カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

サインをもらったくせに…

2015-09-04 | 雑記

 子供の頃の記憶はあやふやで、正直言ってはっきりと覚えていることではない。
 小学3年か4年生だったと思われるのだが、当時プロ野球のオープン戦が大村の球場で開催された。地元の何かの会で誘致したのかもしれない。日本ハム対何処かだったと思うが、忘れた。これを書いたら思い出す人もいるだろうと思うが、どうだろう。とにかくプロ野球が来たということで、僕ら小学生が大勢招待された。僕も当然プロ野球など初めて生で見たのだったと思う。結構興奮して、何故かお気に入りの近鉄の帽子をかぶって行ったと思う。
 僕らは外野のレフト・ポール際に座っていた。レフトで守っている選手の背中を見ながら試合の応援をしていた。確か外国人じゃなかったかと思うが、適当にポールとかマニエルとか叫んで応援した。誰かが知っていたのかどうだか知らないが、呼びかけてもその外国人は振り返ったりしなかった。
 試合を見ていて思ったのは、テレビとは違って実況が無いので、今がどういう状況なのかよく分からないということだ。周りが騒いでいるので今が騒ぎどころだと思って一緒に騒いでいるだけのことだったかもしれない。それでも興奮しているので、楽しかったのだろうとは思う。
 そうやって観戦していたら、大きなアタリがあって、ボールがグングン僕らの方に飛んできた。ほとんどライナー性の弾道で、あっという間にこちらに飛んできた。僕らは子供なので、皆ボールに向かって群がったのではなかったろうか。そうしたらそのボールは僕の隣に座っていたH君の胸あたりを直撃した。アッと思ったが、ほかの連中はH君の胸にあたって転がっていくボールを追ってさらに群がっていった。H君は胸を押さえてその場に倒れてしまって、僕は何故か死んだのではないかと思った。しかしH君は生きていて、胸を押さえて苦しんでいた。すぐに先生たちが飛んできて、確か救急車が呼ばれて運ばれていった。試合は中断して審判らしい黒服の人までやって来て、何やら大変な騒ぎでフェアかファールかともめていた。そうしたら僕の担任の出口先生が、激しくファールだったと主張した。僕らはポールのフェア側に座っていたのだが、H君が倒れ込んだのはファール側だった。胸が痛かったのでそうなったのではないかと思ったが、出口先生は激しく最初からH君はファール側に座っていたと主張した。僕はぼんやりと、なんで先生はそんなウソを堂々というのだろうと考えていた。結局判定がどうなったのかは覚えていない。
 その後H君は特にどうということは無かったらしかった。そのホームランらしきものを打った選手が病院まで見舞いに来て、サインしてくれたという。いいなあ、と羨ましかったのだが、H君は試合を最後まで見られなくて残念だったと言っていた。サインをもらったくせにそんなもんかね、と思ったことだった。
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