カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

残酷だけど普通のドラマ   そして父になる

2014-10-26 | 映画

そして父になる/是枝裕和監督

 病院での赤ん坊取り違い事件というのは、決してよくある事件ではないのだろうが、子供のころには時々聞いた。今より子供が多かった時代、病院の喧騒の中で子供がいつの間にか入れ替わるという恐怖めいた都市伝説も交じっていたものとは思うが、子供のころにそういう事件があったというのも記憶にあるようだ。本当かどうか知らないが、病院も親も気づかないケースを含めると、数百件は事実としてあるのではなかろうか、という話もあるくらいだ。まあ、日本の人口から言ったら、それくらいあってもおかしくないのだろうけれど、本当におかしくない話なのかどうかは、少し考えてしまうくらいの数字である。気づかないのならなかったことでいいのだけれど、それですまないというのが、運命というものかもしれない。要するに、子供が生まれてくる環境というのは決して平等ではないという背景がある。もっと平たく言うと、生まれてくる子供は親を選べないわけで、親によってその環境を左右されることから逃れられないということだ。本当に本人が子供のころにそんなことを理解できるわけはないのだから、当然もう少し後になってそういうことが問題になりかねない。映画の題材として、だからこれは選ばれるものになるのだろう。
 ということがあるのでそもそもが面白い題材だが、取り扱いには注意もいるだろう。時間というのは取り返しのつかない問題があって、赤ん坊時代や子供の幼い時期などであるとか、要するに子供の幼少期の親とともにある時間の体験というのは、すでにもうどうにもならない。血としての親子と、育ちとしての親子、その問題をどうするのかは、つまるところどう割り切るかの問題ということになる。さらにこれは子供の問題を語りながら、大人社会の都合の問題でもある。良い親に良い子供が戻れば問題無いが、何がいい親で何がいい子供なのだろうか。遺伝的な才能の問題もあろうけれど、心情的に割り切れないものをどのように割ったらいいのか。ドラマはそのあたりを考えて、片方の親が、特に父になるかどうかを考えたものなのだろう。
 この映画についての僕の素直な感想は語りたくない。観終わって涙が止まらなかったのだが、その理由も素直に語るつもりはない。一言でいうと身につまされたわけで、これを涙以外に語る術が僕にはよくわからないのだ。僕は父親になれたのかさえ、正直言って本当には自信もない。でもまあ、父というのも悪くないというのは知っている。生きていて良かったなと思える数少ない体験の一つである。そういうことで、設定は残酷だけれど、普通の映画だと僕は思う。だからこそ、僕は普通に泣いたんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする