2階の客室に通じる階段の窓。
2階の浴室(シャワーのみ)。
1階の浴室は湯船付き。
小笠原は沖縄と同じく、湯船に浸かる習慣がないみたいです。
韓国もそうでした。いわゆる「カラスの行水」。
韓国では湯船に浸かるとしたら、銭湯か温泉、サウナ程度で一般家庭ではシャワーで済ませるそうです。
考えられる理由は冬でも部屋はオンドルが効いていて、とても暖かい。
日本みたいに湯船で体の芯まで温まるようなことはせず、床で温まるからでしょうか。
沖縄や小笠原は亜熱帯気候に属し、冬でも10度を切らないそうです。
同じ日本人なのに、内地みたいに湯船に浸かっていたら余計に暑くなるからでしょうか。
うーん、私だったら亜熱帯に出かけても、湯船に浸かりたいです。(笑)
廊下。
2日間寝泊まりした部屋。
ユースホステルは相部屋のはずだが、ちょうど3人部屋でした。
エアコンが大好きなヨングク君はエアコン吹き出し口近くの上段、おのっち君は下段、強いエアコンが苦手な私は一段ベッド。
ここは高い部屋のロフトがついています。
オープンしたての頃はロフトまで布団が敷かれてあったのですが、エアコンが届かないうえに、熱気が上部にこもるせいか、夏場は蒸し暑い。
ロフトがあっても、夏場は使わないみたいです。
おのっち君いわく「8年前、あそこで泊まったんだけど、すごく暑かったな」とボソッ。
2階の洗面所。
ここはテレビのあるリビング。
食事スペースと、旅人とお酒を酌み交わしながら雑談するところ。
テレビはアナログになっていました。
2011年までに地上デジタル化になるはずなので、小笠原でも字幕を楽しめそうです。
父島のユースホステルは連日満員、とてもにぎやかですが、ここはひっそりしています。
旅人と盛り上がるのが好きなら、父島。
都会の喧騒さから離れ、ひっそりしたいのなら母島が向いているかも。
私?そりゃ、小笠原に4泊できるなら、2泊ずつにするつもり。
3泊しかなく、「ひっそりしている」に天秤が傾いてしまったので、母島に2泊。
都会的な八丈島と秘境青ヶ島、どっちに傾くとしたら、やはり青ヶ島。
おがさわら丸出港日のダイヤは
父島7:30→母島9:40/10:30→父島12:40 14:00東京行き
母島を10時半に出て、東京に着くのは翌日15時30分。
おがさわら丸の出ない日は
父島7:30 → 母島9:40 /14:00 → 父島16:10 のダイヤが組み込まれているので、母島2泊、父島1泊のコースなら母島最後の日はゆったりできる。
母島入港時の様子をヨングクさんが撮ってくれましたので、アップしますね。
入港時に不審者はいないかと目を光らせています。
ここも東京都なので、おまわりさんも「警視庁」。
小笠原警察署の管轄は小笠原村全地域なので、南鳥島や硫黄島も含む。
2006年、「硫黄島からの手紙」が上映されてからは「硫黄島に行ってみたい」と観光協会に問い合わせが殺到したらしいです。
年に1回、遺族の方々の硫黄島慰霊や戦没者遺骨収集、小笠原中学校の社会見学でしか上陸できないそうです。
私のような一般人の上陸はかなり難しい。
硫黄島の自衛官は2~3年ごとの交代、「小笠原手当」なるものが毎日出ているが、使いたくても使える場所がないため結構貯めているそうです。
鹿島建設の新しくてかなり立派な官舎、食事も充実しているとのこと。
「硫黄島からの手紙」のとおり、湧き水がなく、過酷な環境。1日500mlの水しか与えられなかったみたいなので、苦しみながら亡くなられた兵士も多い。
そのため、夜就寝する前にコップ1杯の水をドアの前に捧げておかないと、真夜中いきなり部屋の中で得体知れずものが「水くれ!!」と騒ぎだすというエピソードがあるそうです。
自衛官たちは交代しながら3ヶ月に1回は内地に帰れるのですが、赤紙の交付により硫黄島にやってきた兵士たちはここで死ぬ覚悟をしていた。
内地に帰りたいという思いも非常に強いせいか、空自輸送機に乗ろうとしたら、背中にたくさん人がすがっているような感覚になることもあるそうです。
