カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

パラドクスを存分に楽しむ  ルーパー

2014-10-14 | 映画

ルーパー/ライアン・ジョンソン監督

 いわゆるタイムマシンもので、タイムパラドクスを存分に利用した作品になっている。僕は子供のころからそういうことになじみがあるんで、おおっと最初から興奮気味に見てしまった。画調もいい感じだし脚本もいい感じ。素直に引き込まれるように見ているだけでいいので、実にまっとうな娯楽作。仕掛けも良いだけでなくアクションもソツなく、それなりに金のかけ方もいい感じの未来社会である。ちょっと無理があるのはブルース・ウィリスが強すぎるということくらいだけど、まあ、彼はダイ・ハードなんで、仕方がない。結果的にきれいに掃除してくれるということもあるので、後味としての未来像にも期待できる。これくらい出来過ぎの作品でもいいというのは、やはり少しテーマとして頭の痛い問題を抱えているということもあるだろう。題名通りにループする現在と過去の関係だけじゃ、人は生きてはいけないのだ。
 タイムパラドクスだけの問題ではなく、親子の愛情問題や、自分自身ということ、愛する人を守るということ、そして将来を切り開くということ、などについても重層的に考えさせられることになっていく。映画の文法というのがあるので、子殺しについてはちょっとだけ先のことを読む手掛かりになってしまうというのはあるけれど、基本的には伏線が効いているように、うまい展開が繰り広げられていく。不確定要素の馬鹿なチンピラの活躍が予想の範囲を超えるあたりも面白い。主人公周辺のことだけでなく、このような偶然的な要素が未来を変えうるきっかけになりうるというのも面白い視点ではなかろうか。
 タイムマシンができた未来で、悪の組織だけがそういうことを利用するというという考え方も変なものだと思う。この映画ではないが、タイムマシンが開発されると、おそらくそのやり方は一部で独占されるだろうことは間違いなさそうに思える。パラドクスが実際にどうなるかは誰もわかりえないことだが、もしも本当に実現するとするならば、タイムトラベルの数だけ、パラレルな未来が枝分かれすることが確実である。誰かが生きていて、同じ誰かが同時に死んでいる世界は成り立たない。いや、そうなるとしたら、決定的に損なわれたり失われたりするということで、未来像は間違いなく大きく変わってしまう。たとえそれが歴史的な人物でなかったとしても、その影響力が多岐にわたることは容易に想像できる。要するに未来においてタイムマシンが開発される流れに今の僕らは生きていないことは確実で、タイムマシンが開発される世界に生きている人類がいるとしたら、また僕らとは違った次元の世界で生きているということになるのではないか。なんだかめんどくさいのだけれど、そういうこととは別のパラドクスの結果があるとしたら可能な世界になるのだろうけれど、やはりタイムマシンは、人間に適応できる技術ではなく、空想上の可能性に過ぎないのではなかろうか。
 つまるところ映画的にはしかし、この考え方なくして面白さは伝えられない。人間の空想上の者が映像としては成り立つしあわせに、じっくり心を奪われるべきなのであろう。
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