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東京アイランド

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ソーラーカーだん吉 今度はなんと小笠原へ!!

2010-02-08 00:51:48 | 小笠原

201002080003  日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH」のソーラーカーだん吉も8年の歳月をかけ、日本一周ゴールと思いきや、「東京都内だけど、まだ行ってないところがある。小笠原諸島」と山口達也さんがつぶやき。
 絶海の孤島、青ヶ島に行くのはさすがに難しいだろうなと思っていたら、2009年7月、上陸を果たし、島内を一周しました。
 そのときの様子を2009年9月13日(日)と10月11日(日)、2回分けて放映されました。

 (カテゴリー「青ヶ島」にクリックすると放映された内容を記事にしてあります)

 だん吉もかなり傷み、小笠原で故障しないように8年前、屋根にソーラーを設置した整備工場であちこち傷んでいる部品を交換。

 「おがさわら丸」は自家用車を積むことはできないので、テレビに出ているのは月島ふ頭から出ている「共勝丸」かな。

 おがさわら丸は竹芝桟橋を10時に出発、翌日の11時30分に父島の二見港に入港。
 共勝丸も貨物だけではなく、旅人も乗船可能。
 10時に出発、その日の夕方はやっと千葉県の洲崎沖を通過。
 翌日の夕方には鳥島沖。「おがさわら丸」だと往復日没後なので、島影を確認できませんが、この船なら鳥島ウォッチング可能らしい。
 3日目の午前8時から10時の間にやっと父島二見港。一泊停泊し、4日目の朝、母島へ出航。
 東京から母島までなんと4日間を要してしまいます。
 
 「だん吉」もこんな日程で母島に向かわれるのですねぇ。
 最北端の宗谷岬、最南端の与那国島、今度は東京都最南端。
 横浜40 す 5794の 軽ワゴンとはいえ、すごすぎます。

 小笠原編の放送日をまめにチェックしなくちゃ・・・。


日本の戦争遺産

2010-02-03 01:17:21 | 小笠原

201002030001  この本を手にとってみたとたん、「小笠原も載っているかな?」と目次を広げてみると、やはり載っていました。
 戦争遺産は広島、長崎、沖縄に集中していると思われがちだが、実際は全国47都道府県に散らばって残っているとのこと。

 わが故郷山口県は下関市の火の山砲台の壕。
 このページを開いたとたん、遠い昔の記憶がよみがえりました。
 小学生だったころだと思います。学校の遠足に火の山へ登ったとき、鬱蒼としたレンガ造りの壕を見つけました。
 教えられたわけでもないのに、これは戦争の跡だなと直感的にそう感じました。
 実家近くの角島にも「弾薬庫」跡があるのに驚きました。角島へは何度か行っているのに、そのような存在すら知りませんでした。

201002030002  この写真は硫黄島に残る、鉄帽に銃弾の貫通跡。
 まわりには機関銃などの残がいも野ざらしにしています。
 父島、母島も南方に向かう中継基地として、陸軍司令部壕、トーチカ、砲台などが多く残されています。
 硫黄島は日米軍合わせて約2万7千名の戦死者が出た、激戦地でした。
 終戦後、旧硫黄島村の帰島は許されず、現在に至っています。

 約400名の自衛隊が交代制で暮らしていますが、硫黄島にまつわる不思議な現象を書かれた資料を読んだことがあるので、ここで少し。

 夜寝る前に、1杯のお水を入れたコップを自室前のドアに捧げる。
 それを忘れてしまうと、水が欲しい・・・とどこからなく聞こえ、夜中に目を覚ますこともあるそうです。
 戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 「訪ねてみよう!日本の戦争遺産」
 著者:安島 太佳由(やすしま たかよし)
 出版社:角川SSコミュニケーションズ 
 刊行年月日:2009年3月25日
 定価:1100円+税
 ISBN:978-4-8275-5065-8


auも伊豆諸島・小笠原制覇!?