地下壕は複雑な迷路のようになっていて、まだ見つかっていない壕もあり、まだたくさんの遺骨や遺品が眠っています。硫黄島の英霊に合掌。
ゆうちょ銀行のATMを利用すると、レシートのような利用明細が出てきます。
小さくちぎって捨ててしまいますが、母島簡易郵便局のキャッシュサービス明細は永年保存に向いているので、ファイルに入れてしまいました。
簡易郵便局は大まかに分類すると、池袋の「池袋西武簡易郵便局」、渋谷の「東急東横店簡易郵便局」などのシティポストと、農協や民間に委託するタイプに分かれます。
前者は大都市の簡易郵便局なので、当然ながらATMが付きます。
後者はATMが置かれていないので、窓口での対応になります。
簡易を除く全国24000余りの郵便局は100%ATMが設置されていますが、実は郵便局の貯金窓口でもキャッシュカードが使えます。
母島簡易郵便局ではゆうちょ銀行とJA(農協)バンク東京の窓口端末と、JAのATMが設置されています。もちろん都市銀行と全国地方銀行のキャッシュカードでの引き出しは可能。
(平日 8:30~16:00 全国のJAバンクは手数料無料、提携金融機関105円)
小笠原村役場の納入通知書兼用領収証書。
母島でインターネットを使いたいときは、母島支所のロビーに設置されているパソコンが使えます。
1時間 200円。
ドコモのFOMAはハイスピード対応だが、通信スピードは内地よりも若干遅い(メール送受信は2、3秒タイムタグ発生、携帯電話のインターネットブラウザも表示されるまで本土よりも数秒かかる)。
パソコンは本土~村役場間を衛星電話回線で1Mbpsを確保されているみたいなので、ストレスはなさそう。
200円の利用料なのに、10億円単位まで印刷されているところが面白い。
駐在所の切符を切るとしたら、様式はこんな感じになるかな・・・?
告知・交付日時 平成21年7月30日 午後○時○分
告知・交付者の所属階級及び氏名 警視庁小笠原警察署母島駐在所 巡査 ○○○○
反則車両 原付車 登録番号 小笠原村 ○○○○
反則日時 平成21年7月30日 午後○時○分
反則場所 東京都小笠原村母島字元地 母島駐在所地先
反則事項 法定速度違反 1km/h超過 (30km/h のところ 31km/h)
反則金相当額 6,000円
日本一遠い郵便局のカウンター全景。
「郵便局」の窓口は左側。
農協ATMでゆうちょ銀行の引き出しは手数料がかかってしまいます。
父島で使うお金が足りなくなったので、ここで現金の調達してみました。
窓口備え付けの通常貯金払戻用紙に住所、氏名を記入、印鑑はキャッシュカードの暗証番号代わりにテンキーが渡されます。
1万円を千円札10枚にして欲しいと伝えれば、そのとおりの金券を用意してくれます。
母島簡易郵便局の取扱店番号は 「01850」でした。
「00」や「01」で始まる番号は東京都、「05」は千葉県、「02」は神奈川県、「03」は埼玉県・・・といったように都道府県ごとに分類されているので、どこを旅して引き出したのか思い出すこともできます。
ここでもちゃんと記念切手買えます。
簡易郵便局のとなりは、小笠原警察署母島駐在所。
おまわりさんがいれば、いろいろ取材するつもりでしたが、あいにく巡査中のようでご不在。
友人2人いわく「ビールを飲みながらバイクで駐在所に出向き、飲酒運転です。赤切符をくださいな~と申告すれば確実にもらえる」
私 「いや、そこまではやりたくないな~。仕事もクビにさせられるよ」
小笠原警察署のホームページによれば、
平成20年度の犯罪発生数は10件、逮捕とかの検挙は2件。
小笠原村全地域のデータだが、この数値に母島も含むかどうかと知りたい。
母島における道路交通法違反件数、赤切符の交付枚数も知りたいな。
(母島は父島に比べると観光客も少なく、のどかなところなので、検挙件数は青ヶ島と同じくゼロかも?)
