黒船の世紀/猪瀬直樹著(角川ソフィア文庫)
副題に「〈外交〉と〈世論〉の日米開戦秘史」とある。徳川の歴史の終焉には、ペリー来航の外圧が大きなきっかけだったわけだが、そのような米国の外圧は、太平洋戦争と突き進まざるを得なかった日本の運命ともつながっていた。開戦前には米国は、日本の脅威におびえて外圧をかけ続けていた。そういう中で日米開戦をシミュレーションしたような小説が話題になったりした。また、同じく日本でも、日米の戦いを描いた小説がたくさん売れた。それは国民世論を、否応なくも開戦に掻き立てた。軍や政治は、実際には何とか戦争を回避させたい思惑がありながら(実際に戦えばとても勝てるわけが無いことを知っているため)、その世論にあらがうことができなかったのだ。
緻密に資料を読み解いて、その当時の空気を見事に再現した名著である。何度も再販され読み継がれている理由も、実際に読めば理解されるだろう。
現在の日米関係を考えると、先の戦争は、すでに昔話のような印象を持っている人も多いかもしれない。実際にそういう戦いの後にこのような関係が築かれていることは間違いないのだが、しかしこの良好な関係の成り立ちは、いまだ現在も続いている米国という外圧が続いているためであるということも理解できるのではないか。基本的に近代の思想を持っている米国という社会は、中東への介入のやり方を含めて、何ら依然と変わっていない。それらに同調する日本社会も、実は当時とあまり変わっていない。ちょっとした影響におびえるあまり、逆に虚栄を張って、反抗的な世論が沸き上がったり、そもそもの議論を避けたり、見えなくなったり、一方的に盲目的になったりしている。しかし最終的には、圧倒的な力の前に、忖度を期待して卑屈になっているのではないか。
まあ、ともかく、読みながらいろいろ考えさせられることになる。現代を知るには、過去から丁寧にたどるしかない。矮小な人間の感情が、例えば芥川と池崎との関係のようなものから、国家世論に影響のあるようなことに発展したりする。こういうのはぜひ実地に読んでもらうしかないのだが、人間の妬みのような感情は、個人の人生のみならず、大きなうねりとともに人々の感情を煽ることがあるのだ。この恐ろしさを知るだけでも、生きている中で、大きな価値のあることなのではなかろうか。