転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



自分の子供を「ちび」という親(発言小町)という文章に偶然出会って、
いろいろな感覚があるのだなと、ちょっと感心したというか驚いたというか。
この「トピ主」氏は、自分の子供を「ちび」と表現する親がいることが不思議で、
どういう心境なのかと疑問に思っているのだそうで、
『わたしから見ると、自分の子供を「所有物」としてみているような、
支配欲が出ている言葉のように感じるのですが……』と書いている。

私自身は、うちの娘を「ちび」と表現したことはないが、
……というか娘は赤ん坊の頃から、月齢の割に身長のある子だったので、
「ちび」という呼び名がどうも、そぐわなかった、とも言えるのだが、
この呼び方そのものには、私は全く悪い印象は持っていない。
周囲で、自分の家の子をそう呼ぶ人がいても、不快なものを感じたことはない。
回答でも複数の方が書かれているように、
「うちの、可愛い、ちっちゃな子」という気持ちが根底にあって、
それを「愚息」的に、人様の手前、へりくだって言っている言葉だと思う。

しかし、他人が親として自分の子を「ちび」と呼ぶことを、
端で聞いていて不快に思う人がいる、
というのは私にとっては新しい発見だった。
場合によっては、将来的に、配慮せねばならない場面があるかもしれない。
とりあえず、このことは記憶しておこう(笑)。

「ちび」よりも私が多少ひっかかるのは、ネットでよくある、
息子さんを「王子」、娘さんを「姫」と呼んでいる親御さんのほうだ。
確かに、どの子だって親にとっては掛け替えのない大切な存在だし、
またそうでなくては不幸なのだから、心情的にはよくよくわかるのだが、
しかしそれは、親の心の中だけの、秘すべき次元の話に近いのではないのか。

よそのお宅では、その家の子こそ「王子」「姫」なのであって、
その家では、うちの子たちは「王子」や「姫」には、なり得ない。
なのにその部分をないがしろにして、無頓着に、
我が子を「王子」「姫」と呼ぶ「我が家の世界」を読者一般に共有させる、
というのは、どうなのかな、という感じが、正直なところ私にはある。
今風に言えば「イタいよな~」と思うわけだ。
うちの子も「王子」、相手の子も「王子」、お互い「王子」なのだからいいのよ!
という理屈なのだろうとは想像できるが、
やはり、「王子が」「姫が」という文章を読んでいると、
これがある種のノリで済むか済まないか、の境界線には、
もう少し繊細な配慮があっても良いのでは、と感じてしまう。

もうひとつ、私は、よく見かける「子どもをつくる」「子づくりをする」
などの言い方が、昔からかなり嫌いだ。
これにはハッキリと嫌悪感がある。
芸能ゴシップで「女優○○が子づくり解禁!」などと書いてあるのは、
もともと、そういう下品な勢いで読者を引きつける手法だから仕方がないが、
ごく普通の人が「もう○歳だし、早く子どもをつくらなくちゃ!」
などと言うのを聞くと、私は、なんともいたたまれない気分になる。

新しい人間の命を、自分達の意志ひとつで簡単に「つくる」ことができる、
と考えるなんて、あまりにも畏れを知らない、思い上がった言い方ではないだろうか。
子供は、ひとつの奇跡のように、「授かる」ものだと私は思っている。
それを、ぬいぐるみやお菓子と大差なく「つくる」と表現するなんて、
ひどく感覚の荒い言葉使いだと思えて、私はこの言い方が以前から非常に嫌いだ。
「授かった」は、日常生活で使うには、いささか文語的な言い回しかもしれないが、
「子供が生まれた」「子供ができた」ならまだしも、「子どもをつくった」だなんて、
仮にも「人間」に対して、そんな言葉は使って欲しくないのだ。
これこそ、『自分の子供を「所有物」としてみている』言い方ではないか。
ちょいと粗雑に「つくった」ものが、「王子」や「姫」になるのだとしたら、
あまりに安っぽくて、滑稽でしかないと思う。

Trackback ( 0 )