3台のバイクを給油したところ、6リットル1100円。
単純に計算するとリッター185円でした。
本当に185円でいいの!?と思えるほど安くなりました。
4年前に来たときは230円だったのは記憶しています。
お店は「大漁寿司」なのに、メニューを見ると、島の魚だけではなく、ソバや焼き鳥、韓国のキムチ鍋、中華のジャージャー麺までも取り扱う、よろず屋のようです。
営業時間は11時30分から12時30分まで、夜は18時から23時まで。
ヨングク君 「ジャージャー麺。大盛り」。
おのっち君 「かつ丼。大盛り」。
私 「えっ!?2人とも大盛り!?よく食べるなあ・・・・じゃあ私も冷やし中華大盛り」
漁師も兼ねているでしょうか、真っ黒に日焼けしたサーファーっぽい風貌になっていますね。
「ごめんなさい、ジャージャー麺の大盛りはないです」
ヨングク「ごはん大盛り追加」
ランチタイムは混んでいて、せわしく動き回っていました。
山盛りになった野菜をポールのままで出すのを見かけました。
おのっち 「あれ!?お好み焼きでもあるんですかねぇ・・・」
私 「よく見たら違うみたいだよ?サラダ!?」
おのっち 「ポールのままで出す冷やし中華ってそんなのあり!?」
やがて、私のところにも運ばれてきました。
ナニコレっ!? 目玉が飛び出すほどの超大盛りじゃん!?
「あんたらが大盛りって頼むから私も大盛りにしたけど、こんなはずじゃなかったわい!大盛りで頼まなくても十分だった」
ヨングク君のジャージャー麺。(大盛りではないもの)
おのっち君のかつ丼(超大盛り)。
もちろん3人で分け合ったりしたので、それぞれ異なる味のランチを楽しめました。
「大漁」というお店の名前にふさわしく、ボリュームたっぷり「大漁寿司」さん、ごちそうさまでした。
お世話になった支所長さんのところへ「ただいま、静沢の戦跡散策から戻ってまいりました。ありがとうございます」と報告。
支所の向かいは母島簡易郵便局だ。
東京から沖縄の最果て(南大東島も含む)へは飛行機でわずか5、6時間に対し、週に1回、しかも32時間以上の郵便局はここだけかも、と思いながらタイトルを「日本一遠い郵便局」にしてしまいました。
【参考・東京から沖縄の最果て行きの時刻表 8月19日現在】
東京から与那国島
(羽田10:35→那覇13:05/14:05 → 与那国15:35)
最南端の波照間島
(羽田10:35→那覇13:05/13:25 → 石垣14:20・・・連絡バス・・・石垣港15:30 → 波照間島16:30)
建物はJA(農協)小笠原島母島支店、郵便局から業務を受託しているので、「簡易郵便局」。
ずっと昔、初めて母島に来たときの郵便局営業時間を見て、「なんと!?14時30分まで!?早く終わってしまうなんて、どういう余暇活動してんだろう?」と疑問に思っていたことがようやく理解できました。
本業のJA(農協)を兼ねているので、郵便業務は14時30分まで、ということになります。
母島唯一の郵便ポスト。
収集する支店名や取り集め時刻の表示は1つもありませんでした。
たぶん、管轄は新東京支店かな。
(父島の小笠原集配所で押印される「新東京」)
「小笠原集配所からの配達業務を受託、JA職員が各家庭に配達しています。発送はここまで持ち込みになります」と説明がありました。
民営化前は集合ポストのようなものが置かれてあり、郵便局まで手紙やゆうパックを取りに行く必要がありました。
現在は各戸配達になっているので、集合ポストは撤去されています。
母島でゆうパックを出しても追跡情報は「新東京支店小笠原集配所」と反映されるようです。
友人2人は旅先からあまりハガキを書かないみたいなので、「書け!書け!書けーっ!」とごり押し。
2人は書いているうちに「このはがきを相手に届いたときどんな表情になるだろう」と楽しく書けたみたい。
はがきを窓口に出す前に記念写真。
何種類かの小笠原切手だけで埋め尽くすと、風景印を押すスペースがなくなってしまうので、ご当地切手は1975(昭和50)年8月8日発行の自然保護シリーズ第2集の鳥類、「ハハジマメグロ」の1枚だけにしました。
まんべんなく押すのにテクニックがいります。
観光客から何枚か押印依頼があるようなので、慣れた手さばきで押印していました。
図案は20円切手と同じく「ハハジマメグロ」、「乳房山」、「マッコウクジラのしっぽ」で構成されていました。
7月30日発送、配達されたのは8月3日でした。
7月31日の「おがさわら丸」に乗って来たでしょう。
海軍施設跡看板のところにバイクを停め、母島支所長さんの運転する車に乗せてもらい、上の入り口へ。
母島は「硫黄島からの手紙」で描かれているとおり、日米玉砕の島ではないが、昭和16(1941)年に沖港防衛のために海面砲台の建設開始。
およそ64年前の残骸、機関銃。
「硫黄島の手紙」は邦画のため、字幕はアメリカ人の発する英語を訳された部分のみ。
DVDも日本語字幕なし。何と言っているか気になる映画だけに先日、テレビでその作品が字幕付きで放映されました。
栗林忠道氏は太平洋戦争が始まる前、アメリカに滞在、日本よりも軍力は優れていることは理解していた。
よりによって太平洋戦争が悪化し、アメリカが硫黄島を航空基地にしようとしたため、それを防衛するために彼が硫黄島に赴任。
水際防衛だけではすぐ陥落になるのは目に見えてくるので、地下要塞への持久戦に切り替えたそうです。
こんな機関銃だって、アメリカ軍の一撃で壊されるのは決まっている。
真っ先に挑発したのは日本、朝鮮半島や台湾までも大日本帝国にしてしまっては、敗戦。最初から戦争しなくてよかったと思えるような残骸たち。
コースの途中、この道に出ます。
きのこらしきものを発見。
夜になれば光る「グリーンペペ」かな?
