我が家では「正月料理」というものは、ない。
究極の偏りグルメである主人が、「お節料理」全般を全く受け付けないからだ。
彼は、料理はすべて「できたてを食べる」と厳格なルールを持っており、
何時間も前に出来上がってお重の中で冷たくなったようなものは口にしない。
同じ理由で、この男は「弁当」というものも一切評価していない。
「冷めても美味しい」などという概念は、彼の中には存在しない。
仮に冷製スープやサラダやカルパッチョなどの、冷たい料理であっても、
必要な時間だけ寝かせ、適温に冷やしたものを、時を移さず食べてこそであって、
そのタイミングを一旦逃せば、もう不味いから食う価値はないそうだ。
私自身は、煮物や栗きんとん、だし巻き卵にカマボコなど、
お節の定番メニューは嫌いではなく、中にはとても懐かしいものもあるし、
綺麗なお節料理を見れば、「お正月だなあ」と良い気分になる。
だから正直なところ、小さいお重くらい用意してもいいじゃないかと思うのだが、
主人がとにかく「食わん」「要らん」と言うものだから、
結婚以来、うちでは「お節料理」がお正月の食卓を飾ったことはない。
仕方がないから娘には、デパートの展示見本やカタログなど見せて、
こういう品目の入ったものがお節だよと、最低限の教育(爆)はしてみたが、
娘も娘で、「食べたい」とは全く言わなかった。どうなっているのか。
将来(常識的な家に)ヨメに行ったら、困るぞオマエ。
主人はまた、餅に関してもいろいろとウルサくて、「雑煮」を好まない。
彼の流儀では、餅は網で焼いて、外側がパリっと、内側はアツアツ、
という状態にして、焼きたてに醤油をふって香りをたてて食べることになっている。
汁の中でベタベタになったものなど餅ではないそうだ。
なんでそういう感覚なのか不思議でしょうがない。
勿論、ふっくらと焼けたお餅は美味しいが、
私は白味噌でもおすましでも、煮た餅だって好きだ。
実家では味噌仕立てで蛤を入れたお雑煮が元旦の定番だった。
別に我が母の手料理を殊更に懐かしんでいるわけではないが、
お正月なんだからお雑煮があれば気分が出るのに、と私は毎年、微かに思う。
それで一体、元日から我が家は何を食べているのかというと、
これがもう、全く、いつも通りだ。
例えば夕食だと、御飯を炊いて(炊きたてでないと主人は嬉しくない)、
年末に買った魚の粕漬けが六切れあったので、それらをその都度焼いて、
サラダや天ぷらなど添えたものを、この二日ほど食べた(主人は牛も豚も嫌いだ)。
今夜は、炊き込み御飯をしようと言ったら、一旦は賛成が得られたが、
私の提案した鶏とゴボウを入れたものは却下され、キノコ主体でやることになり、
それにホタテ貝柱とキュウリの中華風炒め物をつけることになった。
全然正月でもなんでもない献立だ。
『遠慮しんさんな、こんにが食べんでも、あんたが食べたいものを食べりゃええんよ』
と舅も姑も私に幾度も言ってくれたのだが、
すみません、私は、そもそも料理をすることがとても嫌いなのです。
やれ、お節があればだの、雑煮が恋しいだのと言っていても、所詮はイメージ先行の話で、
「どうせ作るのなら、そういうものが正月らしくて良いのになあ」という程度のことだ。
私自身は本来、コンビニで売っているものをチンして食べても痛痒を感じない人間だ。
美味いものを食べればそれはそれで大変幸せではあるが、
美食しなくても、というより空腹を癒やすことさえできれば、
食事の内容なんか何であっても私は全く不幸にならない。
自分ひとりのためなら料理するよりサボりたい。
台所に立つくらいなら、サプリを食事がわりにしてでも、ごろごろしていたい、
というダメ人間が私の正体だ(汗)。
だから、私しか食べる人間がいないのでは、調理という苦行を果たす甲斐がない。
主人(や娘)が「御飯を食べた」と納得してくれて初めて、私は仕事から解放されるのだ。
我が家では「火の神」は怒りまくりだろう。
元旦から、お構いなしにボンボン炊いているので。
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