虫を数える時は、一般的には「匹」が多い。日常的には一匹の蚊が飛んできたという具合で何の問題もない。しかし専門家や昆虫採集などだと事情が違って、一般的には「頭」を使う。カブトムシやテントウムシのような甲虫は「頭」でもなんとなく分からないではないが、蝶の場合でも「頭」である。
動物の場合でも「頭」と「匹」は微妙に混在している。馬や牛は「頭」だろうな、と思うが、ライオンなんかは「頭」でも「匹」でもよさそうに感じられる。実は動物園などでは、小型の動物であっても「頭」を使うという。これは実は英語から来た風習らしく、あちらでは家畜などはすべてheadを使うのだという。例えば五頭の牛ならFive head of cattle のように数える。そのようにして、ネズミでもheadである。そういう流れなのか、実は昆虫もheadで数えたのだという。あちらの博物館などではそのような表示があり、恐らく明治あたりだろうが、これを翻訳の際「頭」のまま訳されたのではないかと言われている。これが第一の「頭」起源説である。
他には昆虫標本には頭部が切り離されていないものが重要であるという説もあるし、昆虫採集そのものが狩猟の一種であることから、獲物を捕らえるのは動物でも昆虫でも同じだからという説もあるそうだ。
僕は特に昆虫採集はやらないが、格好をつけて虫は「頭」と言ってみたくなる。一寸の虫にも五分の魂、などというが、あんなに小さいのにちゃんと生きて動いている。そういうことを時々思って眺めてみると、人間の都合で生きていない世界がちゃんとあって、しかし人間はそんなことをぜんぜん知らないんだよな、と思うのである。まあ、人間なんてのは威張って生きているようで、他の生命にとっては迷惑だけれど、実は生物界においては同じようにちっぽけな生き物なんだろうと思う。かえって虫たちのような崇高な存在は、そういうことをもろともせずに、皆けなげに生きているということなんであります。