タコノキ。
タコの足のようになっているので、「タコノキ」とそう名付けらしい。
亜熱帯に多い、樹木。
ここは弾薬庫跡。
64年以上前の建物にしてはしっかりしていました。
廃墟には見えないけど、崩壊などの危険もあるため、足元と周辺に充分ご留意ください、とのこと。
ここは「壕」かな。
終戦後、国の指示により軍事記録をすべて燃やされてしまったのか、この用途は不明だそうです。
このあたりは「静沢の森遊歩道」に整備されていますが、戦時中は「海軍 母島海面砲台及び静沢101高地防空砲台」という名称。
ほぼ1時間あれば散策できそうです。
とうとう最後の日の朝になってしまいました。
3日間を母島に滞在し、父島に寄らず東京に帰るスケジュールなら今日は乳房山に登るつもりだったが、登ってすぐ父島に戻るのはこの歳のせいか、疲れてしまう。
「今日の予定は・・・私の趣味になってしまいますけど、村役場母島支所と駐在所、郵便局に行ってみたいな~。こんなところに行っても面白くない、と思うのなら北港に行くとかはどうかな?」
「まあ、君の趣味に付き合ってあげようか」と2人も一緒について来ることに・・・・。
時間が余っていれば、村民会館母島図書室にも行ってみたいな。
ここは都道241号線の「北進線」と「南進線」の境目になっています。
前浜。
メインストリートかな。
1番向こうに大きなガジュマルの木があります。
その下は木陰になっていて、島民の休憩スペースになっているみたいだが、その日は1人も見かけず。
ガジュマルの木あたりで左折すると、3軒の商店(農協、漁協、前田商店)、駐在所、簡易郵便局、村役場母島支所。
まず向かったところは母島支所。
カウンターで質問すると、職員が支所長さんに質問の内容を伝えたらしく、「どうぞ、こちらへ」と応接室に案内されました。
ちょっとした質問のところが、気さくな支所長さんは「役場職員の7割は内地出身。かくいう私も内地出身」などいろいろなことを話してくれました。
支所長 「母島だけではなく、父島も含む小笠原村なんですよね。少々お待ちください」
・・・数分後・・・
支所長 「端末で調べてみたのですが、ろう者の村民は1人もいません。観光で訪ねる、ろう者の方々が多いですので、ガイドさんが独学で手話を学んだり、ろう者から手話を教わってもらうこともありますね。母島も手話サークルありますよ。紹介しましょうか」
私 「ありがとうございます。今日の2時に父島に戻るので、また今度の機会にしたいと思います」
支所長 「で、これからどうされるのですか?」
私 「静沢周辺の戦争跡巡りをしようかなと思っています」
奥から地図を持ってきて、「コースは下から上に登るものと、上から下に降りるものがあります。上から下に降りるコースは楽ですよ。クルマで送ってあげましょうか」
私 「レンタバイクで来ましたけど・・・」
支所長 「じゃあ、あなた達は下のところでバイクを停めて、上までクルマで送ってあげましょう。ついて来なさい」
えええーっ、いいですか。お仕事中すみませんとお言葉に甘えさせていただきました。
御蔵島村役場へ調べ物をするために行ったつもりが、ついでに小中学校までご案内いただいたこともありました。
島の役場はとても丁寧で親切な方が多いです。
2日目の夕食は
母島漁師さんの釣った、ばちまぐろ。同じまぐろのちあいの漬け、北海しまえび(道東で取れます)、しまのきゅうりとしまのにがうりのサラダ、内地産のとりの唐揚げ。(お母さん手書きの献立を書き写しました)
ユースホステルのご家族は夏休みのため、内地へ。
お母さんとゆきなちゃん(2歳)が留守番、お料理を作ったり、部屋のお掃除をしたり・・・1人で仕切っていました。本当にお疲れ様です。
4年前に来たときの話。
旧ヘリポートの地面に仰向けになって横たわると、太陽の熱がまだこもっていて、ポカポカ。空を見上げると、360度のパノラマに満天の星。
街ではなかなか体験することのない天体観測。
もう1度その感動を味わおうと思っていたのに、スコールの強い雨。
バイクで天体観測に出かけるために夕食時の晩酌を我慢していたので、「今日は中止!」と私が号令をかけると、2人は喜んでリビングへ。(笑)
ん?天体観測とお酒、どっちが好きなんだ!?
