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釧路を出て3時間後・・・

2019-08-28 00:00:00 | 2018GW枕崎→稚内一筆書き

 釧路を14時14分に出発して、終点網走には17時17分到着。まもなく、ラストラン。
 1両のワンマンカーなので、駅に停まるたびに運転士さんがちらっと車内を確認し、降りて行かれるお客さまがいらしていれば、乗車券または運賃収受。
 な、な、なんと!釧路からずーっと運転。根室から釧路まで130キロもずーっと同じ運転士さんが2時間半も!?と驚いたことはあるんですが、ここでもおよそ170キロを3時間かけてでも1人で。そんなに体力はあるんですか。内地だと、長距離を1人で担うってことはあまり聞かない。東京から房総半島各地行きでさえ、千葉または蘇我で乗務員交代。
 JR北海道の運転士さんはかなりタフだな~と思わせる一瞬。3時間近く乗っていて、出発から終点まで同じ運転士さんだと気づいたとき。
 平成30(2018)年のゴールデンウイーク。網走付近のオホーツク海。

 網走の1つ前、桂台駅。網走市街地の郊外なのか、周辺は住宅地になっていました。


 北海道の春は内地に比べると遅い。サクラ満開です!!乗車券は「枕崎 → 稚内」だけど、枕崎を発った日の指宿枕崎線キハ47は冷房が入るほど夏日だったのに、ここは上着を羽織っておかないと少し肌寒い。

 17時17分に着いて、札幌行きの特急は17時25分。わずか7分しかありません。そのため、駅の外に出て、のんびりする暇もなく・・・。
 網走市は2000年の家族旅行で訪ねたところ。網走監獄も見学。1890(明治23)年、網走監獄開所。無期懲役の囚人を収容、主に道東エリアの開墾。道路や鉄道敷設工事に従事。逃亡を防ぐため、朝から夜まで鉄の重りを付けた足枷をはめての作業。工事現場の近くに小屋を建て、丸太を枕代わりに寝かせたりして、過酷で非人間的な労働環境。ろくに食事も与えなかったため、犠牲になられた方も多い。特に石北本線の金華信号場(もともとは金華駅)から生田原間の「常紋トンネル」では当時の労働者が掘って開通させたもの。鉄道院から国鉄、JR北海道に引き継いだ現在も、トンネル内で人影が見えたなどの怪談話は途絶えない。その理由としては・・・昭和43(1968)年、十勝沖地震発生。この地震で常紋トンネルの壁面が損傷したため、昭和45(1970)年にその改修工事を行った際に、壁の中から、立ったままの人骨が発見。栄養失調で弱り果ててもう十分な労力を発揮できない。虫の息となった囚人を明治の監視員が強制的に壁の中へ生き埋め、というケースもありました。人骨の頭に暴力を受けたときの損傷跡も見られ、非人間的な扱いを受けたということが窺える。
 (今だったら、日本国憲法第36条【拷問及び残虐刑の禁止】公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。死刑確定者に課せられる死刑執行のときも、原則として絞首刑のみ。残虐な刑罰とは言えない。)
 その後トンネルの入口付近などで大量の人骨が埋まれているのに発見され、トンネルの中で幽霊に遭遇する噂がc事実だということが判明。常紋トンネルの完成までに犠牲になった方は、百人を超えるとも言われています。そのため、金華信号所付近(昔は金華駅)でトンネル工事殉難者追悼碑が建てられ供養はされています。

 網走から札幌まで374.5キロ、特急でも5時間半かかる。「のぞみ」だったら、5時間あれば博多から東京の1000キロ超えだけど、こちらは在来線の特急しかありません。

 撮影当時は、平成30(2018)年だけど、今、確認してみたところ、令和になっても、このレトロな国鉄車両がバリバリ現役。

 平成の最後、函館から札幌間の大動脈、現在は183系が撤退し、新しい261系の「スーパー北斗」で統一。もはや、絶滅危惧種。

 友人が購入。

 網走駅弁は、かにめしでした~!
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