徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

宇野からの帰りに高松で、1967年8月

2021-09-05 22:40:49 | 県外(糸崎、布原 ほか)


9月の写真はキハユニ15で行きます。この時期に撮った写真を現在スキャン中ですが、これはかなり前にスキャンしていて既に記事として掲載済み。キハユニ15は四国では徳島のみに配置で、5と12が居た様です。キハユニ15は他の写真で徳島本線で運用されていた様ですが、最近のスキャンでは1967年の写真では牟岐線・鍛冶屋原線の客車列車にはオハニ61が繋がれているのがあり(毎回ではない)、高徳本線ではマニ36や60が、更に気動車列車にはキユニ17や15が運用されていたようです。この写真では、後ろ三両は皆キハ20で座席を利用するならキハユニ15は避けるのべき。座席間隔は狭いし肘掛け無しでたしかビニール貼りのシート、台車は防振ゴムだけのDT19。今なら興味本位で乗ってみたくはありますが。


前からそうですが、徳島で暮らすようになって一層通販依存が高まりました。大変ありがたい仕組みなんですが、最近はちょっと横柄な気がしてます。確実に受け取れて、配送の方にも負担にならん様にと日時指定しとんのに先方の都合をいやらしい言い回しで押しつけられるのが時々あるんです。早く着けば良いと言うわけではないと思うんですよ。


次は食い物のハナシ。この入口見ただけでは何の店かわからんし、入ってみようと言う気にもならんでしょう。OPENと言う文字で商売しとんやなと言うのは分かります。ええ、市内にある喫茶店です。


店内はこんなカンジ。コロナの時代ですから真新しい空気清浄機が目を引く一方で、石油ストーブは真夏であることを忘れさせる存在です。特に聞きはしませんでしたが、下がってる衣類は売り物の様です。


外壁に絡まる蔦?が凄い。でも中から見るともっと凄いというか怖いカンジです。


ランチでご飯物はオムライスかカレー。事前にネットで調べて、マスター特製カレーにしようと決めていたんですが、今日は無いと言われ止むなくオムライス。下の写真はビートルズ、マスターの好みらしく店内に溢れてます。


ネットにあったとおり、鶏肉でなくてシーチキン使用。同じ物を頼んだ愚妻が「こんなに食べられない」と半分近くよこしたので午後は胸焼け状態が続きました。


今回は本文の写真が少ないんでもうひとつ。埼玉に居る間に載せようと思っていて忘れて居たヤツ。高崎線吹上駅の熊谷方にある踏切です。この溝の蓋が、


ご覧のように横軽アプト線のラックレールですね。こう言うのは八木原の駅前でもあって、もう一カ所どっかで見た記憶があるんですが思い出せません。


前回の宇野の写真とは違うフォルダーに入っていたネガですが、同じ日です。既に帰りの連絡船に乗り込んでいて、船内から撮った様です。元のパーラーカーで1967年10月の時刻表では「展」となっています。


「ゆうなぎ」になっています。前回「うずしお」として11:39に着いた編成が12:45発の新大阪行きとして折り返す様です。151なのか181に改造済みか不明ですが、最近読んだ鉄ピク№986(山陽本線特集)に1966年10月に広島駅で撮られた「しおかぜ」の写真が載っていて「151系から181系のへの改造が終盤を迎えつつある時期」と説明が付いていたんで、たぶん上の編成は181だろうと思います。


高松駅での写真。フォルダーのメモには第二南風とありましたから、連絡船は宇野発11:19の13便だった様です。特急「うずしお」からの接続を受けるんで、準急上がりの「土佐」や「うわじま」でなく正規の急行が待ち受け。土讃線ですからキハ58が続くのも凄いですが、何より3両目のキロが既に冷房設置済みです。「瀬戸」のスロやB寝台が非冷房だったのに比べ、やはり四国は気動車では先進地域だったんだと痛感します。


こっちは到着していたDF50の各停。


「第二せと」。南風もせとも絵入のヘッドマーク。本州の「瀬戸」は漢字表記で、四国はひらがなとして区別してますね。


「第二せと」と「第二南風」は5番線・6番線と同じホームの両側に停車。こうしてみると高松駅はホーム幅も広く大駅の貫禄があります。


徳島行きは昔から一番端っこ。26系主体の編成の様ですが、それでも特急に接続してるんで一番手前の車両はキロ25ですね。当時、二往復だけ一等車と二等指定席車の連結があったようです。キロハ25が繋がってるのはみたことあったんですが、今回のスキャンで全室一等の車両もあったんやと知りました。この頃は高松-徳島が急行で一時間半掛かっていた様です。


4番線に居たDF50が引き上げです。高松は行き止まりホームで、機回し出来る配線でも無いようでしたから編成後方に入替機関車が付いて先に客車だけ引き上げたんだろうと思います。


連絡船から航送車を出し入れするDD13。これも四国では高松だけの配置だったと思います。


オユ12とマニ36?オユの番号からすると宇野で撮ったのとは別の車両です。
高松で撮った写真はここまで。


少ないんでYS11の写真を追加。松茂の飛行場、かまぼこ形格納庫は海自第三航空群のもの。


まだ日本国内航空時代のものです。機首には真珠と書かれている様です。1967年10月の時刻表を見ると、大阪便は一日4便あったものの東京便は一本だけで、しかも高知便が途中立ち寄るものでした。


ちゃんと徳島空港と出てますね。当時は市内から自転車で撮りに行ってました。
そう言えば最近飛行機も乗ってないなぁ・・・と言うところでおしまいです。

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