たまたま、その番組を見ていた友人からのメール。「今、BS朝日で特牛(こっとい)駅が出ていますっ!!」と。
BSは以前の台風でやられてしまい、映らないかも知れないと切り替えてみたら、ちゃんと映っていましたっ!!
特牛駅は見逃してしまいましたが、川棚温泉から。瓦そばも出るかも知れないと思ったら、下関ふくの雑炊とかの紹介。
首都圏色のキハ47 1102。子どもの頃乗ったキハ47の番号は脳裏に刷り込まれており、1102は他の線区から転入されたもの。ン十年前の昔だけど、通学に乗るたびに番号を記憶。山陰本線に割り当てられた車両はかなり少数なので、覚えやすかったのも一因かも知れません。
今度は梅ヶ峠。読みはうめがとう。子どもの頃、何回も通りました。「ケ」はどうして「が」になるか・・・ずーっと疑問を抱いていました。小倉でも「霧ヶ丘」(きりがおか)という地名もありますし、おのずと自然に「ケ」を「が」と読めるようになり、現在も千葉の「袖ヶ浦」も違和感なく「そでがうら」、さらに極め付けは青ヶ島の「あおがしま」。そのように名付けたのか、私もよくわかりません。日本語は奥深いものです。
梅ヶ峠駅は・・・本州最西端の駅でした!!といっても、本州最西端の駅ですとか、地元ではあまり宣伝していません。
駅の近くに本州最西端の岬、毘沙ノ鼻(びしゃのはな)がありますと、テレビでは言っていましたが、まだ行ったことはありません。
日本一最果ての青ヶ島は何回も行っているくせに、故郷の蓋井島(ふたおいじま)もまだ。
2001年(今から14年前)の特牛駅。
出札窓口。当時は簡易委託駅なので、特牛駅を自宅兼売店にしている方が切符売り。
1928(昭和3年)開業時からそのまま使われている木製のラッチ。開業時は鐵道省(國鐵の前身)の駅員さんが多数行き交う和服姿の乗降客をさばいていたに違いない。
キハ47を観光列車に改造した、「みすゞ潮彩」は2007(平成19)年からだというのに、まだ乗ったことはありません・・・。今年でなんと8年目っ!!
BSは以前の台風でやられてしまい、映らないかも知れないと切り替えてみたら、ちゃんと映っていましたっ!!
特牛駅は見逃してしまいましたが、川棚温泉から。瓦そばも出るかも知れないと思ったら、下関ふくの雑炊とかの紹介。
首都圏色のキハ47 1102。子どもの頃乗ったキハ47の番号は脳裏に刷り込まれており、1102は他の線区から転入されたもの。ン十年前の昔だけど、通学に乗るたびに番号を記憶。山陰本線に割り当てられた車両はかなり少数なので、覚えやすかったのも一因かも知れません。
今度は梅ヶ峠。読みはうめがとう。子どもの頃、何回も通りました。「ケ」はどうして「が」になるか・・・ずーっと疑問を抱いていました。小倉でも「霧ヶ丘」(きりがおか)という地名もありますし、おのずと自然に「ケ」を「が」と読めるようになり、現在も千葉の「袖ヶ浦」も違和感なく「そでがうら」、さらに極め付けは青ヶ島の「あおがしま」。そのように名付けたのか、私もよくわかりません。日本語は奥深いものです。
梅ヶ峠駅は・・・本州最西端の駅でした!!といっても、本州最西端の駅ですとか、地元ではあまり宣伝していません。
駅の近くに本州最西端の岬、毘沙ノ鼻(びしゃのはな)がありますと、テレビでは言っていましたが、まだ行ったことはありません。
日本一最果ての青ヶ島は何回も行っているくせに、故郷の蓋井島(ふたおいじま)もまだ。
2001年(今から14年前)の特牛駅。
出札窓口。当時は簡易委託駅なので、特牛駅を自宅兼売店にしている方が切符売り。
1928(昭和3年)開業時からそのまま使われている木製のラッチ。開業時は鐵道省(國鐵の前身)の駅員さんが多数行き交う和服姿の乗降客をさばいていたに違いない。
キハ47を観光列車に改造した、「みすゞ潮彩」は2007(平成19)年からだというのに、まだ乗ったことはありません・・・。今年でなんと8年目っ!!