1時間くらいしただろうか、窓を開けると満月のお月さまが・・・・。
「お月さまも出ているということは、空が明るくて満天の星じゃないのは確か。今日は中止にして正解だったかも?」
3日目の朝ごはん。
デザート用のバナナ。
庭にバナナの木が生えているので、そこから収穫していたかも知れませんね。
2000年オープン直後飛び込みでお世話になってからあっという間に9年。
カナダ人の大工さんに建ててもらい、左官さんと同じ部屋で寝泊まりしていたことを思い出します。
8月13日、東京の日の出時刻 4時58分 日の入り 18時33分。
小笠原は5時11分、日の入り 18時11分。
(東京より東に位置するため、夏至の日でも18時30分日没)
ついこの間までは7時過ぎてもまだ明るいなと思っていたのに、いつの間にかに・・・!?
さて、この日(7月29日)の没時刻は18時22分。
集合時間は17時、クラブノア母島さんに行ってみました。
サンセットツアーに申し込んだのは私たちだけなので、貸切状態で出発。
ガイドさんは手話のできる方で、ときにはダイビング用の水中筆談器を交えながらのガイド。お客さんがろう者だけのときは手話ができるガイドさんも同行、といったようにクラブノアさんの配慮に感謝。
夕日はヨングク君のほうがうまく撮れているので、たっぷり載せちゃいます。
まだ明るいうちい出発なので、母島周辺の島々巡りと海に飛び込むことはないけど、船上からのドルフィンウォッチ。
向かったところは平島(へいしま)。
遠浅の白い砂浜があって、海水浴の絶好スポットだそうです。
しかし、平島で泳ぎたいときは船をチャーターしなければならず、ハードルは高い。
もし上陸できていれば、自分だけのプライベートビーチになりそう・・・。
今度は向島へ。
向島周辺はイルカが棲みついているらしい。今の時間は食事時間中なのか、あんまりジャンプするようなことはないそうです。
夕日の反対側に虹が現れてきました。
写真に写っているのは1本だけですが、2本目は薄っすら。
ぼちぼち太陽が傾いてきました。
ヨングク君はこういうアングルが好きみたい。
真面目な写真よりも面白いかも・・・。
名付けて「カメラだからできる、太陽いじり」。
丸い太陽を丸めた指に収まる構図。
これも沈みかける太陽を強制的に上に動かす構図。
ヨングク君の作品は素晴らしい。
真面目な写真はこちら。
今日も1日いろいろありました・・・・。
こうして無事にいられるのは太陽のおかげです。
感謝しつつ、明日へのみなぎり。
ここからは私の撮ったもの。
ガイドさん「見る角度により、1本から4本に見えるので、四本岩と呼ばれています」
おのっち「まるでお化け煙突っすね」
私「お化け煙突って?」
おのっち「ほら、こち亀に出ていた、お化け煙突。見る場所により、煙突の本数が変わるというストーリーも出ていた」
私「おお、そうだったね」とガイドさんに筆談でそう伝える。
お化け煙突は昭和30年代なので、下町育ちの40代、50代にとっては馴染み深かったかも知れないけど、ガイドさんもそれをご存知だったかな。
こち亀ファンなら、若い世代でも知っているはずだ。
い、い、いつの間にかにヨングク君も母島の漁師に変身!?
