カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アンと花子とさらに僕

2014-10-05 | 感涙記

 朝の連ドラも終わっているので少し間抜けな話題かもしれない。それに本当に僕は熱心に注目して見ていたわけでもない。というか、ほとんど見てない。花子と村岡との恋愛のところだけマンガみたいに面白がってみたくらいで、正直言ってたいしてスジを知っているわけでもない。
 そうではあるが、村岡花子に興味が無いわけではない。本当はそんなに前から知っていたわけではなかったが、ちょっと変わった翻訳家だという話は聞き及んでいたような記憶がある。おそらく誰かのエッセイに紹介されていたのだろう。そうしてやはりこのドラマが始まってから、関連するお話を、また時々目にするようになった。当然だけれど、原作になっているお話と、ドラマの花子はかなり違う人物になっているとは聞いていた。そういうものなのだから、それはそれでいいだろう。もとにするというのは、もとにした創作だということに過ぎない。しかしやはり、実際はどんな人かな、という興味の方があるにはあって、それはほかならぬ「赤毛のアン」の所為だろう。
 僕はなぜか独身時代に、赤毛のアンのアニメに見はまって、毎日のように泣いていた。こんなにも泣ける物語があるとは本当に知らなかった。そうして実はあとから村岡訳の赤毛のアンは手に取ったのである。しかしなんというか、ちょっとだけ読んでもピンとこなかった。それで後に知ったが、このアニメの底本となった訳は神山妙子という人のものと知る。それでというか、村岡花子という人は、あえて赤毛のアンについて、妙な飛ばし訳をしているということも知ったのである。いろいろ事情はあろうけれど、日本の子供に読んでもらうためには、その方が良いという考え方があったためらしい。
 村岡花子の生涯の、おそらくかなりの影響力があったらしいのは、父の存在であるように感じられる。かなり変わった人のようだが、それもやはりキリスト教の影響があるものと思われる。外に子はたくさんいたが、長女である花子に特に目をかけて、教育を受けさせる。東京に移り住み家族は貧困に苦しみ続けるが、それでも何とか花子にだけは最後まで期待を寄せていたようだ。花子としてもその期待に応えたいという思いもあったろうし、西洋教育とキリスト教の影響も、やはり強く受けただろう。そうして世の中は戦争に突入し、様々な思惑がありながらも翻訳を続ける強さがあったことも間違い無いようだ。
 村岡花子という人は、キリスト教的な強さを持った面(信じる物を曲げない)も持ちながら、しかし同時に当時の理想との乖離のある日本の女性像や子供についても、ある程度の理解のある人だったようだ。だからこそ、その当時の人間にちょうど合うように、翻訳を試みたのではなかろうか。それは正確な翻訳というものでは必ずしも無いのだが、しかしだからこそ、その当時の人々の心も捉えることが出来た。さらに結局は、日本においてもこの物語が長く受け継がれるものになったのではなかろうか。
 赤毛のアンは、確かに子供の物語である。それも純粋に子供の持っているすさまじい能力が、何気なく発揮されている物語だ。大人ではその能力がすっかり失われてしまうわけだが、しかし、だからこそマリラやマシューは、アンに影響を受けてしあわせな気分になれるのだ。それを読む多くの人は子供なのかもしれないが、しかしやはりマリラやマシューのごとく、大人になって読んだ人の方が、その影響力を強く受けるのではないか。それを翻訳の力で、やはり日本の子供に最も伝えやすくするにはどうするか。村岡花子の考えと訳は、そのようにして生まれたものなのではあるまいか。
 結局僕は、村岡花子のよき理解者ではないが、村岡花子が開拓した後の社会で、長く生きながらえたアンの姿に感動させられているわけだ。不思議な縁だけれど、もう少しさらに年を取ったとき、また影響を受ける可能性もあるように思える。それが大人の失う力であるからだ。アンに出会えた人間は、影響を受けざるを得ない。そのことを、やはり知っていた人物だったことは間違い無いのである。
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