2010-01-22 00:00:00 | 小笠原

 いち早く伊豆諸島・小笠原諸島で携帯電話が使えるようになったのはDoCoMo。
 父島と母島における携帯電話はDoCoMoが独壇場。
 auも小笠原に進出、エリアは父島のみでしたが、今年に入ってから母島も使えるようになりました。
 ソフトバンクも最近、伊豆諸島に基地局を設置、青ヶ島も含む伊豆諸島全地域エリア内になりましたが、小笠原はまだのようです。

 ・auのサービスエリア(関東エリア)

Hahajimaau100122 auの母島エリアマップを見て気になったこと。
 ブルーのかかっている場所はエリア内になっていますが、集落の「元地」や「静沢」あたりは空白になっています。
 海岸沿いはつながるみたいですが、実際はどうなんだろう?

Hahajimadocomo100122  これはDoCoMoのエリアマップ。
 一般人の行ける、東京都最南端の地、南崎でもつながります。
 南崎で携帯をちらっと見たところ、アンテナは3本。
 ここでも使えるんですかっ!?とびっくりした記憶が・・・。
 でも、小笠原でメールやiモードするのに、衛星回線を通すため、2~3秒のタイムラグが発生してしまいます。


小笠原戦跡一覧

2010-01-21 00:29:12 | 小笠原

201001210003_2 今日は大寒だというのに、3月下旬を思わせるような暖かさでした。
 それでも暖房中なので、室温がぐんぐん上昇し、まるで小笠原に帰ったかような暑さになってしまいました。
 この本は今月上旬、著者から直接図書館に寄贈があり、所蔵登録を終えたばかりです。

 小笠原戦跡一覧 
  著者:待島 亮
  発刊年月日:2003年11月(今回は2008年3月加筆修正一覧表付き)
  出版社:創英社/三省堂書店
  定価:1600円+税
  ISBN:4-88142-241-3

201001210004  父島と母島に戦争の残骸がたくさんあることは知っていましたが、この本は地元住民ですら知らない戦争遺構や陣地を網羅し、資料収集や自らの足で現地調査や取材。
 小笠原の戦跡について細かく書かれている資料は他にないかと思います。
 この本は土地所有者に無断で入らないようにするために場所(地図)の掲載は見合わせているようです。

201001210001 
 母島観光協会が整備した、静沢の森戦跡遊歩道沿いにありました。
 沖港の防衛のため、静沢の高台に砲台建設が始まったのは1941(昭和16)年。
 今年は2010年なので、70年近くこの状態でひっそりたたずんでいます。
 表紙の写真と同じものだと思われます。
 こちらは?? (龍國 ヨングク)さんの作品。


201001210002 本文の写真にもあった、門柱跡。
 父島も意外たくさんあったのは驚きです。
 小笠原の海は、とてもピュアで熱帯魚やイルカと戯れますが、陸地は戦争を風化させないため、こちらのコースもお勧め。


30年前の青ヶ島・小笠原(1980年)

2009-12-11 00:09:02 | 小笠原

 比較的新しい本のスペースを増やすため、古い本を引き抜き、書庫に移動しています。
 書庫で整理するときに「離島の四季」という古い本を見つけました。
 
 もしかしたら、私の好きな島も載っているかなと頭をよぎり、手にとってみました。

200912110001 
 青ヶ島、小笠原、しかも硫黄島も含まれているじゃないですか!!
 その場でまったり・・・というわけではないので、借りてきました。



200912110002  目次を見て、真っ先に開いたページはやはり「青ヶ島」。
 心のふるさとをもとめて日本発見14
  離島の四季 定価1700円 暁教育図書株式会社
  昭和55年8月1日発行。
  撮影日はたぶん、半そで姿に右の小さな突き出ている桟橋に浮輪が見えるので、1979(昭和54)年の夏かな。

