推し、燃ゆ/宇佐美りん作
雑誌文藝春秋3月号に掲載されたものを読んだ。単行本を買おうかとも思ったのだが、月遅れで安くなった雑誌を買う方が経済的というか、なんとなく目について買ったのだと思う。他の記事だって読めるし。しかしながらなぜ読もうかと思ったのかは、自分でも謎だ。芥川賞受賞作だからという理由でないことだろうとは考えられるが(そういうのには興味がない)、誰かがこれを読んでほめるか何かした文章を読んだに違いないのだ。そうしないと、僕が興味を持つような分野ではない。謎だが、忘れたものはしょうがない。考えてみるときっかけなんていつだってそういうもので、何か引っかかるものがあるとしても、手に取って読んだ経験の方が大切だと思うようにするしかないだろう。しかしこれを読んでいて、短いからというのもあるが、他の本などを読みながら、行きつ戻りつ読んでしまった。妙なものを読んだという気分はあるが、あまりにも僕の思考とはかけ離れた世界を読んで、なるほどと思うものが多かったのだろうと思う。
アイドルに心酔する若い女の話なのだが、そののめり込みようが異常であることと、生活もまた破綻している状況にありながら、彼を追うことに自分のバランスをとっていることも見て取れる。いわゆる普通の女子高生という領域から外れていくのだが、そうしてこれは精神異常の領域に達しているものの心境であるともいえるが、しかしおそらくそういうものだろうという共感も得られるのだろうと思う。アイドルを追いながら、今の世界のゆがみ自体に、自分を合わせることができないもどかしさも描いている。漢字の成り立ちの話など、冗談としてもありそうでありながら、なるほどそうだな、と思わされるわけで、この女性には一定の知性がありながら、成長段階で社会と馴染んでいけないのだ。そうして「推し」ているアイドル男性も、アイドルという生き方に折り合いがつかない状況に陥っていく。その状況に驚きながらも、その心を必死に探りながら、理解さえしている。周りにいる多くのファンたちの様々な反応の嵐のような中にいて、何かそういうことについても、客観的に自分の立ち位置も見ていて、これは正常なのか異常なのか、そもそもこういうネットとリアルと社会の在り方が、今の状況を許さないのではないかとさえ思われる。そういう暴力の中にあって、個人とは無力で、しかしそれと向き合わない限り、自分は生きてはいけない。最終的には、再生する力もあるのだろうと考えることにしよう。
ものすごく面白いというわけでもないし、ある意味でそんなにドラマチックでもない(話は予想の範囲だともいえるし)のだが、いってみれば、これは正直な話なのではないかとも思われた。特にアイドルが事件を起こしてから、ちょっとした悪が露呈した人間に対する世間の風当たりの強さのようなものがよく描かれていて、これはテレビなどのニュースでやっている日本社会の膿のようなものが目の前にあるような既視感があった。そのことを「推し」という人を描きながら表出しているのかもしれない。また、それだからこそ、今タイムリーに受賞に至った作品なのかもしれない。