徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

42年前の8月、市役所前

2009-08-02 23:56:58 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

徳島では梅雨が明けたそうですが

ここ関東内陸部は戻り梅雨が絶好調です。

ちょっと前にリンク先の身内のブログに出てた写真が元で

市役所前のワシントン椰子についてやり取りしたことがありました。

http://blogs.yahoo.co.jp/kaas1110/18384323.htm

で、その時は昔々元町や両国のロータリーから移植したんだろう

なんて書いたんですが、

どうもそうではなさそうです。

S19670900_03

今から40年以上前になりますが

1967(昭和42)年8月の撮影です。

日にちは不明ですが阿波踊り期間中なのは明らか。

地元の方に場所の説明は不要だと思いますが

右手は市役所前の桟敷、

文化センター脇の跨線橋からの撮影です。

左手にはまだ東署があったかもしれません。

ちなみにこの写真は私が初めて撮ったカラー写真で

ハーフのオリンパス・ペンDで撮影。

中央遠景は県庁旧庁舎、その手前は

埋立前の寺島川です。

さて、ワシントン椰子ですが、もちろんありません。

でもよく見ると丈の低い熱帯植物が植えられています。

正解はこいつが大きく育ったということでしょうか・・・

夾竹桃だけは今と変わらず花盛りです。

子供の頃、親から「毒やけん触ったらあかん」

と言われていました。(実家にも植わってました)

ネットで調べてみると「強毒」だそうです。

結構あちこちに植えられているので

注意が必要だと思うんですが。

千秋閣(自治会館)も古い建物です。

自治会館と線路の間にある木造建物の一番手前は

定食屋さんだったと思います。なぜか

ガラスケースの中に並んだ、桜でんぶのいっぱいかかった

ちらし寿司の皿盛りが記憶に残っています。

写っている列車は小松島港-松山・高知間の

「いしづち」+「阿佐」です。

通常はキハ26・28の2両+2両ですが

お盆の時期とあってかキハ20が一両増結されています。

キハ20で急行料金というと不当な感じもしますが

デッキは無いもののシートピッチは変わらず

どのみち冷房なしの時代なので座席の提供がサービスでした。

この列車は気動車の利点を活かした併結運転のお手本

のような列車で、特に下り「いしづち」は松山までに

あと2回併結相手を替え、終点まで単独走行することはありません。

詳しくは拙ブログの古い記事をhttp://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/d/20080302

今回、改めて写真をよく見てみると

いくつか判ったことがありました。

その①

当時は、かちどき橋から立体交差に至る

寺島川沿いの通りにも桟敷があった。

その②

この頃、寺島川は未だ埋め立てられてはなかった。

実は拙ブログでは今まで

「寺島川は立体交差を開削した土で埋め立てた」

と、さんざん書いてきました。

今更ですが、すみません間違いでした。。。

立体交差は完成してから既に6年経っています。

寺島川に丸太で足を組んで鉄管が新町川から

延びて来ているのが見えると思いますが

これは新町川を浚渫した泥を送り込むものです。

こちらの写真をご覧ください↓

S19670900_04

最初の写真と同じ時期に

富田橋からかちどき橋方向を望んでいます。

新町川の真ん中に浮かんでいるのが浚渫船。

左側の吸い口を川底に入れ泥を浚い

寺島川に送るパイプが延びています。

こちらの列車は徳島から池田行き423レとなる

小松島からの回送列車です。

後にC58牽引となりますが当時は未だ8620です。

機関車の向こうに共同汽船の上屋がチラッと見えます。

当時、少なくとも共正海運だけは

県庁前の新町川から阪神航路を未だ運行していました。

昔の徳島の事になると次々と思い出が浮かんできます。

今夏も帰省したら写真をいっぱい撮ろうと思っています。

コメント (14)
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