カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

チコちゃんは世代を超える?

2019-12-02 | net & 社会

 ご年配の人と話をしていて、相手の方が進んで題材にされるものの一つにチコちゃんがある。もともと共通の話題が少ないというので気を使って下さっているのは分かるが、そのほとんどが、嬉々としてそのウンチクを披露してくださるというものだ。チコちゃんではこういうことになってますが、諸説あって…、などと話が続いたりする。なるほど、何か感化されるものがあったのでしょうね。まあ、それほどこの番組には、一定の人々を魅了する何かがあるということなんだろう。
 僕も土曜の午前中になんとなく眺めないことも無いのだが、どんな問題だったかとか、答えの部分をほとんど失念してしまっている。ちゃんと見てなかったのかな、とも思うが、なんとなくそうではないような気もする。はて、どうしてそうなのだろうな、と思いながら再度見てみると、なんとなくその理由がわかるような気がする。
 要するに、設問が悪いのである。チコちゃんの尋ねている疑問は、確かに普段はボーっとして考えてなかったことかもしれないが、そもそもそんな疑問に思うようなことではないことばかりだ。だから理由を知らない大人たちは、なんとなくドギマギしてしまうのだろうと思うが、考えてみたところで、さて、知らないことをどうしようもない。それなりに推理して答えたところで、さらにその答えとするところが、何かモヤモヤしたものが多いのだ。歴史的なものは、諸説あるという言い方もできようが、そもそもそれが答えとして適当だったのか、はなはだ疑問なものが多いように思う。チコちゃんはそんな答えで本当に満足できるのか? 結構ずるいんじゃないか。
 まあ、そこがいいんでしょうね。ウンチクとして斬新なものもあるし、確かに説明される内容も、それなりに詳細である。だからその答えなのかどうかは、ちょっと疑問にも思わないではないが、まあ、それでいいと、多くの人は納得するのかもしれない。ただしかし、記憶に残りにくいのは、設問と答えの関連性が薄いということかもしれない。なるほど~っと納得するというより、さらに何かけむに巻かれているというか。自分で再現して説明してみようと思っても、何か詳細を飛ばしてしまうような気もする。正確さに欠けてしまうような気もする。
 例えばある時の設問。どうして「水は透明なの?」という設問である。しかし答えは「水は透明でなく、青い」なのである。まあ、複雑なのだが、光を通す水の量の問題があって、ちゃんと水がたくさん集まった海などが青く見えるように、水本来は薄く青いということらしい。しかしこれは設問がなぜ透明?と聞いているのだから、透明に見える段階で答えにすべきところである。そうでなければ人に聞いてはならないのだ(クイズ問題として)。
 またある時は、「なんでサンマの内臓はおいしく食べられるの?」だった。答えは「ウンチが無いから」。サンマは無胃魚で、消化が早くうんちが溜まりにくい性質があるそうで、さらに収穫される時間帯にお腹は空っぽになっているという。また選別されるときに排せつ物の入ったものは跳ねられて食卓には並ばないのだそうだ。まあしかし設問は内臓はおいしく食べられるのは何故? だから、味の説明としてはどうなのか。あの苦みを美味しく感じる理由があるはずで、的外れである。さらに比較するとしたら、排せつ物のあるサンマとそうでないものを食べ比べる必要があるはずで、検証の仕方に問題がありそうだ。
 まあ、そういうわけだが、共通の教養として一定の支持を持ったチコちゃんという番組は、少なくとも世代を超えた問題としては有効なんであろう。
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