カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

コロンボの国際貢献   刑事コロンボ・策謀の結末

2014-10-25 | コロンボ

刑事コロンボ・策謀の結末/レオ・ペン監督

 日本でも詩人はいないわけでない。それは当たり前だ。詩の朗読会のようなものも、地味だけれど、行われてはいるだろう。何かのサークルのような活動もあろうし、詩の発表の場もそれなりにありそうだ。そうなんだけれど、特に現代において詩だけで食っているような人物は、学校の先生を別にすると、谷川俊太郎くらいのものだろう。マイナーという以前に、これに金を払う人がいないだろうことが原因だと思う。もしくは課金のシステムに問題があるのかもしれない。
 主人公は詩人のようだ。それもかなり人気があるらしい。寄付を呼び掛けているという資金の集め方ではあるが、相当の集金力を持つ人物のようだ。それは、言葉を操り、詩で人々を感動させる能力があるからだ。もちろん詩で感動するのは分かる。分かるのだが、その力でテロ組織を支援できるほどの資金力を持てることが、やはりどうにもわからないのかもしれない。財団の支援があるようだけれど、そっちの資金のみでなんとかする方が、自然の流れなのではなかろうか。それにわざわざ有名詩人が武器の調達までをやる。財団の組織力が疑わしく思えてしまうではないか。
 そうではあるが、言葉のやり取りをコロンボとかわす。そういう遊びは、面白くはある。肝心の詩の内容は、日本語に翻訳されたのちに感心できるか、という問題はある。それのどこが面白いのか。いや、面白そうは分かる…、止めておこう。要するにコロンボには詩の素養があるらしい。なんで刑事なんかやってるんだろう、というような天才を誇示する材料として、詩を採用したのではないか。おそらく詩の才能というのは、あちらではそれなりに尊敬を集められるものなのではないか。中国などでも即興で詩を詠むなどというのは大変に重宝されたようだし、まさにそのような教養ある娯楽の王様の位置に、詩人というのがいるのではないか。少し残念なのはこの詩人、単なる思想的な二枚舌ということなのであるけれど、エンタティメントとしての才能がいかんなく発揮された人物として描かれている。そしてやはりコロンボはそれと同等ということなのだ。
 楽しいお話だし、演出としてサスペンスの描かれ方も工夫がしてある。よく考えると演出なしには変なトリックの謎の解き方ではあるんだけれど、犯人逮捕だけでなく国際的なテロまで未然に防げたような偉業を成し遂げている。やはり、刑事というのは才能がなければならない。それは平和への貢献でもあるのだから…。
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