ジェンダーギャップのことをテレビで取り上げて論じていた。日本社会の中に根付いている性別での捉え方の違いが、その見えないまま強制力を伴って制度的にはびこっている現実をあらわそうとしていた。そのことについては、確かに多くの人が自覚的であるようになってほしいものだと思うが、何しろ文化的な物事というのは国同士でも簡単には同じにならない。望ましいという感覚の共有こそが必要なものだと思う。
さてしかし僕は男性なのでこれは語りにくい分野で、その語りにくさ一つを語ることも面倒なのでとりあえず棚上げするよりない。そういうものを見ていて既視感のあったこと一つを取り上げる。
それというのも地区の役員会の寄り合いの開催時間の件で、それは19:30開会されている定例の話し合いのようだった。役員が何人だったか失念したが十数人(二十人以内だったと思う)。内女性は二人ということだった。男性役員は女性も含めて夜に集まりやすい時間ということで19:30から開会ということになったと経緯を語っていた。もちろん、変更も可能だとのこと。ところが個別にこのデレクターが二人の女性役員に聞いたところによると、この19:30の時間はまだまだ女性には負担が大きいということだった。家での仕事のもろもろを急いで片づけてやっと参加できる(かなり無理をして、なんとか)ということらしかった。男性目線での開会時間の設定ではないか、と決めつけていた。
まあ、他にもいろいろあるのだが、これを見ていて、これだからジェンダーギャップの議論は解決しないな、とかなり強く感じてしまった。もっともダメダメな議論だ。
それというのも、批判のためだけの批判だからである。この解決は正直言って細かくむつかしい要素がたくさんあるのだが、それには踏み込まないで、女性にとって19:30は男性の思っているようにやりくりの簡単でない時間帯だ、といっているのみである。それは事実だが、しかし、では何時なら適当だというのだろうか。それは最後まで明示されない。要するに夜の会合自体が難しいに過ぎないからである。何時からなんて最初から関係がないのである。女性には女性の仕事があるという問題を解決しない限りこれはどうにもならない。それをどうするのかがジェンダーギャップの本丸ではないのか。
僕は家事のほとんどをやらないが、それはつれあいの実力と彼女の考えている強度において、その仕事ができないからであろうと考えられる。力の違いが歴然過ぎて太刀打ちできない。残念ながら何の期待もないので、邪魔をしない程度にその場にいてもいい存在化しているだけのことである。
よく男性側から、妻の仕事を「手伝う」というようなことを言う人がいる。洗濯物を取り込んでおいた、と妻に報告したりする。その後たたんでタンスに収納した、までする人もいるかもしれない。それもすごいことではあるけれど、やはりやっておいたよ、と報告するのであれば、ほぼもう失格である。残念でした。何故ならば家事自体は、「妻だけ」の「仕事」ではないからである。家事は一部の意味でも手伝う要素はない。何をしてもお礼を言われる筋合いはない。もし彼女らがお礼を言ったとしたら、単に割に合わない機嫌を取ったに過ぎないのだろうと思われる。いくら男性がお金を稼いでくる家庭であったとしても、それは原理原則としてそうであるはずである。それを曲げているのが文化的な教養のようなもので、どちらかといえばそうしましょうかという暗黙の了解をお互いがしてしまうギャップである。いや、了解だからギャップではないな。それは、外からみたらそうで、しかし内にあるモヤモヤの原因だろう。何の問題もないということであれば何の問題でもないことから始めることが、ジェンダーギャップの議論の前提であろう。
もちろん夫婦のような二人に関係に絞って考えるならば、お互いに同意できればいいとはいえる。他の家庭なんて関係がない。しかしジェンダーギャップには、その前提にさかのぼって問うだろう。そうしてこの問題を、今の状態を作った原因としてとらえ直せる家庭が、一体どれだけあるのだろうか。
ということなので、今はとりあえずやめておいた方がいい、と考えたり、熟年離婚をしたりする準備をする妻がいるのではないだろうか。