セブン・サイコパス/マーティン・マクドナー監督
ある脚本家がサイコパスにまつわる話の執筆に行き詰っていたところ、友人がなんとか助けようとしてサイコパスを募集する広告を出す。そうして集まってきた人々はサイコパスなんで、いろいろと問題が持ち上がってくることになる。脚本の内容が充実することもあるが、夢と現実が錯綜して、血なまぐさい騒動になっていくのだった。
ホラー映画ではないのだが、とにかく血がたくさん出るような銃殺が続く。狂った人々が、狂ったなりの理論で行動するとこうなる、ということをドラマに仕上げていくためだ。不条理な中に、一定の理想のようなものがあって、そのために自分たちの命をも掛けなくてならなくなるということなんだろうか。
脚本的にシャレているという自負のある映画なのだろうと思われる。そういうところで、笑わされることはあるが、何度も続くので少し疲れるかもしれない。実は自分らもサイコパスだということになるのだろうが、その狂気の中に、自分たちが作品化していくことになる。実際はそれを僕らが観ているわけで、幾重かのメタ視力で物語を考える仕組みになっている。不思議な味はあって、これにハマるならば、いい作品。ノレなかったら残念ということであろう。
おそらくなのだが、こういう作品を作る側にも、何とか面白い作品を作り上げたいプレッシャーの中で、重層的な葛藤があるのだろうと思う。作者(監督)個人にも、そういう思いがあって、それがこの映画のアイディアを膨らませていたのだろうと想像できる。そうしてこれが面白いと思ったからこそ作品化できて、このような形になった。どうだ!っという感じなのか。まあ、それだけ作品を作る重圧というのは、大変なんだろうな、ということなのであろう。