 30年前の三宝港ってこんなに小さかったのですね。

Aogashima89 2007年夏の旧堤。
 今の還住丸は新堤(2001年完成)で発着しています。
 昔は大きな岩のある旧堤から発着していました。



Aogashima87  1番上の写真は1979(昭和54)年より20年前の1959(昭和34)年の三宝港。今からちょうど50年前。
 「港」とは名ばかりで船着き場でした。
 この港だからこそ、昔の人々たちは本当に苦労してしまったに違いない。

 当時は年に4~5回しか、船が来なかったので、唯一内地とつながる手紙が何よりも楽しみだったらしい。
 今の青ヶ島は携帯電話3社使えるし、インターネットもブロードバンド。
 書状のものはヘリコプターで運ばれるので、配達スピードは内地と変わらず。
 荷姿がダンボールなどの箱状は基本的に船なので、欠航が続くと貨物専用機として夕方の臨時ヘリが飛ぶこともあるそうです。

200912110003  1980年の父島(小笠原)の境浦にたたずむ濱江丸(ひんこうまる)。
  太平洋戦争中(1944年6月12日)にサイパンの北方沖で米軍の魚雷による爆撃を受け、応急処置しながら漂流するうちに、父島・境浦沖に座礁。
 (この写真は座礁36年目)

 1997(平成9)年(座礁53年目)、念願だった父島上陸を果たし、境浦に行ってみたところ、この写真よりは半分崩れかけていました。
 98年、99年、00年、02年・・・立て続けに年に1回は小笠原へ。

Ogasawara8  3年のブランクがあり、05年久しぶりに行ったときは、船体が海面下に沈んでしまい、満潮時だと姿が見えないときも・・・。(座礁61年目)
 今年の夏は4年ぶりの小笠原でしたが、母島をメインにしてしまったため境浦に行けず。
 2010年は座礁66年目になろうとしていますが、シューノケルで海底を覗けば、まだまだ残っているだろうと思います。

200912110004  ここはどこなんだろう?
 母島?と思いきや・・・返還12年目の二見港。
 ここが小笠原村の中心地なんて信じられない。



Chichijima3  2005年の中心地。
 上の写真に比べると、ずいぶん「街」を形成していることがわかります。



 自分の好きな場所の昔はどんなふうになっていたか、調べるのは楽しいです。
 


【動画】東京都最南端・南崎の海中公園

2009-09-26 00:39:57 | 小笠原

 この撮影が行われたのは、ちょうど2ヶ月前です。
 一般人の行ける、東京都最南端の南崎(都道最南端の看板も出ています)から遊歩道でおよそ1時間。
 ジャングルのような道を1時間歩くなんて疲れてしまいそうですが、南崎の海に入ってしまえばそんな疲れは吹っ飛びそうです。

 海中の様子を動画で編集しました。
 手話や韓国語も出ていますが、日本語訳も併記しています。

 およそ1分の海中ワールドをお楽しみください。



また来るね!盛大なおがさわら丸の出航見送り

2009-09-24 00:08:31 | 小笠原

200909240001 
 この風景、小笠原に行くたびに何度か見ました・・・。
 この見送りがあるからこそ、「また小笠原に来るぞ!」とリピーターになりやすいです。
 クルーザーに書かれた会社名までちゃっかり目に付いてしまうので、「今度小笠原に帰ってきたら、ぜひわが社を~」と宣伝を兼ねて競うかように「行ってらっしゃーい」とおがさわら丸と並走します。
 毎年のことながら「父島タクシー」さんが最後までついて来てくれました。
 そういえば、おがさわら丸が二見港に入港するときも「父島タクシー」さんが歓迎の並走。
 タクシーが本業のはずだが、海のガイドがメインのようです。


200909240002
 子供たちも、この光景が忘れられずまた小笠原にやってくるに違いない。




200909240003  お勧めの小笠原土産はこれ。
 硫黄島一味唐辛子。
 韓国人みたいに辛いものが好きなら、この一品。
 ハン尚宮(母)もピリ辛の料理に少しだけつまんで入れるそうです。


