カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今更ながら吾妻ひでお追悼

2019-12-28 | 感涙記

 最近亡くなった吾妻ひでおだが、晩年になって「失踪日記」等で大ヒットを飛ばして、再注目されたが、僕らにとっては結構リアルな過去の人であった。
 僕らの小学生のころに、吾妻は少年チャンピオンに連載をしていた。エロ・ナンセンス・SFといった作風で、内容ははっきり言ってそんなによく分からないものの、実際にはたいていエロの要素で、少年たちを惹きつけていたと思う。吾妻の描くロリコンっぽい美少女は、子供心にもたいへんにかわいいキャラクターで、何を考えているかよく分からない存在ながら、すぐに服を脱がされてしまっていい人なのであった。エロ漫画なので当たり前だけど、親たちの激しい検閲のある中にあって、弾圧を受けていた作家だったように思う。一番は永井豪だったろうけれど。そういうわけで、ほぼ禁書扱いで、子供自身がコミックなどを手に入れるのは、それなりに難しかった。いや、厳密には買えはするんだが、当時の書店のおばさん店員さんは、おそらくPTA等の圧力があってのことと思うが、小学生くらいの男の子には、このような漫画を買うときに、少なくとも一度注意するようだった。そういうことがあると、二度目には気遅れてしてとても買うことができない。そうやって少ない成功体験を潜り抜けて手に入れられた作品は、重宝して回し読みされたのだ。
 そうではあるが、一番うらやましかった友人はマンブー君だった。マンブーには年の離れた労働者の兄がいて、そのお兄さんが吾妻ひでおのファンらしく、ほぼ全巻コミックをコレクションしていた。マンブーん家に遊びに行くと、お兄さんの部屋の本棚に、整然と吾妻作品が並んでいた。ところがであるが、これを手に取ってみることは、固く禁じられていた。後でお兄さんに怒られるという理由で、マンブーが見せてくれなかったのだ。だからいつも背表紙だけを眺めて羨ましがっていたというわけだ。
 しかしまあ中学生くらいになると、おこづかいも増えるし、小学生みたいに(多少は)気後れしなくなる。しかし吾妻自身は、メジャー雑誌の連載から離れ、マイナーな媒体で、よりマニアックな作品を描くようになっていた。田舎暮らしではそれらの作品は手に入りにくくなっていった。そういう時にたまに目にする吾妻作品は、不条理ギャグに冴えがわたり、ちょっと不思議ながら感心する作品が増えていったように思う。マイナーながら、それなりに売れていたのではないだろうか。また、漫画家同士の評価も高い作家で、明らかに吾妻作品に誘発されたようなものも見受けられたように感じた。もう僕らは、エロ目的だけで吾妻作品をみていたのではなかっただろう。
 正直に言ってその後はずいぶん忘れていたのだが、その間病気や失踪などをしていたようで、文字通り消えた作家になってしまっていた。それらの体験記をつづった失踪日記は、だから衝撃的な再ブームを巻き起こしたのである。本当に驚くべき面白さのある作品で、改めて吾妻の偉大さを思い知ることになった。僕は福祉の仕事をしているということもあって、これらの吾妻作品を読むということは、福祉的な仕事の参考に、大いになったと感じている。もちろんそういう仕事をしていない人にとっても、たいへんに為になる内容だろうと思われる。結局その本の内容のような過酷なことが、少なからず影響もあったことだろう。まったく亡くなってしまって、本当に寂しい気分である。
 因みに吾妻ひでおは1950年生まれで、同い年では、志村けん、由美かおる、スティービー・ワンダー、和田アキ子らがいる。
コメント
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