転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



友人たちの中で、結婚後に自分の名前(ファーストネーム)を変えた人が二人いた。
夫の姓と合わせると非常に画数が悪くなるという、姓名判断的理由で、
ひとりはファーストネーム自体を全く新しいものに変え
(つまり結婚に際して姓名ともに変わったわけだ)、
もうひとりは響きは同じままで、これまでとは違う漢字を当てることになった。
奇しくも、どちらも「お嫁さんの名前は良くない」という夫側の親族の意見があって、
波風を立てないため、通称としての改名をした、という経緯だった。

そのうちのひとりは、数年後に離婚をし、旧姓に戻ったので、
変えたファーストネームも、そのときもとのものに戻した。
姓名判断に従って吉相の名前にした筈だが、その効果がなかったのか、
効果があったからこそ離婚程度で済んだ(?)のか。
ちなみに彼女はこのあと再婚をして、今は大変幸せに暮らしており、
今度のご主人の姓は画数の問題はなかったのか、もう気にしていないのか、
聞いていないから不明だが、とにかく現在の彼女の名前は、
娘時代の本来のファーストネーム+ご主人の姓、という組み合わせだ。

そして今年の年賀状を見たら、改名したもうひとりの友人も、
二十年ぶりくらいに、もとのファーストネームに戻っていた。
こちらは離婚はしていないし、姓もずっとご主人の名字で、そのままなのだが、
ファーストネームを、結婚以前の自分のものに戻していた。
いちばん強く意見を言った、夫側の親族がトシを取って穏やかになり、
もう名前のことでウルサく言って来なくなったので、とのことだった(爆)。

この二人の場合、もし「夫婦別姓」が法的に可能だったら、
こんなに悩むことはなかったのかもしれないな、と私は思ったこともあったが、
しかしヨメの名の画数のことまでとやかく言う親戚がムコ側についていたら、
それこそ「夫の姓にしないなんて!」と非難ゴウゴウだっただろうから
結局のところ、揉めたり困ったりするという点では同じだったのかもしれない、
とも思った。

一方、これまた別の友人は、独身時代、
姓名判断の結果が、どの角度から見ても見事なほど最悪だったのだそうで、
いやなことがあるたびに、厄除けに行ったりハンコをつくったり、
それはそれはいろいろと苦労をしていた。
だから彼女は数年前の結婚に際し、大喜びで夫側の姓に変えた。
彼女に限っては「絶対に自分の姓はもうイヤ」と強く言っていたので、
大変に積極的に夫の姓を選択したのだった。
改姓が功を奏したのかどうか知らないが(笑)、彼女は今、
優しいご主人と可愛いお嬢さんとで、とても幸せな家庭を営んでいる。

別に私はここで、夫婦の姓に関してイデオロギー的な話をしたいわけではないし、
画数のもたらす運について、スピリチュアルな結論があるわけでもない。
ただ、みんな紆余曲折を経ても、最後には本人の望んだところに落ち着く、
ということかなと、今年戴いたお年賀状の名前の記載を眺めながら思った。
姓にしても名にしても、変えるのが良いのか良くないのかの基準については、
本人が自分の名に納得できるかどうかが、まず大事なのではないだろうか。

ちなみに私自身、姓名判断では結婚後の名前(夫の姓プラス自分の名)は
大変よろしいとは言い難いものだった。
と言って、旧姓のほうで見ても、あちこち穴のあるショボい画数ではあったので、
改姓さえしなければ良い、というものでもなかったのだけれど。
唯一、名のほうをひらがな書きにすれば、夫の姓との相性が大吉になる、
という解決方法はあったのだが、いろいろ考えた末、私はそうしなかった。
理由は、「姓名判断は画数だけで考えてはいけない」という説を
当時、ある本で読んだからだった。

「姓名」は、確かに本人固有のものだし、人生に何かをもたらすほど大切、
と考えること自体は妥当だが(とその本は言っていた)、
良い名前かどうかを判断するには、画数だけでなく、字の持つ意味や組み合わせ、
読んだときの響きなど、様々な角度から見なくてはならないのだそうだ。
つまり「太郎(たろう)」と「犬郎(いぬろう)」が全く同じものだとは到底言えない、
と理解することにより、私は大いに説得されたのだった(笑)。

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