200909240004 キムチにも使えそうだが、やはり、韓国の味を再現するなら韓国産の唐辛子でないと・・・・。
 硫黄島産かと思いきや、硫黄島の唐辛子を父島で育てたものだそうです。
 


200909240005  我が家の塩は青ヶ島の「ひんぎゃの塩」一筋。
 「ひんぎゃの塩」が使い切らないうちに、封を切るのはしのびない。
 ユースホステルのおにぎりも小笠原の塩が使われているので、美味しかったような記憶があります。


台風14号 ははじま丸は静岡県西伊豆に避難

2009-09-20 00:01:00 | 小笠原

200909200005  小笠原母島観光協会のブログ

  ・今日の母島

  9月17日の記事を読んでみると、父島二見湾内では避難が危険なため、急きょ、(静岡県の)西伊豆に避難することになりました、と書かれています。
 9月16日の夜、臨時便としてははじま丸が出港したそうです。

 9月16日 夜  母島出港→父島入港・・・内地へ出発 1000キロの長い航海
 9月17日 夜  西伊豆 
 9月18日・19日・20日 西伊豆で係留
 9月21日 朝(?) 西伊豆出発
 9月22日     父島入港 

 父島と母島のおよそ50キロを往復する、小型旅船のため、「おがまる」のようにレストランやシャワーなどの設備はありません。
 この船で1000キロも長い航海、乗務員の方々も大変お疲れになっているかと思います。
 
 「おがまる」も再度、出港日の変更がありました。
 
 9月18日(金)東京→父島行のおがさわら丸は台風14号の影響により下記のとおり変更となります。
 9月20日(日)10:00発 東京→父島
 9月21日(月)11:30着 父島入港予定
 9月22日(火)14:00発 父島→東京
 9月23日(水)15:30着 東京入港予定
 
 当社の当初の予測よりも台風の速度があがらなかった為再変更させて頂きました。再度の変更、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
 
 *ははじま丸について父島→母島間のははじま丸は 9月21日(月)まで台風の影響により運休する見込です。
 
 シルバウィークいっぱい小笠原を楽しんでもらおうと18日出港、23日入港の予定だったのに、父島で1泊のみになってしまいました。
 9月の大型連休はどこも満員御礼だったのに、本当に残念です。


小笠原・南島 Come back ヒロベソカタマイマイ

2009-09-18 00:01:00 | 小笠原

 ヒロベソカタマイマイについて、記事をアップしたころ「送り先を書いておいたほうがよい」とご意見が寄せられました。

 もし、上陸記念として持ち帰られたヒロベソカタマイマイをお手元にありましたら、

〒100-2101 東京都小笠原村父島字東町 
小笠原村観光協会 事務局
 まで

よろしくお願いいたします。

 詳しくは こちら に書かれてありますので、ご覧になってください。
 105個戻ってきたそうですが、実際はもっとたくさんあるそうです。
 
 南島の自然回復にご協力ください。

 送るのにご自身のお名前を省略しても構わないそうです。
 貴重な1000年前の化石ですので、そのまま封筒に入れることはなく、プチプチなどで包まれるようお願いいたします。


南島上陸(小笠原)

2009-09-17 00:01:00 | 小笠原

200909170004  七瀬先生(香椎由宇)にそっくりなガイドさん「これはナス科のタバコ。花が咲いていますね~。間違って食べてしまいますと死んでしまいま~す」と筆談と身振りを交えながらのガイド。
 死ぬ の身振りは 仰向けになって泡を吹く。
 そのガイドさんはユーモアがあって合格。

200909170005  ガイドさんがみんなの前で「これは何というのか、わかります?」と私に答えさせようとした。
 私 「私なんですか!?」
 ガイド 「はい」
 私 「かせき」 (指で空書)
 ガイド 「正解で~す」
 横で見ていたおのっち 「さすがに小笠原マニア」
 
