犬を飼っているというのは、それなりにわずらわしいことも多い。何しろ生き物だから、彼らにだって考えがある。飯を食うしトイレもする。人間から見るとだが、それなりに困るような悪さをする。子供の世話のようなこと言う人もいるが、それとはちょっと違うような気もするが、とにかく飼う人の勝手であるにせよ、面倒なんである。子供が犬や猫を飼いたいというと、親がちゃんと世話をするように約束をさせたりする。しかし子供はいつの間にか世話をしなくなってしまう。要するにめんどくさいのである。
しかしながらこの面倒さが、どういう訳か必要になるということはあるように思う。飯を食わせたか気になるし、ちゃんとトイレをしているかも気になる。僕なんかはちゃんと世話をしている部類には入らないが、時々はそういうことが気になる。いわゆる日本語を話さないので、聞いてみたところでよく分かりえない。話しかけるとなんとなく聞いているようだけれど、意味なんて分かってはいるはずがない。ひっくり返ってお腹を見せたり、お手をしたりする。ごまかしている訳ではなかろうが、そういうことをするより仕方がないのだろう。偉いなあと思うが、偉くは無いのかもしれない。
聞くところによると、ペットを飼っている人と飼っていないひとでは寿命に明確な有意差があらわれるという。何年延びるのかは忘れてしまったが、ペットと住んでいる人の医療費は明確に安くなるのだそうだ。例えば心臓疾患のある患者では、一般的に20%も医療費の違いがあるんだという。調査が嘘でなければ、ペットを飼うことの影響で、健康面に良いことがあるらしいと考えられる。
たとえば犬だと具体的に散歩に連れて行くことで、自分の運動になるということはある。体を動かすことは、例えば家事をするだけでも健康にいいらしいので、ペットのトイレの掃除などでも、定期的に体を動かすのでいいのかもしれない。一般的に女性の方が食事を作ったり家事をこなすことで、健康に長生きできるのではないかという話もある。ペットの世話であれば、性別を超えて人を動かすことがあるともいえる。少なくとも寝たきりや座ったきりの生活では、ペットも飼いつづけられないのかもしれない。
また、人というのは自分のためだけに生きているというのが、あんがいつらいのだということもあるという。集団生活を基本としているので、孤独というのも苦手らしい。人間関係の下手な人も、ペットならよく分からず付き合ってくれる場合もあろう。結果的に精神衛生上も健康でいられるということなんだろうか。
実をいうと愛犬の杏月ちゃんがヘルニアらしいのである。家に帰ると喜んで迎えてくれる存在が、形ばかりにしか尻尾を振らない。抱きかかえられるのが(痛みのために)怖いらしい。食事をしているとおこぼれを狙って、または積極的にやれとちょっかいを出してきたのに大人しく伏している。何ともつまらん。階段の上り下りもできないし、テレビを見ていても膝の上に乗ってこない。一気に張り合いのない毎日のような味気なさを感じる。もちろん何とか良くなってくれないかという思いと、やはり年なのかな、という寂しさがあるのかもしれない。何よりつらいのは、散歩にも安易に連れて行けなくなってしまったことだ。獣医さんからもしばらくは安静を言い渡されているらしい。意地悪でない限り守るより仕方なかろう。事実比較的に元気のよい朝に、少し連れて出たが、その後動きが悪くなったらしく、つれあいに罵られてしまった。ああ、何とつらい毎日だろう。何と張り合いのない毎日だろう。僕の寿命は、きっと縮んでいるに違いないのである。