転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



4日にミック・カーンが亡くなり(元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去
彼の所属したバンドJapanのことを改めて思い出していたのだが、
1970年代後半は私にとって本当に洋楽が楽しかった時代だった。

海外のロックを聴くようになったきっかけは、
小学校6年生のとき友人から教えられたBay City Rollersで、
そのあとすぐに私はFMラジオ番組で偶然聴いたQUEENに強烈に魅せられ、
MusicLifeやRockShowなどの雑誌を小遣いで買うようになった。
月に一冊買うのが精一杯だったから、店頭で中身を見比べて、
読みたい記事や特集によってどちらかを買っていたものだった。
KISSにハマったのもだいたい同じ頃だった。

そんなときに衝撃的なデビューをしたのが、このJapanというバンドだった。
彼らのことは日本デビュー前から上記雑誌の記事で読んでおり、
デビューアルバム『果てしなき反抗』Adolescent Sex(1978年)も出てすぐ買った。
強烈に華やかなビジュアルから想像した割には、
正統派の音楽だと、中学2年生だった私には思われた

Japan - Transmission(youTube)
(アルバム1曲目Transmissionのイントロで、
いきなりの♪ダバダバダー♪のコーラスは相当ショーゲキ的だった・爆)。

ヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンの耽美的な容貌が話題になったが、
彼に負けず劣らず印象的だったのが、ベースのミック・カーンだった。
髪が真っ赤で、眉毛を剃り落としていて、女の子みたいな靴を履いていて、
プロフィールを見ればキプロス出身、本名はアンソニー・ミカエリデス、
音楽家であるだけでなく彫刻家でもあり、猫をこよなく愛し、
大変な読書家で、オフには一日で何冊も読み終えるほど没頭しているとか、
……とにかくミステリアスな存在だった。
独特のベースプレイが話題になったが、それも実は完全な独学で、
ミックは楽譜を読むことを全く知らない、……これにも私はシビれた(笑)。

Japan - Don't Rain On My Parade(YouTube)
(デビューアルバムでこの選曲ってどうよ!?と(汗)。Japanは実に面白いバンドだった。
ちなみにこのときの映像ではミック・カーンは金髪に近い感じだ)

今こうして改めて聴いてみると、初期のJapanにはパンクに通じるものがあると思うし、
彼らが黒人音楽を敬愛していただろうということも感じ取れるのだが、
このあと彼らは更に独自の音楽を開拓し、ある意味では洗練されたバンドへと変貌する。
特に電子系に活路を見出して、積極的にシンセサイザーを使用するようになって行き、
そのことで、私は逆に彼らに対する熱い関心を失うのだが、
Japanの欧米での成功はむしろ後半の時期になってからだったし、
更に彼らは坂本龍一や高橋幸宏、土屋昌巳らとも交流を持つようになり、
日本での話題も、80年代初頭まで盛り上がっていたと記憶している。

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ところでミック・カーンもデヴィッド・シルヴィアンも1958年生まれなのだが、
日本の1958年というと、しりあがり寿が元日に生まれた……、のはどうでもよくて(爆)、
東京タワー竣工、皇太子明仁親王と正田美智子さんご婚約、等のあった年だ。
この年にはほかにも後の偉大なスターが大勢、誕生している。
マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、ケイト・ブッシュ、等々。
そしてクラシック音楽、特にピアノに関しても、
私にとっての重要な人たちが、奇しくも揃って1958年に生まれている。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ、ダン・タイ・ソン、ジャン・マルク=ルイサダ、
そして勿論、イーヴォ・ポゴレリチ。
いずれも、1980年前後から国際舞台に登場することになる人たちだ。

1964年生まれの私より少し年上で、若かった私が憧れるのに相応しい年代の人たちだった。
46歳になった私が52歳のミックの訃報を聞く、ということは当時考えもしなかったが、
これからも、こうしてときどき、自分の憧れだった誰か彼かを見送って、
そうしてやがては、遅かれ早かれ、こちらの寿命も尽きるわけだ、
と、いつも思うことをまた思った。
終わらない人生はないので、客観的には何も不思議なことではないし、
抵抗のしようもないことだが、やはりまだミック・カーンは、
お別れを言うような年齢ではなかったのにと、思わずにいられない。

Rest in Peace, Mick……

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