200909170002_2 ガイド 「これでも1000年前の化石です。ヒロベソカタマイマイという絶滅した大型のカタツムリです」

 かつては砂浜を覆い尽くすほど転がっていたそうですが、物珍しさもあって、上陸した観光客が相次いで持ち帰ったため、以前よりも少なくなっているそうです。
 「南島でヒロベソカタマイマイを拾われた方へ・・・南島は特別保護区なので、ありのままでありたい。あまりにも可愛らしさに持ち帰ってしまったカタマイマイの化石をこっそりお返しください」と小笠原観光協会がホームページで呼びかけたところ、郵便で少しずつ戻ってきたそうです。

200909170001  上陸地の「鮫池」。
 鮫の泳いでいる池なので「鮫池」と名付けちゃったみたい。

 ←ガングロギャル男にならないように重装備中のおのっち。

200909170003
 この風景が1番大好き!!(撮影:ヨングク)
 海につながる「穴」は自然浸食によるもので、白い砂浜の天然プールのようになっています。


父島・ドルフィンウォッチと南島

2009-09-09 00:14:42 | 小笠原

200909090001  「イルカの群れがいます!どうぞ!」というガイドさんの身振りとともに海にダイブ。
 野生のイルカは去年の御蔵島以来。
 ドルフィンウォッチのルールは「無理に追いかけたり、触ったりしないこと」なので、静かにウォッチング。
 突然、見知らぬ人に追いかけられたり、触られたりするのはイヤだということもイルカさんだって同じなんです。
 動画を回そうと思っていたのに、なぜか撮影に失敗してしまいました。
 なんと・・・もったいないこと。
 おなかを見せてくれれば、「一緒に遊ぼう」という合図だが、今回は残念ながら遊んでくれず・・・。
 毎日毎日人間が遊びに来て、相手にするのも億劫になってしまったかな。

200909090002  アングルは上から撮ったものばかり。
 今度は深くまで潜って、上にイルカが通ったらパチリ撮ってみたい。
 イルカと水面越しのサンサン照る太陽の写真1枚くらいは欲しいな。
 御蔵島での撮影も失敗してしまい、腕を磨きたいと思いつつ、年に1回だけではなかなか上達できず。

200909090003  南島に向かう途中で見つけたもの。
 こんなところでも植物が生えていますね。
 水はどうしているだろう?と思ったら、激しい大雨のスコールが降ってすぐにやみました。なるほど・・・。


200909090004  南島は自然保護のため、「東京都自然ガイド」の資格を有したガイドさんと同行でないと、上陸できません。
 ガイドさん1人に対して上陸可能な人数は15人まで。
 しかも1日の上陸できる人数も150人まで。
 観光業者の連携で南島に上陸した人数を色つきの「旗」で周知し、150人超えてしまうと、その日の上陸は不可になってしまいます。 

Ogasawara090730013  南島に3、4回は来ているのに、今回は切手の図案と同じものはあるかと意識しながらあたりを探してみたら、ありました!!
 もともとは海中にあったサンゴ礁が隆起したもの。
 岩場は刃物のように鋭利になっているのは、石灰質の岩が雨などで徐々に侵食されて出来たもので「ラピエ」と言います。
 

200909090005  「ラピエは先は尖っているものが多いので、足元に十分気をつけながら歩きましょう」「ここにカツオドリの営巣地があるので気をつけましょう」とガイドさんに促されながら、東京都ガイドの定められた道を通って、ここにたどり着きました。
 道を踏み外すと「あ、ここ、踏んだらだめですよ~」と注意されます。

 初めて来たのは確か10年以上前。
 このとき見た風景とまったく変わらず。
 10年前は自由に歩きまわったり、扇池で泳いだりしましたが、現在は入島制限や歩行可能ルートを設けられたり、ガイドさんの指示に従うルールに変わってしまいました。
 ありのままの自然が一番大切なので、いろいろな制約付きは本当によかったと思います。
 
 ヨングク君いわく「4年前に来たときはあのプールみたいなのに泳いだっけ??」
 私「そうだね。4年前は兄島瀬戸海中公園がなかったので、その分をここにしたかも」

 ここでも泳いでみたい気持ちはあったのですが、半日ツアーはなかなか時間が取れません。1日ツア-だったら、兄島瀬戸海中公園も含め、思いっきり楽しめるかも知れませんね。


