転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



MUSICA NOVA(ムジカ・ノーヴァ)という雑誌がある。
音楽之友社から出ている「ピアノの情報誌」で、月刊だ。
これの1月号に、ポゴレリチが10月に来日した折りの、
インタビューと写真が出ているというので、買いに行った。

まず、楽器店の雑誌コーナーで見つけて手にとって、
何が書いてあるのかな~と開いてみて、
いきなりポゴレリチが巻頭カラーで、私は噴出しそうになった。
なぜなら、その掲載写真を見た私の第一印象は、
「な、なんという派手な海ボウズ!!」だったからだ。
ので、慌てて閉じて、とにかくレジに持って行った。
人前では、とても読めなかった(^^ゞ。

自宅で改めて開いてみたのだが、笑いが止まらん、オモロ過ぎる
80年代の終わり頃、彼は立ち姿は撮影禁止とか言っていたが、
今は考えが変わったのか、自らポーズをつけて、
しかし決してニッコリしないで、写真に収まっていた。
そして首には、ペンダントみたいなものをたくさんかけていて、
お人形さんというかヒトガタのペンダントトップのついたものが、
ちょっと見ただけでも三つは下がっているのだった。
ちなみに、どこかの旦那様はこの写真をちらりとご覧になって、
「ん?志茂田景樹か?」と仰ったそうだ(爆)。

インタビュー内容は、あまり書いてしまうとネタバレになるが、
前半の楽譜の読み方に関する箇所は、非常に高度で知的なもので、
彼の言っていることが、言葉として理解できたとしても、
それを演奏に反映させることは、かなり難しいだろう、
と思われるようなものだった。

中ほどからは、彼の今後のスケジュールに関する話だったが、
自分の名を冠した音楽祭やコンクールを開催する話は良いとして、
まだどこのマネージメントも発表していないだろうと思われる、
先の先の演奏会計画まで結構、具体的に語っている箇所があって、
こんなこと今から言って大丈夫なんでしょうかと、少々心配になった。

また、ここで言及されている、ドイツのワイマールで開催予定の、
彼自身が主宰者となるコンクールに関しては、
マルタ・アルゲリッチに直接会い、審査員を依頼したと書いてあった。
あの1980年のコンクールのとき、野性的な美青年だったポゴレリチが、
ワルシャワ・フィルハーモニーホールの壮麗な階段を、
まさに熟女の魅力あふれるアルゲリッチと並んで降りてくる写真が、
各種メディアに掲載されたものだったが、
今や、このふたりの会見となると、どっちもただならぬ妖気が漂っていて、
絵ヅラとして相当、怖かったのではないか、と想像してしまった(逃)。

さて、読み進めていくと、今度はいきなりの爆弾発言、
私が宝飾デザインをしているのをご存じですか?』
知らない知らない知らない知らない、ぶんぶんぶんっ!!
四半世紀、ファンしてきて、今、初めて聞きました、そんなこと!!
じゃあ、そのヒトガタ・ペンダントも貴方の作品なんですかっっ!!
そして更に、
ブルース・リーは私の大好きな芸術家です』。
そ、そりゃまた、知りませんでした<(_ _)>!!お見それしました!!
私は、「北斗の拳」がかなり好きですが、やっぱ駄目っスか!!

・・・・・・・・・・・・。
ああ、オモシロかった。やっぱりポゴレリチは最高だ。
私は汗をぬぐうような気分で、それから、やおら、
ほかのページを眺めた。

すると。
えっ!?こちらのおじいちゃま、心臓発作!?大丈夫!?
と、私を慌てさせる写真が、カラーグラビアの最後に掲載されていた。
な、なんで音楽雑誌に、こんなものが。
・・・と、思ったら、それは、胸に手をあてて三白眼でお辞儀する、
アルド・チッコリーニだった
(爆)。

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