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【存続決定】市街地形成・問寒別駅

2020-07-24 00:00:32 | 2018GW枕崎→稚内一筆書き
 来年の2021(令和3)年7月23日に1年延期の東京オリンピック開催日に全国の感染者が過去最多の933名(うち東京都366名)。こんな状況なのに、よくもGOTOキャンペーンを強制的に実施。土壇場になって、東京都に住所を有する者は除外すると言っていますが、政府の言っていることは本当に矛盾を感じます。こんな状況だから、キャンセルしたいと電話で連絡しても、「ご心配するお気持ちは理解できますが、今は国の緊急事態宣言が出ていない状態なので~」が決まり文句。国の緊急事態宣言が出ていれば、すぐキャンセルに応じてくれる。民主主義であるはずの日本が国からの命令がなければ動けない君主主義になりつつになっている。おかしくなっている。

ーーーー(ここからは2018(平成30)年5月)ーーーー

 糠南駅にお別れを告げ、次の駅へ向かいます。

 同じく幌延町内にある、問寒別(といかんべつ)駅。

 このあたりは民家が建ち並び、市街地を形成しているので、郵便ポストがぽつんと。集配は音威子府郵便局、1日に2回も取り集めに来る。うちの住んでいるところは1日に1回しか取り集めに来ないのに、こちらは2回も。

 貨物列車の車掌車を駅舎に改造したものを北海道の各地でよく見かけますが、ここはきれいにリフォームされています。

 待合室では、いろんな展示物が・・・。

 1923(大正12年)11月10日開業。

 駅舎が建っていた土台が残っていました。

 無人化される1986(昭和61)年撮影。

 無人化されたのは1986(昭和61)年11月1日から。

 当時の駅員さんが集結し、お別れパーティー。なーーーにもない田舎の山口県山陰本線の長門二見駅も国鉄時代は7~8人も駅員さんがいたと聞いているとおり、昔はどんなに秘境なところでも駅員さんが駐在。日本一秘境駅の小幌駅(北海道・室蘭本線)もかつては信号場の駅舎があり、漁を生業とする民家もあった。信号場の仮乗降場として汽車は停車し、乗降扱い。2位の小和田駅(長野県・飯田線)も古い木造駅舎に出札窓口跡もあるので、昔は有人駅だったとうかがわせるような雰囲気。

 駅員さんだけではなく、駅の利用者も招待。

 YOUは問寒別駅に何しに来た?って、こんなところに駅がある自体、珍しいですからね・・・。

 問寒別駅、となりの糠南駅もアイヌ語から来ていました。
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