兄島瀬戸海中公園

2009-09-03 00:00:00 | 小笠原

200909010003  小笠原ユースホステルの朝ごはん。
 8時集合になっているので、急いでパクパク。
 昔はトランプでババ抜きを引いてしまったら、皿洗い当番になってしまうのですが、そのような習慣がいつの間にかになくなっていました。
 朝早くから出かける方は、食器を皿洗い場に持っていくように、とのことでした。
 ヘルパーさん、お手数をおかけしますね・・・。

 8時、父島タクシー集合。
 本業はタクシーのはずなのに、マリンレジャーがメインでレンタバイクもやっているところです。
 ヨングク君いわく「クレヨンって、たくさんの業者があるのに、いつも父島タクシーに頼んでいるの?」
 「そうだね、ろう者のゲストに慣れているし、コミュニケーションもバッチリ」
 今日のガイドさんは赤鼻センセイに出ている、女医の七瀬先生(香椎由宇)にそっくりな方でした。ドラマの七瀬先生は厳しくてツンツンしていますが、こちらの七瀬先生はとびっきり笑顔でした。
 自己紹介で「のどか」と言っていましたし、父島タクシーのブログにも「のどか」さんが書いたツアー日記も見られます。
 彼女も手話に興味があり、ツアーでよく使われる単語の手話を移動中に教えたりしました。

200909030001  
 兄島瀬戸に向かう途中、左に宮之浜海岸が見えます。
 宮之浜海岸は陸から入るシュノーケリングのスポットになっています。



200909030002  
 兄島瀬戸に到着。
 海の色がピュアでとてもきれい!
 ヨングク君もおのっち君もこの美しさに酔いしれ、ガイドさんの「はい、どうぞ!」の合図とともに思わずダイブ。 

 そりゃ、私もこの色を見るとじっといてはいられず、カメラを持ってダイブ。

200909030003 うわっ!!きれい!!!
 まるで水族館のようだけど、ここは本物の海の中。
 青ヶ島、御蔵島での水中撮影はうまく撮れなかったけど、ここはきれいに撮れました。


200909030004 やはり、小笠原の海はとてもきれい!!
 おのっち君も8年前に来たときはおびただしい熱帯魚たちに恐怖感を覚えたらしいだけど、今はもうすっかり慣れたみたい。
 おのっち君のコメントは「あのときはどうしても魚たちと仲良くなれなかったけど、今はもう大丈夫。楽しいなあ」
 
 そのコメントを自分なりに推測してみると、
 8年前のエサはソーセージなので、指を立てただけでも群がっていました。
 指でも食いちぎるので、ピラニアを連想していたかも知れません。

 現在はパンの耳をエサにしているので、熱帯魚たちも人間の指は食べ物ではないと認識しているようです。
 8年前みたいに群がってくることはありませんでした。
 
 水中の動画をアップしてみます。


父島の夜

2009-09-01 00:00:00 | 小笠原

 明日からあっという間に9月。(今書いているのは8月31日の午後10時半)

 小笠原に行ったのは7月の最後なので、あれからもう1ヶ月。
 小笠原の話が終わらないまま、奥多摩や房総の話が割り込んでしまいました。
 これからは3ヶ所の話題をランダムに書こうかなと思います。

 8月31日は台風11号が房総半島に大接近、大した強風もなくあっという間に通り過ぎてしまったのか、今はお月さまが見えます。
 気温は急激に低くなり、1ヶ月前に小笠原に行ったとは思えないほどの肌寒さ。
 この体感だと10月上旬くらいでしょうか。

 でも・・・明日(9月1日)は暑さがぶり返し、最高気温は32度になるでしょうとテレビの天気予報。
 急激に寒くなったり、暑くなったりの繰り返しですが、体調を崩されませんように。

