カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

遺伝の表れるのが待ち遠しい

2014-10-22 | 境界線

 遺伝の問題はいろいろ面白いのだが、人間は当り前だが遺伝的に受け継がれている影響は案外大きい。単に姿かたちが似ているだけでなく、性格もかなりの部分は遺伝的な要素が大きいらしい。面白いのは年齢を重ねれば重ねるほど遺伝的な性格があらわになっていくということで、若いころに一生懸命親に抵抗したところで、結局は似た性格は隠せないということのようだ。さらに面白いのは思想的なものも遺伝の影響がみられるようで、特に右翼的な考え方は遺伝の傾向がみられる。相対的な考え方だが、左翼的なものが遺伝するとは記述が無いので、右翼的、つまり保守的な傾向というのは、思想というより性格の問題なのかもしれない。
 確かに左翼的な考え方は、保守思想への反発という捉え方もできないではない。日本の場合は左翼の中心は高齢化が進んでいるが、若者は政党的な徒党を組まずに左翼的なものに人気が偏りやすいというのはある。そういう傾向はどこの国にもあるから、いわゆる左翼思想というのは若者の熱病めいたものだという考え方もある。若いころに左翼に目覚めないものは頭が悪いという感じもあるが、チャーチルが言うように、大人になっても左翼のままだと、本当にただのバカにしか見えないということもある。頭の良さというのはなかなか見た目が難しいようだ。
 価値観が遺伝するように見えるのは、そのような年齢的な考え方の変遷もある可能性がある。もちろん保守的な考え方は、伝統的なものの良さというものが理解するのに時間がかかるものだということもあるかもしれない。今あるものを性急に改革したいという思いで左翼的になるのも分かる。変えるべきものは変えて良いのだが、だから価値観を壊すべきなのかという問題と対立する。もちろん伝統的なものが、すべて過去に帰するものであるという見方も、少し性急すぎるような気もする。近代がそうだけれど、むしろ以前の歴史的伝統的な考えとは、すでに乖離が激しい。そのうえで伝統だと勘違いしているだけの保守もそれなりにいる。人間の寿命と時間的な感覚に局所的なものがあるせいであるが、そうなると今がいったいどのように本来的に右翼的なのか左翼的なのか、既に怪しい。
 自分が果たして親のように右翼的なのかと考えてみると、どちらももともと右翼的だったかさえ怪しいのだが、自分自身には保守性が高いように思う。しかし周りの人間からよく言われるのは、左翼的な考えを持っていると間違われることが多い。単に僕が青いせいで、権威主義が嫌いなだけなのである。権威主義が保守なのかはよく分からないが、対立するのは人間が出来ていないだけの事だろう。そうするともう少し年齢が上がらないと、僕の本来的な遺伝は不明かもしれない。長生きしなければ遺伝が判明しないとは、ちょっと残念なことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする