カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

満男の中に生きる叔父   男はつらいよ・お帰り 寅さん

2019-12-31 | 映画

男はつらいよ・お帰り 寅さん/山田洋二監督

 満男は会社勤めをやめて作家になっている。6年前に妻を亡くしたが、中学生の娘と暮らしている。本のサイン会の折に、ちょうど国連の仕事で日本に帰ってきていた泉と再会を果たす。以前の思い出とともに叔父の寅次郎との日々が、満男の中に何度もよみがえってくるのだった。
 妻の七回忌の法要などもあり、実家の柴又へ帰るなど、今やおいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前様など、多くの人が亡くなった後の、くるま屋の様子もよくわかる。店はだんご屋ではなくカフェになっている。肝心の寅次郎は、どういういきさつで亡くなっているなどを説明は一切無い。恐らく亡くなっているはずだが、元気だったころのおじさんと満男とのつながりや、いまだに満男の思いの中に生きている寅次郎の考え方のようなものが、時折懐かしい場面とともによみがえってくるのみである。
 男はつらいよが作られてから、50年の歳月が流れている。主演の渥美清をはじめ、多くの出演者は鬼籍に入ってしまっているのに、このように続編が作られた。いかに国民的な人気映画かということであるが、ここまで長く愛され続ける作品が世の中に存在すること自体が、奇跡のようなものであろう。さすがに死んだ人間が、新たな演技を披露することはできないのだが、しかし、単なる思い出だけで、今に存在するわけではない。生きている我々の中に生きている人間であっても、生きている我々に影響力を与え続けているのである。
 このような作品は、映画として出来栄えがどうだとかいうようなものを超えている。個人的なことだけれど、我が家では日常的に寅次郎作品を繰り返し見続けているのだが、そういう日常の寅次郎と、ある意味で同じ場面を観ることになっても、この映画で観る寅次郎は、また新たな感慨をもたらすものだった。
 一つだけ残念だったのは、泉の父役の寺尾聰が出ていなかったことだ。橋爪功の演技が悪いとかそういうことではないのだが、設定があまりにも違うような気がして、かなりの違和感があった。せめてもう少し、違う邂逅があっても良かったのではないか。満男が泉ちゃんとの長い時間を過ごす必要があったのだろうけど…。
 まあ、このシリーズへの思い入れが強いほど、いろいろとあるのかもしれない。リリィの名啖呵もカットされていたしね。こればっかりは、旧作を観るよりないのだろう。何度もマドンナを演じた人もいるし、役を変えて出てきた人もいる。ノボルやポン衆みたいな仲間も、今回の流れでは外れていた。寅さんのやくざなところは、思い出では、だんだん薄れていくのであろう。
コメント
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