イントルーダー・怒りの翼/ジョン・ミリアス監督
変な映画を見たなあ、という感想は年に何度もあるが、比較的まともそうに見えながらやっぱり変だというのはなかなか味わいがある。でもまあそういうのを半分は期待していたこともあるのがジョン・ミリアス。大作も撮るし人気もあるが、反共思想のあまりバランスを欠いた映画を撮ってしまう。しかしそうであるから面白いことが起こるわけで、変にリベラルな感覚でお涙ちょうだい反戦映画を観るよりかなり健康的な気分にもなれる。いや、やっぱり変な展開で自己中心的で、人の命は何なのだろうということをかえって考えさせられるというか、まあ、少なくとも僕はそんな気分になったです。
興味を持ったのは外でもなく村上春樹で、彼のエッセイでこれを見たことが少しだけ書いてある。ウィキペディアによると村上はこの映画を3回見たらしい。もっともこれに少しだけでているロザンナ・アークエット目当てであるとされる。そうなんだけど、ジョン・ミリアス作品については複数言及されているということもあって、村上は少なくともジョン・ミリアス作品を気にしてみていたということは間違いなさそうに思える。たとえばヘリコプターが校庭に降りてきても不用意に近づいてはならない(若き勇者たち)、という教訓を得たというエッセイもあるくらいだ。僕もそのような教訓をちゃんと覚えているが、果たして人生に生かされているのかは不明だ。
僕はこの監督の思想がそうさせているというより、彼の考え方の素直さというか、きわめてアメリカ人的な感性というか、そういうものが面白いんじゃないかと思える。ベトナム戦争なんだからベトナム人は敵なのだけれど、だからこそ敵がどんな死に方をしようと、戦争において悪いのはベトナムなのだ。だからこそ兵隊は素直に戦闘に参加できるのだろうし、そういう戦争において同僚がなくなるのは激しく悲しい。自分らの反省はみじんもなくて、やはり敵のベトナム人を虐殺するのに躊躇がない。仲間の死が意味のないものだったように思えると激しく落ち込み、しかし自分が無謀に国の和平をぶち壊すような行動をとっても、理解できない状況を恨み、さらに無謀に軌道を逸した行動を繰り返し、仲間を失い、都合よく仲間に助けてもらえる。やっぱり米軍最高だぜ、というお話になってしまう。人間のそういう心を見ていくと、本当に戦争って罪深いなと思うわけで、おそらく監督の思惑とは違う意味で、僕らはある種の感慨を抱かざるを得ないわけだ。
村上が興味を持って観たのは、たぶんそういう人間心理を素直に描こうとするジョン・ミリアスを面白いと思うからではなかろうか。人は多かれ少なかれ偏見を持って生きている。しかしながら他人の目があるから、本当に自分はそういう思想を持っていても、素直にそれを表面に表わすのを躊躇するのではあるまいか。ましてや映画という作品にそのような思想を投影して、簡単に許されるものなのだろうか。結果的にそういうことが許されて商業映画として製作されて日の目を見るような社会がある。そういうことを含めてみても、やはりこの映画というのは面白いという気がする。馬鹿だけどまじめに面白いというのはそういうことで、そんな変な人間を観察するような人間がメタ視点的にいるという重層構造も面白いわけだ。興味を持つ人が満足できるかは別にして、妙な気分を堪能することができたのであった。