 さて、本題に入ります。

200909010001  私の住んでいるところよりも父島の夜は明るかった。
 お土産店、スーパーや雑貨店はさすがに閉まっていますが、開いているのは飲食店。
 昼間はランチ、夜になると、居酒屋やスナックを兼ねているところも多いようです。

 おのっち君の「今夜はクレヨンが旅行企画を立ててくれたお礼にたくさん飲もう。私のおごりだ」という誘い。

200909010002 店内はうす暗い明りでしたので、ちょっとぶれています。
 ほとんど地元で収穫した野菜や地魚なので、美味しい。
 店員さんは真っ黒に日焼けした若い女性でした。
 ジョッキを飲み干すと(もう一杯いかがですか~?)とアイコンタクトで話しかけてくるので、次々と運ばれてきました。

 私へのお勧めは2人に任せていたところ、ヨングク君はバーボンが大好きだという。
 店員さんがカウンターでバーボンを取り出し、炭酸で割るのをしっかり見ていたヨングク君いわく「割る量が多すぎる」とぼやき。(笑)

 父島の飲食店は数軒連なるように午前1時まで、3時まで・・・やっているところが多い。
 
 私を酔いつぶさない程度でお開き、ユースホステルに戻ったのは夜12時過ぎ。
 翌朝は父島タクシーさんのツアー(兄島瀬戸海中公園と南島、ドルフィンウォッチ等)があるので、体力を蓄えるため就寝。


小笠原ユースホステル

2009-08-28 00:00:00 | 小笠原

200908270007_2 母島の風景に慣れてしまうと、ここは都会だなあ~と思わせるほどの街並み。
 でも、ここは東京から南へ1000キロ、週1回、25時間半の船旅でしか辿りつけない秘境のはず。

 このあたりの土地代はうちの住んでいる田舎よりも高いですよ。
 父島、母島どちらも下水道完備。うちのところはまだ管理費のかかる浄化槽。

200908270008  小笠原村役場前。
 パイナップルが実っていました。
 小笠原村役場の業務時間は
 午前8時から12時まで、13時30分から17時30分まで。
 昼休みは1時間半、窓口は閉鎖されます。その代わり、内地より1時間も長くなります。
 学校も昼休み1時間20分になっていました。
 アメリカの昼休み1時間半といったような習慣がまだ根付いているかどうか、わかりません。(私の憶測) 
 昼休みが長い分ゆとりを持たせているようです。

200908270009  部屋は海側、廊下や洗面所は山側。
 この風景を見ると、自分の故郷に帰ったような気分になります。
 どうしてかなあ?と思いきや、初めて小笠原に来たときの宿はここでした。
 洗面所からぼんやりこの景色を眺めながら歯を磨いたせいでしょうか。


200908270010  今日は出航前の送別パーティーなので、普段とは違った特別料理が出ます。
 父島で獲れたタコの「タコ焼き」。
 ヘルパーさんが焼いているところをパチリ。

 小笠原ユースホステルのヘルパーさんは6人。
 4年前に来たときのヘルパーさんとは変わっていましたが、小笠原が大好きで半年から1年程度のお仕事でしたら、ここが最適でしょう。

200908270011

 思い出たっぷりの写真たち。



200908270012  父島ごはん。
 ヘルパーさんたちの得意な一品が次々と運ばれてきました。
 今回は父島産ゴーヤーと牛肉炒めでした。



200908270013  最後の日は必ず島寿司が出ます。
 「ん?この人見覚えがあるなあ?」
 「4年前に来たとき一緒だったよね」
 「確かに学校のセンセイだったと言っていたから間違いない」

 「あの・・・4年前、見かけましたが私たち覚えています?」
 「おお~もちろん覚えているよ」と4年前の集合写真まで見せてくれました。
 確かにヨングク君と私の写っている写真だ。
 「毎年毎年、この時期に小笠原にいらしているのですか?」
 「欠かしたことはないけど、毎年だね」

 偶然の再会でした(笑)4年というブランクがあっても、お互いにちゃっかり覚えてくれたのは嬉しい。内地だと、お互いに覚えることはなくきれいに忘れるはずなのに、小笠原マジックかな?


