ジョン万次郎・海を渡ったサムライ魂/マーギー・プロイス著(集英社)
読む前には、漁をしていて難破して米国に渡って言葉が堪能になり、幕末日本とアメリカの通訳をした人だと思っていた。そのジョン万次郎の伝記的小説である。脚色も文章も面白く、さらに偏見も少なくなかなか素晴らしい作品ではなかろうか。
実は手に取ったのは外でもなく、捕鯨問題の描かれ方を見たかったから。小説の中身に関して言えば、感覚的によくわかっている作家だと改めて思った。米国人でもこれくらい理解できている人がいて、そうしてこの本が賞を受けたということが何より喜ばしい。現実には偏見に満ちているのは残念だが、しかし理解できる素地があることがわかるのは収穫である。
さて、それでも話の流れとして、やはりジョン万次郎はたぐいまれな幸運の持ち主ではなかったかということだ。難破して九死に一生を得るのだから、そういうことに巻き込まれたこと自体は大変な災難に違いないが、しかしやはり生き延びて人生をも全うする。サバイバルもすさまじいが、そのような体力を持っているという素地がある。さらになんといってもこの日本人集団を救った米国捕鯨船の船長が人格者だったことが最大の幸運だろう。後に別の船で航海することも描かれているが、船というのはある意味で超封建的で治外法権。人種に偏見のあるのが当然の時代背景にありながら、そういうバランス感覚に優れた人格者が船長の船に拾われたことが、万次郎の一生を決定づけたといっても過言ではなかろう。船の上でも米国内でも、様々な差別と闘っただろうことは想像に難くないが、それでもそういう万次郎を守った船長の存在があって、万次郎自身も強く成長することができたのだろう。
さらにこれは、当時の人間としては破格のサクセス・ストーリーとも言っていいものだ。当時の日本人としては、ということなのだが、今の常識とはまったく別の階級世界にあって、漁師の子供が武士になる、サムライになれたという夢のようなお話なのだ。現実には刀の扱いには難儀したようだけれど(本当の武士ではなかったかもしれない)、万次郎が漠然と無知によって夢に描き得た将来に夢を、困難を乗り越えてつかんだ物語ともいえる。常識破りの運と努力と才能で、まさに万次郎だから成し遂げられた奇跡の記録だろう。
追伸:ついでに井伏鱒二の万次郎も読んでみた。おそらくこの作者にも読まれていたことは間違いなさそうだが、ドラマチックさにおいてかなり脚色が違うようだ。恋愛や馬レースのエピソードなど、確かに創作なのだろうけれど、そのような脚色が、現代人にも異国に流された人間の苦難を見事に理解させることになっていると思われる。どちらも小説なのだが、やはり作者の視点がどこにあるのかというのは、後世の人間に違った影響を与えうるものだろう。もちろん、どちらも面白い読み物で、読み比べは楽しかった。