どこに行っても現地の人に溶け込むらしい。
韓国に行くと、韓国人に変身することも可能だ。
太陽が水平線に沈んだときに瞬時に出るグリーンラッシュ(太陽が緑色になるらしい??)に期待していたが、見られる確率が非常に小さいせいか見られず。
沖港の夕暮れ。
港から見た夕日とは違った風景。
クラブノア母島さん、わずかな時間でしたが、よい思い出ありがとうございます。
今も夕日を見るたびに母島を思い出してしまいます。
朝早くから南崎と小富士に出かけ、集落に戻ってきたのは昼過ぎの1時半頃。
ランチタイムは過ぎてしまい、「準備中」の看板が・・・。
母島唯一のダイビングサービスとネイチャーツアーをやっている「クラブノア」さんはやっているかなと行ってみたら、ラストオーダーは14:00まで。
ミルクココナッツ入りのカレーをオーダー。
出来上がるまで時間がかかりましたが、南国情緒の味がして美味しい。
?12,000(≒900円)
クラブノアさんの「アオウミガメ」。
ヨングクさんの撮ったデジカメにいい表情が撮れているので、載せました。
小笠原フォトコンテストに出品すれば、何かの賞が取れそうな気がする。
サンセットツアー出発時間は夕方の5時。
それまでに乳房山に登るにしても間に合わないかも。
駆け足で登って降りるのは体力的にきつい。
脇浜なぎさ公園でしばし休憩。
ここから見えるのは、父島の二見港より静かな佇まいの沖港・前浜。
前浜の向こうは村役場母島支所、駐在所、簡易郵便局、前田商店が建ち並ぶメインストリート。
真っ赤なハイビスカス。
我が家もイエローのハイビスカスを育てています。
生き物のようにあちこちつぼみが出来て、きれいに咲かせたあとは萎んで落ちてしまいます。
また数個のつぼみができるので、ほぼ毎日咲いてくれます。
イエローだけではちょっとさびしいので、ピンクのハイビスカスも買ってしまいました。
うちの家でも「小笠原」を再現。でも、冬を越せるかちょっと心配。
人工砂浜だが、さすがにきれい!
南崎、北港は珊瑚礁が広がっているので、海の中の世界は楽しい。
こちらは白い砂浜だけなので、ちょっと面白くないかも・・・。
突き出た桟橋付近のみ岩が積み上げられているので、そこに熱帯魚など海の生物がちらほら見られるようになります。
ウニも発見。母島ではウニを食べる習慣がないみたいです。
(なんででしょうか・・・?)
あわびやサザエはさすがに見つかりませんでした。
今日(8月10日)は台風9号の接近で朝から大雨、曇ったり、晴れ間が出たり、湿った空気が流れてきたり・・・本当に不安定な1日でした。
8月10日の青ヶ島は毎年恒例の「牛祭り」が行われたのですが、規模を縮小してしまったみたいです。
還住丸が8日も欠航が続いたため、8月9日は早朝、定時、夕方飛んできたらしい・・・。
東邦航空のダイヤを見ると、
八丈島発9時20分 → 青ヶ島9時40分着、9時45分発 → 八丈島 10時05分。
このダイヤは通常運行。
8月9日だけは 早朝、八丈島から青ヶ島まで飛んで行き、八丈島へ。
定時運行としてまた青ヶ島へ。
青ヶ島から戻ってきたヘリは八丈島、御蔵島、三宅島、大島。
大島から利島、折り返して大島。
大島からは下りの便として、三宅島、御蔵島、八丈島に16時00分着陸。
この日の運行は終了のはずだが、夕方の臨時便として
16時20分発→青ヶ島16時40分、16時45分→17時05分。
今夜発の「さるびあ丸」(大島・利島・新島・式根島・神津島)、「かめりあ丸」(三宅島・御蔵島・八丈島)は台風欠航。
小笠原海運の「おがさわら丸」は台風が来ても時間をずらすだけで欠航しないといったような話を聞いたことがあるとおり、台風接近時のダイヤは下記のとおり変更されました。
8月10日(月)東京 17:20入港 (2時間遅れ)
8月11日(火)東京→父島 14:00発 (4時間遅れ)
8月12日(水)父島 15:30着 (4時間遅れ)
父島16:30 → 母島 18:40 / 母島 19:00 → 父島 21:10 (推測)
8月12日(水)父島→東京 18:00発 (4時間遅れ)
8月13日(木)東京 20:00着 (4時間30分遅れ)
8月14日~は通常定期運航です。
数年前の小笠原。
東京に帰る日に台風接近。通常14時出航のはずだが、4時間早まり、10時出航のため翌日の午前11時半に東京着。
父島に滞在できる時間が4時間も取られてしまっては残念!!と名残惜しい思い出があるのですが、今回の8月12日は4時間遅れの18時発なので、ゆったり滞在できるので、よかったかなと思います。
この山のてっぺんはさきほど登ったばかり。
頂上からここまでたどり着くのに2、30分。
すでに滝のような汗が出てしまったので、とっぷり漬かりたい。
南崎は人工物が1つもありません。
(海岸ではないけど、手前に屋根付きの休憩所あり)
海岸では日陰になるものがないので、裸足で歩くと「熱い!熱い!」と思わず海に行ってしまいます。
にごっていない場所だと、珊瑚礁が広がってとても美しい!!
海水は冷たくも熱くもなく、生ぬるい。
まるで水族館の中にいるかようで、とてもきれいっ!
顔だけは合成になっています。
冬のソナタの「ヨングク」にそっくりなので、こう呼ばせていただきますね。
小笠原の海はきれい。
青ヶ島の三宝港、御蔵島も真っ青の世界だが、海底の雰囲気はそれぞれ異なります。
青ヶ島はほとんど大きな石ころ、御蔵島は玉石だらけ。
そして小笠原は珊瑚礁。
よく見かける、生物。
ナマコでした。
チャコ貝。
面白がって指を入れたりすると、挟まれてしまうこともあるそうです。
カラフルな魚もいっぱい!!
歩きながら撮ったのか、ちょっとぶれてしまいました。
このジャングル道はまわりの木々が太陽の光をさえぎってくれるので、ちょっと涼しいです。
でも、湿度は依然高いままですが・・・・。
先頭はヨングク君、私、おのっち君の順で歩いていたところ、背負っているリュックの下から誰かが押しているような感覚。
これはたぶん、後ろのおのっち君が「頑張れ!」と押しているだろうなと気にしないでいたら、ぐいぐいと押される感覚が・・・。
すぐに後ろを振り向いたが、おのっち君との距離は少し離れていた。
これは私の気のせいかも?と歩きながらしばらくするとまた押されている感じ。
後ろの感触を確かめようとしたら、ちゃんとリュックの下から両手で押している。
でも・・・手の高さからにすると不自然。
一応、「押した?」と聞くが、「押してないよ」。
不思議な現象は今まで何度か経験しているけど、頑張れ、頑張れ!と励まされたのは初めて。
おのっち君よ、本当に押してないんだよね
途中「南崎0.2キロ、小富士0.4キロ」の標識が立っている分岐点にようやくたどり着いた。
今までは早く泳ぎたさで南崎方面に向かっていたけど、今回は小富士へ。
「荷物は全部ここに置いて、飲み物とカメラだけ持って行けば帰りは楽かも?」
「わずか0.4キロなので、大丈夫だよ」と2人。
そのわずか0.4キロだというのに、まるで富士山のように道が険しい。
分岐点で荷物置いていったほうが正解だったかも。
(母島ではクルマやバイクはキーを入れたままだし、荷物を持って行かれる心配はなさそうです)
ラストスパートは、な、な、なんと!!
はしごでした。
サンサン直に太陽が当たる場所なので、すごく熱い!!
ここに来た甲斐があると思えるほどの絶景。
水平線を見ていると、地球は丸いなあと実感できます。
この先もずっと島が続いていますが、無人島。
うわっ!!きれい!!と思いきや、湾内にちょっと濁っているところが・・・。
シュノーケリングは大丈夫かなとポイントを探してみたところ、手前の岩あたりがきれいですので、大丈夫でしょう。
カメラが違うと、こんな風に映ることもできるようですね。
帰りは、また励ましてくれるかな?と意識しすぎたのか、来てくれませんでした。(笑)
昼食はユースホステル特製のおにぎりを持参しようと思っていたのに、「昼食用のおにぎりはしばらくお休みします」とのこと・・・・。
おにぎりも用意してくれたら、乳房山の山頂で昼食、それから南崎に行くスケジュールを考えていた。
乳房山は標高約463メートル、小笠原では1番高い山。ゆっくり登山するなら4~5時間をを要す。
南崎へも遊泳時間も含め、4~5時間。
4年前に来たときはこれを1日で片付ける、トライアスロン並み(1日10キロ以上の登山・ハイキング・遊泳)ハードスケジュールだった。
母島に長く滞在ができるなら、今日は乳房山、明日は南崎、明後日は北港より先の大沢海岸といったようにプランを組められるが、母島滞在はわずかだ。
ヨングク君の小笠原の中で1番お気に入りの場所に行きたい!というリクエストにお応えし、朝から南崎に行ってみました。
2日目の朝ごはん。
「焼き魚」はニッポンの朝ごはんに欠かせないもの。
今日はたっぷりエネルギーを消費しそうなので、ごはんと味噌汁をおかわり。
ここは都道最南端の南崎ロータリー。
御蔵島は都道223号線。
青ヶ島は236号線。
父島は240号線、母島241号線。