小笠原郵便局

2009-08-27 00:36:22 | 小笠原

200908220011  
 ははじま丸は小型船なので、路線バスのようにあっという間に遠さがってしまいます。
 


200908220012  ユースホステルのお母さんが小さくなるまで手を振り続けていました。
 それに応えるように私たちも「また来るからね!」を大きく手を振りながら・・・。



200908270002  ははじま丸が二見港に入港、小笠原ユースホステルのヘルパーさんが迎えに来てくださいました。
 おがさわら丸が入港日だと人数も多いので、クルマは荷物専用になってしまう。
 
 今回は人が少ないせいか、クルマに乗せてもらえました。
 小笠原ユースホステルの玄関。
 夏休みの間は連日満室なので、飛び込み宿泊はなかなかできないのです。

200908270003  小笠原郵便局は5時までだ。
 白い建物は小笠原村役場本庁、その左側に郵便局。
 郵便局の裏は「新東京支店小笠原集配作業所」。
 おがさわら丸が出航する日の朝8時から10時まで「ゆうパック」の窓口も設けるそうです。
 郵便局の窓口で出すと追跡は「小笠原郵便局」。
 集配作業所だと「新東京支店小笠原集配所」と表示されます。

200908270004  初めて小笠原に来たのは1997年。
 当時は「〒小笠原郵便局」と国に準じたシンプルな看板。
 郵政公社時代は赤い「郵便局」マーク。
 現在は郵便局株式会社のコーポレートカラーのオレンジ色になっています。

 若い局員さんが私の顔を見るなり、会いたがった人を呼んでくれました。
 何も言っていないのに、どうしてわかったのかなぁ??すごいテレパシー!?
 友人と手話で話しているのを見ていたからでしょうか。

 流暢な手話で「●●(私の本名)さんですよね」 
 「初めてお会いするかと思いますが、この方はヨングク君。8年前に来たおのっち君」と自己紹介、手話が飛び交う郵便局になってしまいました。
 
 彼は手話通訳の経験を持ち、小笠原郵便局に赴任してから10年。
 観光で訪ねるろう者の方々が多く、郵便局だけではなく、ガイドさんも手話でスムーズにコミュニケーションができるようになりたいという思いから父島で初めて手話サークルを開催。
 ちょうど10年前、彼の率いる手話サークルに初めて参加したことがあります。
 そして、8年前は手話サークルのメンバー達と飲み会。
 何年かぶりの再会だというのに、覚えてくださったのは本当に嬉しいです。
 ありがとうございます。
 でも、今回は1泊だけなので、皆さんとゆっくりできなくて名残惜しいなあ・・・。

200908270001 仕事中お邪魔しました。
 小笠原郵便局の皆さんです。
 南の島らしくアロハシャツがとても素敵。
 うちの職場も夏の間だけ職員もアロハシャツだったら涼しげに見えるかも・・・。

Ogasawaranosizen021  「小笠原郵便局だけでしか買えない、記念切手ありますよ~。ちょっと高いけど、50円切手10枚で900円になります」

 「これですか!?2枚下さい!」

 ヨングク君もおのっち君も私につられて2枚ずつ買ってくれました。
 あれ!?2人とも切手集めてないはずなのに、買ってくれるなんて嬉しい。
 


Ogasawara090730013  
 2人はちゃんとメッセージを書いていました。
 
 「ジャンプするクジラ、ヤシの木、入道雲、ハイビスカス」いかにも南国らしい風景印。


200908270005  小笠原郵便局前のポスト。
 このポストに投函すると、消印は「新東京」になってしまいます。
 「小笠原」の日付印は窓口へどうぞ、といったように注意書きが貼られていました。
 

 ほんのわずかな時間でしたが、よい思い出ありがとうございます。
 今度の小笠原は皆さんとゆっくりしたいなと思っています。


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