ」が定番だ。

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我が家では「正月料理」というものは、ない。
究極の偏りグルメである主人が、「お節料理」全般を全く受け付けないからだ。
彼は、料理はすべて「できたてを食べる」と厳格なルールを持っており、
何時間も前に出来上がってお重の中で冷たくなったようなものは口にしない。
同じ理由で、この男は「弁当」というものも一切評価していない。
「冷めても美味しい」などという概念は、彼の中には存在しない。
仮に冷製スープやサラダやカルパッチョなどの、冷たい料理であっても、
必要な時間だけ寝かせ、適温に冷やしたものを、時を移さず食べてこそであって、
そのタイミングを一旦逃せば、もう不味いから食う価値はないそうだ。

私自身は、煮物や栗きんとん、だし巻き卵にカマボコなど、
お節の定番メニューは嫌いではなく、中にはとても懐かしいものもあるし、
綺麗なお節料理を見れば、「お正月だなあ」と良い気分になる。
だから正直なところ、小さいお重くらい用意してもいいじゃないかと思うのだが、
主人がとにかく「食わん」「要らん」と言うものだから、
結婚以来、うちでは「お節料理」がお正月の食卓を飾ったことはない。
仕方がないから娘には、デパートの展示見本やカタログなど見せて、
こういう品目の入ったものがお節だよと、最低限の教育(爆)はしてみたが、
娘も娘で、「食べたい」とは全く言わなかった。どうなっているのか。
将来(常識的な家に)ヨメに行ったら、困るぞオマエ。

主人はまた、餅に関してもいろいろとウルサくて、「雑煮」を好まない。
彼の流儀では、餅は網で焼いて、外側がパリっと、内側はアツアツ、
という状態にして、焼きたてに醤油をふって香りをたてて食べることになっている。
汁の中でベタベタになったものなど餅ではないそうだ。
なんでそういう感覚なのか不思議でしょうがない。
勿論、ふっくらと焼けたお餅は美味しいが、
私は白味噌でもおすましでも、煮た餅だって好きだ。
実家では味噌仕立てで蛤を入れたお雑煮が元旦の定番だった。
別に我が母の手料理を殊更に懐かしんでいるわけではないが、
お正月なんだからお雑煮があれば気分が出るのに、と私は毎年、微かに思う。

それで一体、元日から我が家は何を食べているのかというと、
これがもう、全く、いつも通りだ。
例えば夕食だと、御飯を炊いて(炊きたてでないと主人は嬉しくない)、
年末に買った魚の粕漬けが六切れあったので、それらをその都度焼いて、
サラダや天ぷらなど添えたものを、この二日ほど食べた(主人は牛も豚も嫌いだ)。
今夜は、炊き込み御飯をしようと言ったら、一旦は賛成が得られたが、
私の提案した鶏とゴボウを入れたものは却下され、キノコ主体でやることになり、
それにホタテ貝柱とキュウリの中華風炒め物をつけることになった。
全然正月でもなんでもない献立だ。

『遠慮しんさんな、こんにが食べんでも、あんたが食べたいものを食べりゃええんよ』
と舅も姑も私に幾度も言ってくれたのだが、
すみません、私は、そもそも料理をすることがとても嫌いなのです。
やれ、お節があればだの、雑煮が恋しいだのと言っていても、所詮はイメージ先行の話で、
「どうせ作るのなら、そういうものが正月らしくて良いのになあ」という程度のことだ。
私自身は本来、コンビニで売っているものをチンして食べても痛痒を感じない人間だ。
美味いものを食べればそれはそれで大変幸せではあるが、
美食しなくても、というより空腹を癒やすことさえできれば、
食事の内容なんか何であっても私は全く不幸にならない。

自分ひとりのためなら料理するよりサボりたい。
台所に立つくらいなら、サプリを食事がわりにしてでも、ごろごろしていたい、
というダメ人間が私の正体だ(汗)。
だから、私しか食べる人間がいないのでは、調理という苦行を果たす甲斐がない。
主人(や娘)が「御飯を食べた」と納得してくれて初めて、私は仕事から解放されるのだ。

我が家では「火の神」は怒りまくりだろう。
元旦から、お構いなしにボンボン炊いているので。

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