好きな島だけは都道の3ケタはちゃっかり覚えてしまいました。
4年前に来たときは、左側の標識はなかった。
内地の都道と全く同じ標識。
ヨングク君のカメラの入っていた画像。
「ここは都道最南端
北緯26度37分(南の位置は沖縄県の美ちゅら水族館とほぼ同じ)
東経142度11分(東の位置は北海道深川市・・・旭川市の左側とほぼ同じ)
小笠原村母島南崎」
指差し呼称しながら、ここは正真正銘の都道最南端であることを確認する姿なんでしょうか?(笑)
私も赤いハイビスカスの写真をいくつか撮りましたが、味があるのはヨングク君の作品。
ハイビスカスがメインでバックは「動物に注意」、デザインは小笠原でしか見られないヤドガリ。
およそ10分でこの標識。
万年青浜も絶景なビーチらしい。
40分で蓬莱(ほうらい)根海岸、
50分でワイビーチ。
時間がたっぷりあれば、この3つも制覇したいところだが、今回はひたすら南崎の小富士を目指した。
遊歩道のジャングル歩き、30分で「すり鉢」休憩所に到着。
南崎までは中間地点だ。
蒸し暑く、滝のような汗がどっと滴り落ちる。
2人は私の汗を見て、面白がっていたみたい。
滝のような汗は体内の老廃物を一気に流れたということになり、健康的かも・・・?
ここは昔、子供たちじゃお尻にシュロッパ(ビロウ)の葉を敷いて滑っていたそうです。
赤土は衣服やスニーカーに付着すると、色が落ちにくくなります。
今夜のメニューは・・・
母島漁師さんの釣ったオナガダイの刺身に母島産きゅうり、千切大根煮島オクラ入り、エゾシカのシチュー。ごはん、味噌汁、シチューはおかわりOK。
母島なのに、「蝦夷」(えぞ)の付くメニューになっているのは、お母さんは北海道根室市出身。
我が家とは違った、親戚の家にお邪魔するような家庭的料理です。
とても美味しくて、皆さんも競うようにおかわりしていました。
デザートはパッションフルーツと三尺バナナのシャーベット。
次の日もパッションフルーツがいっぱい出ました。
自家農園を持っているという話を聞きましたので、もしかしたら、このパッションやバナナは自家製かも。
小笠原に来て、「畑」らしきものを見かけたことはありません。
ほとんど酸化鉄の赤土なので農作物を育てるのに不向きだそうです。
小笠原で畑を持つとしたら、土壌改良を施しているかも知れませんね・・・。
レジャーや遊びばかり夢中になってしまい、小笠原における農業事情の取材を逃してしまいました。
次回の小笠原は島の野菜を育てている農園を見せてもらうことにしましょう。
今日は雨が降ったので、夜光きのこの「グリーンペペ」が見られるかも知れないと思い、ナイトツアーに出発。
桑の木山の入り口にバイクを止めると、あたりは漆黒の世界だ。
ほのかに緑色が光っていれば、簡単にグリーンペペが見つけられるはずなのに、今日は発見できず。
(あとでわかったことだが、雨が降って2~3日後だと見つけやすいとのこと)
せっかく桑の木山まで来てしまったので、終点北港まで行くか・・・とバイクを走らせた。
途中の「探照灯基地跡地」。
旧日本軍が設置した、大型の敵機探照灯が壕の中に据えてあり、外に移動できるようにレールが敷かれてありました。
64年前の残骸。
初めて見たときとあまり変わらずの姿をさらしています。
壕の中で染み出た水。
ボウフラはいなかったので、あまり蚊に刺されませんでした。
ここにいる人は3人のはずなのに、もう1人いました。
もう1人って誰!?不思議な現象に遭遇。
北村小学校跡地。
開校は1887(明治20)年。
石段と校門は現在だが、廃校60年以上経っているため、ほとんどガジュマルが茂っていました。
ここから終点の北港まで200メートル。
街路灯もないので、漆黒の世界。
写真撮っても、真っ黒でした。
60年以上前にタイプスリップすれば、ここでも民家のランプでほのかに明るかったかも知れませんね。
空を見上げると・・・・小さな宝石が散ったかような無数の星。
内地で見る星は、明るく光っている星しか見られないのに、ここは感動してしまうほどの美しさでした。