カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

病的でなく既に病気の自覚をしよう   座らない!

2015-09-18 | 読書

座らない!/トム・ラス著(新潮社)

 副題は「成果を出し続ける人の健康習慣」。食べ物を選んで食べること。運動をすること。睡眠はちゃんととること。言ってることは以上の3点。それで200数十ページ語り続けるという芸といえる。それだけのことにしつこく言うことがあるのは、それだけのことが、人間には守りにくいということであることの証左であろう。いろいろ根拠もあるらしいが、それらはまっとうな科学的根拠であるらしいが、アメリカ人がいうと、ちょっと怪しくも感じないではない。まあ、それは原理主義的な愛嬌であるにせよ、特に間違っているというレンジではなかろう。特に三つを実践するにおいて、この本を読んだことで、一週間くらいは決心が揺らがないのではなかろうか。
 僕自身もこれらのことは実感として思い当たることは多い。僕は日本人で日本に住んでいるから、この本の状況とは多少の違いはあるにせよ、基本的には同じような環境にあるとは思える。食事においては、僕はあまり平均的な日本人ではないと思われるが、しかし周りにはコメを中心とした炭水化物が豊富に食事として目にすることが自然である。先日の宴会では、乾杯の後にすぐに五島うどんが出てきて、そのあとに刺身などの鉢盛。から揚げやてんぷらなど。おにぎりも出て、すり身などもあって、小鉢に酢の物。他にも何かあったが忘れた。会費は5000円程度だが、とても食べきれない。今ではありふれた当たり前の風景だが、多くの人はこの後にも居酒屋などで飲み直すようだ(普段の僕もその一人だが…)。
 飽食の時代なので、これらをいかに食わないかというのはやはり難しい。それはつきあいという名のいいわけであるにせよ、人間というのは目の前にある誘惑に、知らず知らずに負ける環境にありすぎるということだ。職場を見回しても、オフェスでありながらせんべいやクッキーなどのお菓子は常時テーブルの上に載っているし、時々カステラなどのお菓子も差し入れなどで出てくる。果物が冷えているし、アイスクリームも冷蔵庫に入っている。ヨーグルトやジュースも賞味期限が無くなるまで入っているし、スタッフの家族が家で作ったという漬物なんかもご自由に、ということで入っている。昼食時には持ち寄った食べ物のおすそ分けがある場合もあるし、パックの米も誰でも食べていいらしい。インスタント麺やカップめんなど、どこかの試食か何かでいただいたストックもある。味噌汁やスープのインスタントも戸棚に入っているし、イベントの残り物なんかもあるし、外出者がおみやげに回転焼きやドーナツや肉まんなども買ってくる。そうして給食の食事は出てくるし、弁当を食べる人も別に持ってきている。関係のない食べ物も多いけれど、食べようと思えばこれらはおそらく普通に口に入る可能性があるものばかりだ。選択も可能とはいえ、食べないことの方が罪悪が大きいかもしれない(皆さんが勧めてくれるシステムだ)。うっかり食べ忘れても近所にコンビニはあるし、車なら飲食店もそれなりにある。実際昼はそのような店を利用する人もいる。自宅に帰って食べる人もいる。改めて考えると、よくもまあこれでも腹が減るもんだということだ。
 食べるというだけでこれである。(多少はあるかもしれないが)特に特殊な環境でもなかろう。数えてないが、職場に椅子はイベント用も含めると恐らく200とは言わないだろう。僕がふだんいる部屋には七つの椅子があり。それらの椅子がすべて埋まることは年に数度のことだろう。そうして一日のうちどれくらい座って過ごすことになるんだろうか。書名にある「座るな」といのは、そのような環境を指している。通勤は車だし、駐車場から1分歩くだろうか。
 三つのうちまだもう一つの睡眠につてたどり着いてない。しかし、確かに既に長くなりつつある。要するにそういう本文だということだ。語ることは素人であってもたくさんある。しかしそれらは守られてはいない。結局本人がどうするか。シンプルにしつこく繰り返し注意を受けて、実践できるのは一握り。それが現代人の病理を表しているということであろう。
コメント
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